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話しことばの通い路Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture StudiesHAL-niwa LOFT

ポカポカ春庭 nipponia nippon-go 言語文化論考
   ポカポカ春庭のことばと文化 


2008日付 翻訳翻案インスパイア 言及作品 言及作家
3/06 ロス・ヌエボス・カプリチョス モナリザ 泉 新きまぐれ 森村泰昌 ゴヤ デュシャン
3/07 私は飛ぶ・あんたらが踏み台にされたのは自業自得だよ 飛んでいった ゴヤ 森村泰昌
3/08 浦島太郎とオルフェウス 古事記 万葉集 ギリシア神話 山路平四郎
3/09 ユリシーズとオセロ 百合若大臣 オデュッセイア オセロ シェークスピア 坪内逍遙
3/10 レミとネロ 未だ見ぬ母 フランダースの犬 E・A・マロ 五来素川 宮沢賢治 
3/11 パトラッシュ パトラッシュ ボルカールト
3/12 ネロとアロア フランダースの犬 ウィーダ
3/13 フランダース犬
3/14 負け犬 女は男に従うもの? S・W・ ハル 
3/15 滅びの美学 平家物語
3/16 パトラッシュ昇天
2006日付 翻案盗作パロディ・オマージュ 言及作品 言及作家
9/16・17 シェークスピアもパクリ名人 オセロ
年代記/悲劇大成/ハムレット
ロミオとジュリエット/ウェストサイドストーリー
蜘蛛の巣城/マクベス
七人のサムライ/荒野の七人
用心棒・荒野の用心棒
隠し砦の三悪人/スターウォーズ
田口アヤコ
シェークスピア
サクソ・グラマティクス/ブルフォレ/トマス・キッド/アーサー・ブルック
黒澤明/J・ルーカス
9/18・19 レオとシンバ、アトムとミッキー ライオンキング/ジャングル大帝レオ
鉄腕アトム/ミッキーマウス
ディズニー/手塚治虫/月岡貞夫
9/20・21 ひげをつけたモナリザと髭をそったモナリザ モナリザ
マルセル・デュシャン
アルベルト・スギ/和田義彦
9/22 模写とオリジナル 花魁(おいらん)
猛虎図
ゴッホ/渓斎英泉
伊藤若冲
9/23・24 本歌取り、狂歌とパロディ 芭蕉(続山の井)
毎月抄
関ヶ原軍記大成
坊っちゃん
松尾芭蕉
紀貫之/額田王
藤原定家
夏目漱石
9/25 パロディ裁判 ロミオとジュリエット
白川義員/マッドアマノ
シェークスピア/マッテオ・バンデッロ/アーサー・ブルック
9/26 原作・資料引用」とオリジナル かぐや姫
御伽草子/今昔物語
太宰治/芥川龍之介
9/27 『黒い雨』創作か盗作か 黒い雨/重松日記 井伏鱒二/重松静馬/猪瀬直樹
9/28 オマージュ 井伏鱒二/重松静馬

2007年 引用・インスパイア・パクリ 言及作品 言及作家
01/02〜04 亥年に牛の詩・冬三日・道 牛・冬・道程 高村光太郎
01/05〜06 朔太郎の「こころ」 時間は夢を裏切らない こころ・テルーのうた・約束の場所 萩原朔太郎 宮崎吾郎 槇原敬之 



翻案翻訳インスパイア
2008/03/06

2008/03/07 
春庭ことばと文化>翻訳翻案インスパイア(1)
ロス・ヌエボス・カプリチョス(新気まぐれ)


 2006年9月15~27日に、「翻案盗作パロディオマージュ」というテーマで、作品制作過程での他者からの影響関係について考察しました。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200609A
0203b7mi.htm
 今回、もう一度、翻案の問題について考えてみようと思います。

 「20世紀にもっともインパクトがあった作品」として、ピカソを押さえて、マルセル・デュシャンの作品『泉』が1位に選ばれました。21世紀がコピー複製の時代になることを20世紀において予感していたデュシャン。
 『泉』は、便器に署名しただけの作品であり、署名されている「R.Mut」とは、便器メーカーの会社名。
 『泉』 http://www.arclamp.jp/blog/archives/000255.html

 また、マルセル・デュシャンはモナリザに髭を書き加えて「髭をはやしたモナリザ」と題し、つぎに、ただのモナリザ複製画を「髭をそったモナリザ」と題して、自分の「オリジナル作品」として発表しました。

 森村泰昌の「自らモナリザに扮した作品」は、このデュシャンの「髭をそったモナリザ」に連なる作品ですが、森村のすごいところは、「日本の浮世絵シリーズ」「女優シリーズ」「名画の登場人物シリーズ」など、とどまるところを知らない快進撃がつづいていること。

 私は、美術家森村泰昌の作品が好きです。女優や名画の登場人物そっくりに扮して写真を撮ったシリーズが、とてもおもしろい。
 森村HPのトップページは、モナリザに扮した作品です
http://www.morimura-ya.com/

 森村の「そっくりさんシリーズ」は、「自身が扮装し作品の内側に入り込むことで新たな理解を生み出す」というコンセプトによって制作されています。

 2005年05月21日 〜07月02日に、Toyo Art Beat(TAB)で開催された森村泰昌の新作展「風刺家伝-ゴヤに捧ぐ」に展示されていた作品は、ゴヤの名作「ロス・カプリチョス(気まぐれ)」シリーズをパロディにした「ロス・ヌエボス・カプリチョス(新気まぐれ)です。
http://www.morimura-ya.com/gallery/2005/index.html

<つづく>


2008/03/07 
春庭ことばと文化>翻訳翻案インスパイア(2)
私は飛ぶ-あんたらが踏み台にされたのは自業自得だよ

 森村泰昌の『ロス・ヌエボス・カプリチョス』は、ゴヤの作品の持つ、「コメディ・笑い」「グロテスク・闇」「魅惑・美」という要素を組み合わせ、森村は現代社会を鋭く風刺するパロディを演出し、自らがゴヤの絵の人物に扮した姿を写し取っています。

 ゴヤの作品15点の場面が、戦争、経済、医療、複雑な人間の愛憎関係、ジェンダー、流行など、様々な現代社会の問題点をえぐり出す風刺作品としてよみがえり、哄笑、高笑い、大爆笑、苦笑いを生み出しつつ、現代人の心に訴える作品になっています。

 私は、講談社の広報誌『本』2007年12月号の表紙、森村泰昌の『私は飛ぶ・あんたらが踏み台にされたのは自業自得だよ』を見て、すっご〜い、と、思いました。
http://www.morimura-ya.com/gallery/2005/16.html

 ゴヤの版画集『気まぐれ』の第61作「飛んでいった」
http://www.city.himeji.hyogo.jp/art/digital_museum/meihin/kaigai/goya/caprichos/caprichos61.html

 ゴヤの「飛んでいった」と、森村の「私は飛ぶ・あんたらが踏み台にされたのは自業自得だよ」とのちがいは、「白黒の版画」か「カラーの写真アクリル仕上げ」かという違いもありますが、それ以上に、女が踏みつけている三人の穀物袋をかかえる男の姿が、「穀物ふくろを抱える拳」になっていたり、女の衣裳が、ゴヤの恋人アルバ侯爵夫人の肖像画の黒い豪華なドレスになっていたり、森村流の解釈がふんだんに持ち込まれています。

 アルバ侯爵夫人に捧げる(黒いドレスのアルバ)
 http://www.morimura-ya.com/gallery/2005/2.html

 美しい青空と白い雲の中を、穀物袋をひっしと抱きしめる拳を踏みつけて、悠々と飛んでいる森村扮するアルバ侯爵夫人。
 美しいし、笑えるし、風刺家森村の精神がとてもよく出ている作品だと思います。
 この踏み台にされている「拳」たち、どんな「自業自得」をやらかしたのでしょうか。

 森村の「翻案」は、「パロディ」や「翻案」にとどまらないものを生み出す作品だと感じました。

 ゴヤの『ロス・カプリチョス』を翻案した森村の『ロス・ヌエボス・カプリチョス』を見て、2006年9月に引き続き、「翻案、パロディ、インスパイア」の問題を考えていこうと思います。

<つづく>
 

2008/03/08
春庭ことばと文化>翻訳翻案インスパイア(3)
浦島太郎とオルフェウス


 1974年私の最初の卒論のタイトルは『古事記』でした。
 30余年前、私は、所属は日本文学科だったのに、文化人類学を専攻したくて、なんとか文化人類学に近いことをやりたいと思っていました。
 そこで、『古事記』を、「言語人類学」「比較神話学」のふたつの方向で読み直してみようと思いました。

 大林太良(おおばやし たりょう)の比較神話学を応用して、『日本神話の起源(1961)』『神話学入門(1966)』などを参考にしながら、古事記の冒頭の部分を自分なりに解釈した卒論をなんとかでっち上げました。
 しかし、指導教官の山路平四郎先生は、そのような方法で古事記を扱うのは文学部日本文学専攻の卒論としてはよろしくない、というお考えでした。

 「日本文学科の卒論なのだから、古典文学として古事記を扱うように」という講評で、成績は「良」におわりました。
 「優」でなかったことにがっかりして、その後、読み直すこともしていないけれど、たぶん、古代文学研究としても比較神話学研究としても不出来な、中途半端なものだったのだろうと、今では思います。

 山路先生(山路愛山の息子)には、「記紀歌謡の世界」や「万葉集」についてのすぐれた業績があり、今も尊敬してやまない大学者ですが、私は不出来な学生で終わりました。
 卒業後、先生からいただいた年賀状は、今も大切な宝物です。

 私がやろうしていた「古事記のエピソードと、各地の民話神話の比較」「比較説話学」に関する論文は、現在では、山のように出ています。

 今でも『古事記』に関わる本を読み続けています。2007年は、神野志隆光の古事記論を面白く読みました。漢字受容と「文字表記作品」として古事記を考察した『漢字テキストとしての古事記』、とてもおもしろかった。文字文化の伝播とひろがり、その変容。
 示唆に富んだ論でした。

 古事記だけでなく、各地にはさまざまな神話伝承があり、比較すると似通った説話が数多く見いだされます。
 神話や伝説のエピソードに、びっくりするくらい世界各地の伝承話が似通っていることがあるのです。

 「物語」は時空を越えて移動する。「物語、私は飛ぶ!」

 たとえば、万葉集に記載がある「浦島子のはなし」は、のちにおとぎ話「浦島太郎」になりますが、「浦島子」の類話は、アジア各地にあります。

 『古事記』の国生みの話は、アジアの各地に類話がありますし、いざなぎがいざなみを黄泉の国まで追っていく話は、ギリシア神話の『オルフェウス』によく似ています。
 (日本語で広まっているオルフェウスは、古典ギリシア語ではオルペウス。現代フランス語ではオルフェ)

<つづく>


2008/03/09
春庭ことばと文化>翻訳翻案インスパイア(4)

ユリシーズとオセロ


 このような類話は、各地独自に、同じような話が生み出される場合もあるし、なんらかの影響関係から、もとの話が各地に伝播していく場合もあります。

 坪内逍遥や南方熊楠が唱えた説に「百合若大臣はユリシーズの翻案」というものがあります。
 坪内逍遙はシェークスピア劇を歌舞伎や新派のために翻案するなどの劇作が多いし、南方熊楠は、古今東西の文献を網羅して脳内にしまっておくことのできた博覧強記の学者ですから、説得力があります。
 異論も、各種だされていますが。

 日本に中世から伝わっている説話『百合若大臣』。
 幸若舞などにもなっているから、織田信長も知っている話だったかかもしれません。

 主人公の百合若は、合戦から帰る途中、家来に裏切られて島に置き去りにされます。
 島を脱出し、苦労を重ねてやっと帰還。貞淑な自分の妻に言い寄っていた男たちを弓で射殺し、妻のもとに帰りました。

 『百合若大臣』あらすじは、ギリシアの『オデュッセイア』と、よく似ています。
 オデュッセウスのラテン語名「ウリッセス」で、英語名は「ユリシーズ」です。
 ただ、現在の研究では、直接に影響関係のある翻案だったかどうかは、まだ不明です。

 坪内逍遙ほか、明治の文学者たちは、ヨーロッパの文学を翻訳移入することに熱心でした。
 森鴎外が翻訳した『即興詩人』などは、元の話であるアンデルセンの原作よりもよほどすぐれた作品に仕上がっている、と、評判になったほどです。

 演劇でも、翻案ものは人気を博しました。
 たとえば、日本におけるシェークスピア演劇の嚆矢。
 1903(明治36)年、川上音二郎・貞奴夫妻によって『オセロ』が上演されました。

 オセロ音二郎、デズデモーナ貞奴の、日本初演のタイトルは、『正劇・オセロ』。
 舞台のセットはスコットランドでもヴェニスでもなく、台湾を舞台にした翻案劇として上演されました。

 女優のいない歌舞伎が中心であった日本の演劇界において、女優がはじめて人前で演じた作品としても重要な作であり、翻案シェークスピア劇の上演として演劇史に残ります。

 私の最初の専門は『古事記』でしたが、二度目の大学生活での専攻は「演劇人類学」「民族芸能学」なので、欧米をまたにかけた貞奴の生涯にもひときわ思い入れがあります。
 (ついでにいうと1993年の修論タイトルは、『現代日本語他動詞文の再帰構造について』、よくもまあ、くるくるかわったもんだ。私は飛ぶ!)

 この「欧米文学」の翻案、移入は、現代でも引き続き、日本の文化に大きなシェアを占めてきました。

<つづく>


2008/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>翻訳翻案インスパイア(5)
レミとネロ

 明治時代には、子どものための物語も、欧米からの翻訳物語や翻案ものが流行しました。

 『家なき子』のお話。少年レミが、苦労の末に実の母ミリンダ夫人に巡り会う「母さがし物」です。
 原作は1878(明治11)年エクトル・アンリ・マロが書いた "Sans Famille"。

 1903(明治36)年、読売新聞記者の五来素川が翻案し、「未だ見ぬ親」と題して発売されました。
 主人公レミの名は「太一」に、太一が8才まで育った「シャヴァノン村」は「関谷新田」となり、育ての母は「関谷新田のお文どん」。太一が売られた旅回り一座の「ヴィタリス親方」は「嵐一斎老人」、犬の「カピ」は「白妙丸」と、すべて日本を舞台にしたものとして翻案されています。
 
 この「太一の物語」につよく心を動かされた小学生が東北にいました。
 1905年、小学校3年生だった宮澤賢治は、担任教師だった八木英三教諭が教室で読み聞かせてくれたこの物語に深い感銘を受けました。
 後年になって、賢治は八木教諭に会った時、自分の童話創作の動機を次のように語っています。(堀尾青史『年譜 宮澤賢治伝』による)

 『 私の童話や童謡の思想の根幹は、尋常科の三年と四年ごろにできたものです。その時分、先生は「太一」のお話や、「海に塩のあるわけ」などいろいろのお話をしてくだすったじゃありませんか。その時私はただ蕩然として夢の世界に遊んでいました。いま書くのもみんなその夢の世界を再現しているだけです。 』

 翻案された欧米の児童小説が、東北花巻の小学生の心に残る。彼はその後『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』など、独自の作品をつぎつぎに生みだしていく。
 翻案小説が、他国に根を張り、それが新たな物語の種として育っていく、ひとつの典型がここに現れています。

1911(明治44)年には「大阪毎日新聞」で、菊池幽芳が同じ物語を「家なき児」という題名で発表し、1912年に春陽堂から発売されました。以後、この「家なき子」という題が定着しました。

 現代日本の『家なき子』ファンにとっては、アニメの「家なき子、レミ」です。

 このような「翻案」ものの中で、近年の傑作といえるのは、『フランダースの犬』です。
 原作は、イギリスの女性児童文学者ウィーダOuida(1839〜1908)の短編『フランダースの犬A dog of Flanders 』
 翻案作品は、テレビアニメ作品『フランダースの犬』、主人公は、ネロ少年です。

<つづく>


2008/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>翻訳翻案インスパイア(6)
パトラッシュ


 1975年1月5日から同年12月28日まで、フジテレビ系列の「世界名作劇場」枠で放映されたテレビアニメシリーズ『フランダースの犬』は、短編だった原作を、日本文化にうまく適合させて、長編アニメにしてあり、翻案として成功をおさめた作品のトップクラスだと思います。

 このアニメの大きな特徴はふたつ。
 主人公ネロの年齢が、原作では15歳、アニメでは10歳であること。 
 アニメの第1話〜40話は原作にはなく、アニメのオリジナルストーリーだ、という2点です。

 ウィ−ダの『フランダースの犬』とアニメ『フランダースの犬』の差は、シェークスピアの『オセロ』と、川上一座の『オセロ』の差より、はるかに大きい。
 主人公の名前や地名を翻案した『未だ見ぬ親』と『家なき子』より、ずっと大きい。
 この差を無視して、ウィーダ原作の読者受容とアニメ作品「フランダースの犬」人気を比較することはできません。

 ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成しました。

 読売新聞の特派員による記事(ブリュッセル=尾関航也)(2007年12月25日11時39分 読売新聞)
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 ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成した。

 物語の主人公ネロと忠犬パトラッシュが、クリスマスイブの夜に力尽きたアントワープの大聖堂で、27日に上映される。映画のタイトルは「パトラッシュ」で、監督はディディエ・ボルカールトさん(36歳)。
 制作のきっかけは、大聖堂でルーベンスの絵を見上げ、涙を流す日本人の姿を見たことだったという。
 物語では、画家を夢見る少年ネロが、放火のぬれぎぬを着せられて、村を追われ、吹雪の中をさまよった揚げ句、一度見たかったこの絵を目にする。そして誰を恨むこともなく、忠犬とともに天に召される。

 原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。
 米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。 悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。

 ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。

 プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36歳)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。

 上映時間は1時間25分。使用言語は主にオランダ語で、日英の字幕付きDVDが今月(2007年12月12日)からインターネットなどで販売されている。
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<つづく>


2008/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>翻訳翻案インスパイア(7)
ネロとアロア


 日本人が涙を流すほとんどは、ウィーダの原作を読んでのことではなく、アニメ「フランダースの犬」を見てのことです。
 アントワープの大聖堂でルーベンスの『キリストの降下』の絵を見て涙を流す日本人観光客の何人がウィーダの原作を読んでいるかは、不明なのです。

 私自身、原作を読んだのは小学校のころであり、それから一度も読み直さなかった。
 今回のことがあって、50年ぶりに読み返しました。

 岩波少年文庫『フランダースの犬』、すぐに読み終わった。短編だから。
 文庫95ページ分の、あっという間に読み終わる作品です。

 アニメ作品は1年間52話が放送されましたが、そのうちの原作相当部分は42〜52話だけなのです。
 
 もし、原作通りにネロとパトラッシュの物語がアニメになったとしたら、これほど多くの人々が「もっとも心に残るクリスマスの物語は、大聖堂でルーベンスの絵を見上げてほほえんで死んでいくネロとパトラッシュ」という気持ちを持ち続けたかどうか、疑問です。

 原作ではネロは15歳になっています。
 一方、アロアは原作では12歳。

 原作が書かれた当時のヨーロッパで、15歳というのは、庶民階層の男の子が自立してしかるべき年齢です。自分の人生を自分で開拓していくべき少年期から青年期への移行期間にあたっています。

 翻訳されて日本に移入された明治の日本でも、15歳はけっして「子ども扱い」される年齢ではありません。中学校への進学率はまだ低く、12歳で小学校を卒業したあとは、一人前の労働力として期待されました。

 また、ネロが15歳だとすると、12歳のアロアとふたりだけで親しくすることを心配する親の気持ちもわかり、アロアの父親が、ネロに苦言を呈するのも頷けます。
 年頃の娘をもった父親なら、15歳の男の子が自分の娘と二人でいっしょにすごすことを快く思わず、「うちの娘とつきあうな」と言うでしょう。

 アニメでは、アロアは8歳に設定されています。ネロの年齢は、15歳ではなく、アロアより2歳年上の10歳になっている。
 この年齢設定の意味は大きい。
 10歳は、まだまだ自立するにはむずかしい年齢であるし、アロアとふたりっきりですごしていても、引き裂かれなければならない年齢には思われない。

<つづく>


2008/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>翻訳翻案インスパイア(8)
フランダースの犬


 第1話から40話までの「日本のフランダースの犬、オリジナルストーリー」は、とても良くできています。
 ラストの悲劇に向かって、10歳のネロのけなげさ、パトラッシュとの絆に、涙しない人は「人非人」であるぞよ、これでもかっ!っていうくらいに、盛り上がっていく。

 原作でもアニメでも共通していると思われるのは、ネロが識字教育を受けているのかどうか不明である点。原作の設定では、おそらくネロは字が読めない。
 ウィーダの生きた時代19世紀、学校教育を受けて字が読める層と、読めない層の階層差は、現代では考えられないくらい大きなものでした。

 ウィーダの時代の考え方によれば、中産階級の子弟なら、学問を身につけて己の社会的地位を獲得すべきだし、土地財産をもたない下層階級の子どもなら、手に職をつけ一人前の職人になるなどの「自己形成ビウドゥングス」が必須のこととされていました。

 絵が好きなら、マイセン陶器などの絵付師に弟子入りするとか、タペストリーの下絵職人の親方の下で働くとか、なんとかツテを求めて、手に職をつけるよう家族がはかるところだったでしょう。
 
 しかし、原作では、15歳のネロの唯一の家族ジェハンおじいさんは、物語の最初からすでに寝たきりの老人で、ネロの将来のために何かしてやれることがでる状態ではない。
 老人は、ネロのためにコゼツ旦那に下げがたい頭でも下げるとか、教会が嫌いでも牧師に頼み込むなりして、ネロを徒弟奉公に出すよう、しておくべきだったのでしょうが、そうする前に病にたおれたのでしょう。

 この物語の舞台になっているベルギーでも、作者の国イギリスでも、この物語があまり受けなかったのは、キリスト教国において、教会コミュニティが機能せず、みなし児のネロのために周囲のコミュニティが何もしてやらないというストーリー展開に共感できない人も多いからではないでしょうか。

<つづく>


2008/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>翻訳翻案インスパイア(9)
負け犬


 「フランダースの犬」の作者ウィーダは、ヴィクトリア王朝の時代の英国女流作家です。 ウィーダが作品を発表したころは、女性がようやく社会に進出できるようになった時代でした。

 女性の社会進出には、女性も識字教育を受けるようになったことの影響が大きい。読み書き能力(リテラシー)は、社会進出の第一の手段です。

 ヴィクトリア朝以前の英国女性の識字率はとても低かった。
 農民男性の識字率の低さより、さらに農民女性は低い識字率でしたし、貴族階級の女性は「右筆(ゆうひつ)=貴人のために読み書きをして仕える使用人」を雇うことが貴族女性の証だから、自分自身が文字の読み書きをする必要はなかった。手紙も領地の相続に関わる公文書も、信頼できる有能な右筆に口述筆記をさせれば間に合ったからです。

 例をあげるなら、イギリスの名家ライル卿夫人の娘アン・バセット。
 彼女は、ヘンリー8世の3番目の王妃ジェーン・シーモア(世継ぎのエドワード6世を生んで1ヶ月後に死去)に使えた女官であったけれど、「自分の名前しか書けない」と述べています。手紙は従者に口述筆記させていました。

 私はこの事実を、スーザン・W. ハル『女は男に従うもの?―近世イギリス女性の日常生活』 (刀水歴史全書)で数年前に読み、びっくりしたものでした。貴族階級の女性は高い教育を受け、読み書きできるとばかり思いこんでいたからです。

 ヘンリー8世の娘エリザベス1世は、数カ国語に堪能で読み書き能力にもすぐれていたと言われていますが、そのため彼女は、「幸福で平凡な結婚生活」ではなく、「国家との結婚」を選択することになりました。

 イギリスの識字女性は、上級階級でも下層階級でも少数派でした。
 読み書き(リテラシー)能力が必要だったのは、中産階級の女性のごく一部、貴族の家に住み込んで家庭教師として働かなければならないような階級の娘に限られていました。たとえば、ジェーン・エアのような。
  
 ヴィクトリア朝に至って、ようやく女性たちは文字を読み書きすることで社会進出をはたすようになりました。

 『フランダースの犬』の作者ウィーダもそのひとりです。
 ただし、ウィーダは、この時代の「自立した女性」がそうであったように、生涯結婚しませんでした。
 小説家として華々しい活躍をしたあと、晩年は孤独と貧困のうちにひとりぼっちで死にました。

 『フランダースの犬』が、アメリカでは映画化のたびに「ハッピーエンド」の物語に書き換えられたことと、ヨーロッパでは「負け犬のものがたり」としか受け取られてこなかったことは、同じひとつの考え方の表裏です。

<つづく>


2008/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>翻訳翻案インスパイア(10)
滅びの美学


 ウィーダの思想のなかには、抜きがたい階級意識が存在していたと考えられます。
 当時の中産階級の女性として、自分が「下層階級ではない」と意識することは「自分は男性ではない」と思うのと同じ、当然のアイデンティティであったことでしょう。
 下層階級の人々の生活を小説にするという場合、そこには当然「上から目線」での見方が存在します。

 下層階級のネロを主人公にした小説が書かれた時代には、「上層階級」「中産識字階級」と、「下層非識字階級」との間に、現在では想像しがたい階級差があったことを忘れることはできません。

 ウィーダの視点が「だれからの援助もうけられない運命をたどったネロ」「はい上がることを拒絶された下層民のお話」という目線のもとに執筆されたことを、現代の視線でとやかくいうことはできないでしょう。

 そして、このお話が「はい上がろうとする下層階級」からみても、「能力に応じて自力で将来を切り開けと育てられた中産階級」からも、「下のものたちを指導し援助すべきノブレスオブライジを負う上層階級」からも、共感の得られないお話だったことも理解できます。

 日本に「フランダースの犬」が翻案移入された時代、20世紀初頭の日本は「立身出世欲」が最高に盛り上がっていた時代でした。
 華族士族平民の差はあったものの、士族であれ平民であれ、学校教育において能力を発揮すれば、立身出世が望める時代でした。

 貧しい者が勉学の機会を得るには、@軍に入る、A授業料無料の師範学校に入る、B故郷出身の成功者の家に「書生」として住み込む、など、いくつかの方法がありました。
 歌人斎藤茂吉は、Bを選択し、斎藤家の書生になりました。私の夫の伯父や伯母は、Aを選択し、教師になりました。

 下層民出身のネロが、そのような立身出世を機会を得られなかったことに、同情こそすれ、「上から目線」で気の毒がる、という風潮ではありませんでした。

 なぜ日本で「フランダースの犬」が同情を集め、日本だけでこれほど多くの人々に愛される物語となったのかを、検証したのがベルギーのドキュメンタリー映画『パトラッシュ・フランダースの犬』です。

 映画『パトラッシュ』では、100人以上の人へのインタビューや、明治から今までの日本での「フランダースの犬」の翻訳本を検証し、「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけました。

 古くは、権力争いに負け九州太宰府に流された菅原道真、諸行無常の『平家物語』に描かれた木曾義仲、判官義経などの滅び行くもののふの姿。
 天下統一に王手をかけながら、本能寺の炎の中に49歳をもって滅亡した織田信長、明治の新天地を目前にしながら、暗殺された坂本龍馬など、敗北者にこそ、自分たちの心情を託す日本文学の美学が、「アニメ・フランダースの犬」の翻案に大きな影響を与えたことは確かだと思います。

<つづく>


2008/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>翻訳翻案インスパイア(11)
パトラッシュ昇天


 ここで、もう一度ネロの年齢を確認しておきましょう。
 日本の「パトラッシュ人気」は、あくまでも1~41話のお話がつづいたのちの、10歳のネロが死ぬラストの悲劇にあります。

 ウィーダの原作によって物語が進行し、15歳のネロが力つきたのだったら、日本人も、ここまでネロとパトラッシュの悲しいラストシーンに共感をよせなかったのではないか、と思われます。

 ネロの悲劇は、「10歳という設定」と「1〜40話」のオリジナルストーリーの上に成り立っていること、ウィーダの原作と日本のアニメ「フランダースの犬」の差は、シェークスピアの「マクベス」と黒澤明の『蜘蛛の巣城』、また、黒沢の『七人の侍』とマカロニウェスタン『荒野の七人』の差以上に大きい。

 ヨーロッパで「負け犬」の物語とされてきた『フランダースの犬』が、ここまで日本人の琴線を揺るがしたのは、この翻案の年齢設定の絶妙さによると思います。

 最後に、日本のアニメの翻案で、欧米キリスト教圏の人の考え方ともっとも大きく違うところ。それは、パトラッシュの昇天です。

 アニメの、天使たちに守られながら天へ登っていくネロとパトラッシュの姿は、「負け犬」などではなく、「ちからいっぱい戦い、生き抜いた末に、力つきていくもの」の美しさを持っていました。

 その犬と少年の姿の荘厳さがあるからこそ、「アニメ名場面集」という特集が組まれれば必ず上位に「ルーベンスの絵を見て死んでいくネロとパトラッシュ」が選ばれるのです。
 パトラッシュをいっしょに連れていかないでは、ネロのラストのほほえみは考えられません。

 ここで確認しておくべきこと。
 キリスト教国では、人間と犬がいっしょに昇天することはできません。犬と人が同時に天に昇っていく図柄は、不自然なものです。

 キリスト教では、犬には霊(人格)があるとは考えません。犬に魂や「心」はあるとしても、神のみもとへ召される霊はないのです。
 日本語では「霊魂」といいますが、キリスト教では霊と魂は別概念です。
 人間は、体に現された魂と、不滅の霊の息吹が吹き込まれた体とが、一つになった「神の神殿」とみなされ、その意味で、神の霊が宿るのは人間のみ、と考えられているのです。

 日本アニメの翻案のうち、もっとも「日本的な絵」は、この最後の「パトラッシュ昇天」であり、犬の霊が人とともに天使にむかえられるというところだ、と私は思います。

 このラストシーンは、「一寸の虫にも五分の魂」の仏教思想が反映されています。一寸の虫に五分の魂ならパトラッシュには50cmの霊魂です!

 つまり、ルーベンスの『キリストの降下』の絵を見たあと、ネロは微笑みながら、パトラッシュとともに、阿弥陀様のいる極楽へ迎え入れられているのでした。
 犬を差別しない阿弥陀様お釈迦様、のたまふ♪ようこそ!ここへっ、ルッルルール。わたしのパトラッシュ!

 以上、翻案という作業が、森村泰昌の「新気まぐれ」も、アニメ「フランダースの犬」も、ふか〜い思いによってなされていることを概観しました。

 パトラッシュ、いっしょに飛んでいこう!あんたらが踏み台にされたのは、自業自得だヨッ!!
 って、誰が踏み台やねん。

<おわり>
翻案盗作パロディ・オマージュ
2006/09/16 土
ことばのYa!ちまた>翻案盗作パロディオマージュ(1)
シェークスピアもパクリ名人

 王子小劇場で2006年8月に「ジャンジュネ女中たち〜」を上演した田口アヤコさんは、2006年の1月に、同じ王子小劇場で「性能のよい〜シェイクスピア作『オセロー』より」という劇作品を上演している。

 ムーア人の将軍オセロが、妻の不倫を疑い、嫉妬に狂ってついに妻を殺す話と、島尾敏雄の妻ミホが、夫の不倫への嫉妬から狂気に陥る過程を描いた『死の棘』をコラージュした作品。
 もとの「オセロ」のストーリーやセリフが出てくるが、あくまでも「田口アヤコの作品」である。

 シェークスピアは、世界中でもっとも多く「翻案」された作家であろう。
 今月のテーマとして「翻案、パロディ、盗作、贋作」などの問題を考えてみたい。

 翻案劇の場合、セリフは元のまま、シチュエーションや時代を変えるのみ、というのもあるし、オリジナル戯曲の骨格を生かしてはいるが、元の劇とはガラリとちがう演出にすることもできる。

 数多くの翻案劇や映画を生みだしてきたシェークスピアの劇。
 シェークスピアにオマージュをおくりつつ、翻案劇が新たな作品となって生み出されてきた。演劇に新たなページが加わるのだ。

 シェークスピアの戯曲そのものも、多くは翻案作品である。16世紀の終わりから17世紀の初頭の巷に流布していた小説や他の劇場の作品を土台に据えて、シェークスピアが書き換えたもの。
 シェークスピア自身が、パクリの名人だった、というわけである。
先行作品について、シェークスピアの元になった原作研究がさまざまになされている。

 シェークスピア四大悲劇のひとつ『ハムレット』は、正式名称は「デンマークの王子、ハムレットの悲劇(The Tragedy of Hamlet,Prince of Denmark)」
 デンマークに実在した王子ハムレットのお話。

 デンマークでは「ハムレット王子の話」は、よく知られていた。12世紀のデンマークの詩人サクソ・グラマティクスによる『年代記』によって西洋社会に流布し、1576年のフランス版のブルフォレ編集「悲劇大成」にも入れられている。

 「悲劇大成」から「原ハムレット」というべき「ハムレット悲劇」がたくさん作られ、上演されてきた。
 シェークスピアが直接パクッたとされているのは、トマス・キッドが書いた話であろうと研究者は言う。

<つづく>
09:00 |

2006/09/17 日
ことばのYa!ちまた>翻案盗作パロディオマージュ(2)
シェークスピアの翻案

 女王エリザベスT世は、大の演劇好き。
 グローブ座の座付き作者シェークスピアは、1600年、日本では関ヶ原の戦いがあった頃、「ハムレット」を書いていた。

 トマス・キッドは、ブルフォレ編集「悲劇大成」の中の「ハムレット物語」を改作し、シェークスピアは、キッドの作品をもとにして、あの「To be or not to be, that is the question」と悩むプリンスを造形した。

 「ハムレット」より少し前1595年に書き上げたのが、『ロミオとジュリエット』
 この若い恋人たちの悲劇も、先行作品が数多く指摘されている。ギリシャ古典や西欧伝承物語に似た話はたくさんある。
 シェークスピアが直接に種本としたのは、アーサー・ブルックの物語詩『ロミウスとジュリエットの悲しい物語』(1562年、イギリス)とされている。

 シェークスピアの劇作品は、さらにたくさんの翻案作品に受け継がれた。
 『ウェストサイドストーリー』は、ニューヨークダウンタウンのチンピラグループ版『ロミオとジュリエット』だし、黒沢明の『蜘蛛巣城』は、『マクベス』の翻案。

 「ウェストサイド」は、「ロミオとジュリエット」とはまた別の深い感動を与える作品になっているし、蜘蛛巣城も、単なる翻案・リメイクなどという範疇を越えた、独自の作品である。

 シェークスピアからの翻案以外にも、昔の日本映画には、洋画のそっくりパクリシナリオがたくさんある。

 その逆に、日本映画を翻案した洋画として有名な作品もある。
 黒澤明の『七人の侍』を西部劇にした『荒野の七人』の場合は、黒沢側の原作権が認められ、黒沢やシナリオライターに、原作料が支払われている。

 『用心棒』もそっくりパクられて、『荒野の用心棒』になった。
 実は、黒沢明の『用心棒』は、ダシール・ハメットの『赤い収穫』(『血の収穫』というタイトルもある)を原案としていることが指摘されている。
 しかし、原案からストーリーの着想をえるのと、キャラクター設定や映画のシーンをそっくり真似るのとは次元が異なる。

 J・ルーカスの『スター・ウォーズ』。黒沢明『隠し砦の三悪人』からヒントを得た「オマージュ作品」であると、ルーカス自身が語っている。
 お姫様を救い出そうとする農夫二人組(千秋実と藤原釜足)が、おたがいにののしりあいながら荒野を歩くファーストシーン。『スター・ウォーズ』のロボット R2D2と C3POがケンカしながら歩くシーンにそっくり再現されている。
 これは、「オマージュ」として、許されている。

<つづく>
09:31 |


2006/09/18 月
ことばのYa!ちまた>翻案盗作パロディオマージュ(3)
レオとシンバ

 アニメーション映画『ライオンキング』について。
 手塚プロダクションのアニメ『ジャングル大帝レオ』は、アメリカ放映用『Kimba the White Lion』としてNBCテレビから配信された。
 ディズニーのアニメ『ライオンキング』が、手塚治虫の『ジャングル大帝レオ』にそっくりなことは、見た人だれもが気づく。翻案以上のそっくりさん。

 しかし、手塚側は「手塚作品が、あの大ディズニー社に模倣されるほどになったのは、名誉なこと」として、著作権侵害を申し立てなかった。

 黒澤明が、自作の『七人の侍』への著作権侵害として『荒野の七人』を訴えたのに比べると、手塚はなぜこれほどの「パクリ」に対して「まねされて光栄」なんてことばでおしまいにしたのか。このこと、私は長い間納得できないでいた。

 2006年6月3日に、「千葉大学で発見されたディズニー・アニメーションオリジナル画」という講演会が、日本写真学会創立80周年の催しとして行われた。

 スタジオジブリのプロデュサー田中千義氏、手塚治虫の弟子にして東京工芸大学アニメーション学科教授月岡貞夫氏、絵画修復の専門家岩井希久子氏の講演を聞くことができた。
 千葉大学けやき会館での講演、それぞれの話がとても面白かった。

 その中での月岡氏が、手塚治虫とディズニーアニメの「模倣とオリジナル」の関係についてのエピソードを語っていた。
 手塚の漫画執筆を身近に知り、手塚から学び続けた月岡氏の語るエピソード、面白かった。

 月岡氏は、小学生のころから手塚に自作アニメを送り続け、高校2年生で、手塚の助手となった。
 アシスタントを続けながら手塚から学び取ったことを消化し、自分のオリジナル作品をうみだしてきた。月岡のアニメーターとしての代表作は、NHKみんなの歌『北風小僧の寒太郎』の歌とともに流れるアニメーション。

 初期の手塚作品についての、月岡の語るエピソード。
 戦後すぐに出版され、長い間絶版となっていた手塚漫画の中には、ディズニー社の初期アニメーションを、そっくり翻案した作品が含まれている。

 月岡氏の講演を聞いて、びっくり。手塚治虫が、ディズニーアニメのストーリー展開やキャラクターの付け方、画面構成などから、多くを学んで自分の作品に消化したことは、研究者が指摘してきたことだが、直接の翻案作品があることは、意外だった。
 長く封印され、絶版のままだったのだから、一部の研究者以外には、知られていないことだったのだろう。

<つづく>
10:11 |

2006/09/19 火
ことばのYa!ちまた>翻案盗作パロディオマージュ(4)
アトムとミッキー


 あの、鉄腕アトムにしてからが、ミッキーマウスを手塚流にアレンジした結果生まれたキャラクターなのだ、と、月岡は解説する。
 ロボットの頭部として不必要な形、あのアトムの黒く突き出た耳。あれはミッキーマウスの耳の変形なのだって。

 「ライオンキング」について、手塚治虫は著作権侵害を申し立てなかった。
 そのことへの謝意によるのかどうかはわからないが、ライオンキング以後、ディズニー社は、ディズニーアニメからの翻案による手塚の初期作品を復刻出版することに対して、異議申し立てをしなかった。

 子供が描いたミッキーマウスを広告チラシに使っても、「著作権侵害」の訴訟を起こしてきたディズニー社が、手塚のディズニー翻案作品の復刻出版に何も言わないということは、異例のこと。

 手塚はウォルト・ディズニーの初期アニメーションに学んだ。ディズニー社は手塚治虫のアニメーション『鉄腕アトム』が、『アストロボーイ』として放映されたり、『ジャングル大帝レオ』がアニメ化された「ホワイトライオン・キンバ」に触発された。両者は互いに影響し合ってきた。
 
 「そうか、手塚がライオンキングを訴えなかったのは、互いに影響を与え合った関係として、認め合う部分があったからなのか」と、これまでの疑問が氷解した。
 手塚にとって、ライオンキング原作料を裁判で勝ち取る以上のもの、漫画やアニメーション制作の方法をディズニーから得ており、「まねされるのは光栄なこと」という手塚の気持ちは本当だったのだ。

 ディズニー側からの日本側関係者へのことば。「ライオンキングが『Kimba the White Lion』からの直接の模倣」という点に関しては否定しつつも、手塚治虫の業績を認め、手塚へ敬意を表する旨が発表されたという。

 オマージュの交換!互いの作品の価値を認め合い、たたえ合うこと。
 創作者にとって、自分自身のオリジナリティを確認し、それが価値あるものとたたえられることは、なにより大切なこと。

 昨今マスコミをにぎわした「盗作」騒動。画家の和田義彦氏。
 日本ではまったく無名であったイタリア人画家アルベルト・スギ氏の作品から盗作をしたとして、文部科学省の芸術選奨や東郷青児美術館大賞の受賞を取り消された。
 和田氏は、「これは盗作ではない、オマージュである」と、主張した。

 牧野光永氏の『文化史検証 オマージュとパクリの境界線』を興味深く読んだ。
 「和田義彦氏によるアルベルト・スギ氏絵画作品の盗作問題」に関し、牧野bbsに投稿したことをきっかけとして、思いめぐらしたことを、メモしておく。

<つづく>
08:05 |


2006/09/20 水
ことばのYa!ちまた>翻案盗作パロディオマージュ(5)
ひげをつけたモナリザと髭をそったモナリザ


 牧野光永氏がOCNカフェサイトに発表した『再考・オマージュとパクリ 同じ盗でも』(2006/06/11)http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/mackychan/diary/200606#11
への感想として、牧野サイトbbs「女神を追い求めて」へ投稿した春庭コメント再録する。
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3682.ひげをつけたモナリザと髭をそったモナリザ
名前:HAL 日付:6月11日(日) 14時9分

 「ダビンチコード」のルーブル。
 モナリザのまわりに群がる観光客たち、展示されているのが複製であっても、いっこうに気づかず、見続けるだろう。
 本物かどうか、なんてことより、有名なルーブルにやってきて、有名なモナリザやミロのビーナスといっしょの空間にいるってことが大事なんだもんね。

 マルセル・デュシャンはモナリザに髭を書き加えて「髭をはやしたモナリザ」と題し、自分の「オリジナル作品」として発表した。
 さらに元のモナリザ複製画に「髭を剃ったモナリザ」と題して発表。これは、まあ、パロディ精神だろうね。

 R・Mutという署名した便器に「泉」とタイトルをつけて展覧会に出品しようとしたデュシャン。R・Mutとは、便器メーカーの会社名なのだ。

 デュシャンの「泉」は、「20世紀にもっともインパクトがあった作品」の一位に選ばれた。二位はピカソ。

(後注:立体派の巨匠を押さえて、便器にサインしただけの「泉」が一位!
 「泉」が提起した「創作とオリジナリティ」への衝撃がいかに大きかったか。
 20世紀から21世紀が「創造」「模倣とコピー」を再考すべき時代になったことを、皆感じ取っていたからこその一位であろう。)

 昨年のゴッホ展で見たゴッホによる浮世絵の模写、渓斎英泉の『花魁おいらん)』を同じ構図でえがいた油絵。これは、まさしくゴッホのタッチでゴッホの作品になっていた。これは盗作と呼ばない。浮世絵への「愛」がたっぷり感じられました。
 まっき〜さんの語る、作品への愛、オマージュです。

 和田氏の作品、新聞雑誌にスギ氏の作品とふたつ並べてあったものには、このような「愛」が感じられなかった。

 23点もの「まったく同じ構図、同じような色彩とタッチ」で描かれたものを「オリジナルについての考え方が異なる」と、和田氏が弁明するのは、無理があった。

 スギ氏側の談話。
 「和田氏は、自己紹介で自分はスギ作品のファンであると述べたのみで、自分も画家であると、ひとことも言わなかった」
 これが、事実であるなら、絵画のオリジナリティうんぬんの談義以前の問題があると言えるでしょうね。

 スギ氏側の一方的な談話であり、スギ氏の発言に対して、和田氏がどういう弁明をしたのかは不明だが、「自分は画家として自己紹介した」という和田氏の弁明が報道されないままであることからみて、やはり芸術家の態度として和田氏がとった行動はフェアではないと感じる。
 自分自身が画家である人が、他の画家のアトリエを訪問して、自分が画家であることを一言も言わずに他者の作品の写真撮影をしたというのは、どう考えてもおかしい。

<つづく>
07:59 |

2006/09/21 木
ことばのYa!ちまた>翻案盗作パロディオマージュ(6)
盗作と盗撮と盗塁


(まっき〜bbsつづき)
 これほど和田氏ひとりを叩いてよい問題か、と言う部分。
 美術のプロが審査をして文部科学省が賞を与えた。しかも「盗作である」という投書が続いていた人物の作品に賞をあたえた文部科学省側の関係者を守るためには、彼ひとりを悪人にするしかないわけで。

 でも、これで、音楽コンクールの入賞も、絵画工芸の入賞も、所詮、人間関係で決まるということ、作品に賞のハクをつけるには、コネクションがなにより大事、ということを世間が知ったのなら、今回の騒動よかったのかも。

 二科展などの有名公募展に初入選するには、有力役員の弟子として長年忠節に励むか、芸能人有名人になって名前を売ってから絵を発表するか、どちらかだと言われていますしね。

 2チャンネルとか、インターネットのネタは、玉石混淆ではあるけれど、一般市民のわれわれが、マスコミ発表やら大本営発表やらだけの報道ではなく、さまざまなソースから情報を選べるようになったのは、ありがたいことです。
 日本ではまったく無名だったスギ氏の作品と和田作品が酷似していることに気づいた人がいたのも、スギ氏がホームページを公開していたからでしょうかね。

 まっき〜さんの力作「オマージュとパクリの境界線」を読んできて、和田騒動をどう見たか、知りたかった。
 和田作品に関して
「その愛を表現する術が、あまりにも直接的に過ぎた、ということでしょうか。」
というまっき〜さんの受け取りかた、私には寛容すぎるように思えます。表現をめざす者としてのまっき〜さんのやさしさとは思いますが。

 和田作品、オマージュというには、毒がありすぎた。

 私は、「盗作である」と指摘した投書をだれが把握し、だれがにぎりつぶし、だれが「賞を与えた責任」をとるのか、興味があります。

 マスコミがたたくなら、賞を出したほうを追求してほしいけれど、たぶんそうはならないでしょう。
 裸にさせられた王様和田義彦をたたくのはかんたんだけど、文部科学省やらその他の「まだ権威と権力を保持している」側をたたく気力は、マスコミにはない。 
=======================

 盗作も、盗撮も許されません。
 盗撮で逮捕有罪となった大学教授が今月13日には痴漢でまた逮捕されましたが、もう、どうしようもないセンセがいたもんです。

 ま、盗んでいいのは、野球の塁だけってことですね。

<つづく>
00:10 |


2006/09/22 金
ことばのYa!ちまた>翻案盗作パロディオマージュ(7)
模写とオリジナル


 まっき〜bbsに書いたように、昨年2005年のゴッホ展、渓斎英泉の『花魁おいらん)』を同じ構図でえがいた油絵を見た。
 模写しているはずが、まぎれもなくゴッホ自身のタッチによって、独自の絵になっている。

 今年2006年の「若冲と江戸絵画展」でみた若冲の「猛虎図」。
 若冲が虎の絵の中に「ほんとうは写生すべきだが、虎は今日本で見ることができないので、中国の絵を見て描いた」と、ことわり書きを書き込んでいる絵があった。
若冲画「猛虎図」
 http://f.hatena.ne.jp/jakuchu/20060514084133

 江戸の絵師たちは、せっせと先輩たちの絵を模写し、また、中国渡来の絵を模写して腕をみがいた。
 若冲が模写した中国絵画は、5000点にのぼるという。
 
 中国・明時代の画家、文正の鶴の絵を模写した若冲の絵。また、猛虎図のもとになった中国絵画の虎の絵と、若冲の虎の絵2点を見比べてみると。
http://park5.wakwak.com/~birdy/jakuchu/variety/mosha.html

 絵の技法の細かいところは私にはわからないが、毛並みの描き方や顔の描写、全体の輪郭が、模写を抜け出て、若冲自身の表現になっているという解説を読むと、ほう、なるほどと思う。

 和田氏が、「オリジナルについての考え方がちがう」と主張しているのは、このような「模倣からオリジナルへ」という伝統的な絵画技法をふまえて述べているのだろう。

 たしかにスギ作品と和田作品は、そっくりではあるが、模写ではない。構図はほとんど同じだが、色彩やタッチは似てはいるがすべて同じではない。

 しかし、和田が「オマージュ作品」というなら、オマージュのもとになった人の名や作品を公表すべきではなかったのか。
 「オマージュ」は自らが尊敬する人に対するもの。その尊敬する画家の名を伏せ、「スギ作品をもとにして書いた」ことを隠し続けた、それがオマージュの態度であろうか。
 「オマージュ」とはうらはらに、スギ氏の名を隠し続けたこと、どんな弁明をされても理解できない。

 5000点の中国絵画を模写した若冲が、中国の虎図をもとにして虎を描いた絵を世間に出すとき、「写生すべきだが、虎がいないので、中国の絵を見て描いた」と、きちんと自分の絵の中に書き残しているのだ。

 和田氏に「これは、盗作ではなく、自分なりにオリジナルを加えた絵」という自負があるなら、若冲が書き込んだことばのように「これは、イタリアのスギ氏の絵をもとにしている」と、最初から正直に公表しておけば、よかったではないか。

 それをせず、ましてやモチーフのもとになったスギ氏に対して、自分も画家であることや、スギ氏の絵のモチーフを利用して絵を描いたことを一言もことわらなかったことは、200年前の若冲に比べて、「絵師の良心」に劣ると感じられてしまう。

 以上、「和田スギ問題」について、思ったことのメモでした。

 ゴッホが渓斎英泉の模写をした作品は「ゴッホの作品」として認められるのに対して、元モーニング娘。の安倍なつみの作詞盗作は、アイドル生命おわりかという糾弾を受けたし、オレンジレンジの楽曲コラージュは、「似てる曲をさがせ」のお祭さわぎになった。

 絵画、音楽、言語作品などジャンルによって盗作、パロディ、オマージュへのとらえ方がそれぞれが異なる。

 音楽のオリジナリティとパロディ、文学のオリジナリティとパロディは同一平面上では語れないし、漫画と映画も同じ土俵で「パロディかオマージュか」と解釈できない。

<つづく>
00:00 |


2006/09/23 土
ことばのYa!ちまた>翻案盗作パロディオマージュ(8)
本歌取り

 日本語言語文化の中で、特に短詩文、短歌俳句川柳などは、先行作品を自作の中に取り込んで、新しい作品を作ることが、行われてきた。「本歌取り」という。

 平安時代、日常会話の中にも、先行和歌作品の引用をちりばめる「引き歌」が行われ、元の和歌を知らなければ、会話が成り立たなかった。
 引用によって自分の気持ちを表現したり、依頼をしたり、「先行作品によって会話する」という日常生活。

 発話する側は、相手が自分の引用した和歌や漢詩の一節を理解する力があるかどうかを吟味しながら、いいかえれば相手の教養のレベルをはかりながら会話を続ける能力を要求された。

 相手に理解できない引用をしても無駄であり、相手に恥をかかせることになってしまう。引用の手腕がその人自身の会話能力や人格さえも示し、本歌取りができないなら、手紙で用件を伝えることも難しかった。
 (あらま、こんな時代に生まれていたら、わたしなぞ、手紙もメールもできないわっ、って、紫式部はメールは出さなかったよね。絵文字メールですませられる時代でよかった)

 「本歌取り」は、短歌から短歌への本歌取りもあるし、初期俳諧は、短歌の本歌取りパロディの百花繚乱だった。

 若いころの芭蕉も、短歌の本歌取り俳諧を作ってきた。
 芭蕉の句「うかれける人や初瀬の山桜(続山の井)」は、「憂かりける人を初瀬の山颪激しかれとは祈らぬものを」をもじった俳諧である。

 文学の場合、オリジナル作品と比較して、新しいと感じられる部分が確立できているかどうか、が、判断の分かれ目になるだろう。

 日本語言語作品のうち、演劇の場合も、先行作品をもとにして新しい作品を作ることが行われてきた。
 能狂言、歌舞伎では、先行作品を取り入れるのは、当然の劇作方法。
 その一例をあげれば、能の『安宅』を歌舞伎作品にしたのが『勧進帳』。
 近代演劇、現代演劇でも、翻案劇はたくさんある。

 作者死後50年以上たっているなら、著作権は消滅する。引用も翻案も自由に使える。
 死期50年たっていなくても、ストーリーを借用することは、可能だろう。
 ただし、借用したストーリーでオリジナル作品として認められるものを書き上げるには相当な力量を必要とする。

 この論の冒頭に紹介した田口アヤコの「オセロ」翻案の劇、またそのまえに紹介した「女中たち」の翻案劇は、たいへん才気あふれる作品となっていたと思う。

<つづく>
00:31 |

2006/09/24 日
ことばのYa!ちまた>翻案盗作パロディオマージュ(9)
狂歌とパロディ


 日本語の言語文化として「本歌取り」をあげた。
 本歌取りが行われた初期の作品、紀貫之(注1)の歌の例。
「三輪山をしかも隠すか春霞 人に知られぬ花や咲くらむ」(古今和歌集)
 この歌は、額田王(注2)の歌を本歌にしている。
「三輪山をしかも隠すか雲だにも 心あらなもかくさふべしや」(万葉集巻一)

 古今集以後、本歌取りは和歌の修辞のひとつとして発展をとげ、鎌倉初期成立の『新古今和歌集』になると、本歌取りの見本帳のようになっている。
 藤原定家(注3)は、本歌取りの心得として、「本歌を利用する場合、本歌がだれにもわかるように使うこと」「本歌に自分独自のアレンジを加えた作になっていること」をあげている。(毎月抄)

 定家の考え方は、現代における「知的著作物の著作権」「引用と、コピー・盗用の境界線」の法的考え方と、一致している。

 狂歌や川柳は、本歌をおもしろおかしく改作する「パロディ精神」にあふれている。
 庶民はこのパロディで溜飲を下げたり、「お上」への批判をうまくやりとげたりしてきた。

 『関ヶ原軍記大成(注4)』という書に見える、狂歌。
「関ヶ原八十島かけてにげ出でぬと 人には告げよあまり憎さに」
 これは、百人一首にある参議篁(さんぎたかむら注5)「わたの原 八十島かけて こぎいでぬと 人には告げよ あまのつり舟」を本歌にしている。

 1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いの際、石田三成(注6)は、二千石の士・八十島助右衛門を島津勢への使者として派遣した。乱戦となっても動かない島津へ、三成の言葉を伝える役目であったが、八十島は島津を見下した無礼な言い方で伝言した。怒った島津豊久は、八十島を追い返した。
 八十島は西軍石田方が敗勢になるや、ひとり馬に乗って本陣から逃げ去ってしまった。
 磯野平三郎という者が、八十島の行動に呆れ果てて、戦いのさなかに詠んだ歌が上記のわたのはら〜のパロディ。

 戦国武将島津義久(注7)の老中、井上覚兼が書いた武士の心得の第一として、和歌と連歌が挙げられている。『古今集』を筆頭として学んでおくことが、武士たる資質の第一番であった。
 二番目は、礼儀作法に関する「有職」と、手紙の書き方「書札礼(しょさつれい)」
 今の人々が武士たる心得の一番目に思い浮かべる武術(馬術、弓術、剣術、鷹狩りなど)は、第三番目にすぎない。

 戦中にあっても、古今集を本歌取りして歌を詠む心得がなければ、ならなかった。 

 同じく百人一首の右近の和歌「忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな」を、パロディにし、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼(注8)を皮肉った幕末の狂歌
「 殺さるる身をば思わず登城せし首の別れの惜しくもあるかな 」

 むろん、「笑い」を目的とする狂歌も江戸時代を中心に盛んに作られた。江戸期、書院の間にカルタ取りがはやると、パロディも盛んに作られた。
 百人一首の第一首「秋の田の 刈り穂の 庵の苫をあらみ 我が衣手は 露に濡れつつ」(天智天皇 注8)のパロディもたくさんあるが、紹介するのは、本歌の秋の光景を碁仇とのやりとりして笑わせる作。
 「あきれたのかれこれ囲碁の友を集め我がだまし手はつひに知れつつを(作・鈍智てんほう)
 狂歌の作者名までパロディになっている。

 近年では、狂歌が大勢の人の口にのぼることは少なくなった。標語やコピーライトのパロディは生き残っているのだが。

 60年前の大戦中、「贅沢は敵だ」という標語が掲げられた。すると「敵」の前に「素」と書き加えて「贅沢は素敵だ」とたちまちパロディが作られた。「 
 足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」という標語は「工」の字に×をつけて、「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」と、男性が出征して男手が足りない現実を皮肉った。
 
 パロディは、もとの作品を素材としつつ、批判精神を発揮して新たな視点で作り替える作品である。狂歌や川柳、標語などのパロディのほか、絵画写真映像など、既出の作品はすべてパロディの対象になりうる。

 現代は、ことばのパロディが成立しにくい時代だといわれる。
 夕刊に、阿部家おぼっちゃまくん版「坊ちゃん」が載っていた。(2006/09/21)
 「親譲りの七光りで得ばかりしてきた」という書き出しで、新総裁を風刺した文、これも、漱石(注10)「坊ちゃん」の「親譲りの無鉄砲で損ばかりしている」という元の文章を知らずに読めば、笑うに笑えない。

 確かに政界、どちらを見ても「七光りで得をしてきた」ぼっちゃまばかりなのだもの、パロディとは思わず、そのものズバリの評言に受け取られてしまうだろう。
 阿部家のおぼっちゃま(注11)は、「美しい国」を作りたいそうです。
============
注:
1 紀貫之:平安前期の歌人。「土佐日記」作者。古今集の編纂にあたった。

2 額田王:斉明朝から持統朝の歌人。大海人皇子(天武天皇)との間に十市皇女をもうけた

3 藤原定家:鎌倉初期の歌人。冷泉家の祖。藤原道長の玄孫。『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』を撰進。後世の文学、文化に大きな影響を残した。

4 参議篁(小野篁):平安前期の学者、歌人。先祖は最初の遣隋使小野妹子。孫は書道の三筆小野道風。

5 関ヶ原軍記大成:江戸時代の歴史物語。歴史資料として扱うには注意が必要だが、おもしろいエピソードが多い。

6 石田三成:豊臣秀吉子飼の武将のひとり。近江出身のため、側室淀の方に接近し、正室北の政所派と不仲であったとされている。

7 島津義久:安土桃山期の武将。島津家17代目当主とされている。(異説あり)

8 井伊直弼:幕末期の江戸幕府大老。開国期の政権を担ったが、桜田門外で水戸浪士に暗殺された。

9 天智天皇:38代天皇。中大兄皇子時代にクーデターを起こし、天皇家を上回る勢力を持っていた蘇我入鹿を暗殺。うまく殺人ができたから天皇になれた。殺せなかったら、殺人未遂者として蘇我王朝への謀反者として処刑されていた。上記額田王を大海人皇子(天武天皇)から奪った、という伝説を残した。

10 夏目漱石:明治〜大正期の小説家、学者。現代日本語文章表現の基礎を築いた。代表作に「こころ」「我が輩は猫である」「門」「それから」など。

11 阿部家のおぼっちゃまくん:旧満州国国務院実業部総務司長として暗躍した人の孫。満州に残った兵と民を放棄し、A級戦犯として巣鴨に収容されながら、米国の共産国対抗政策変換のおかげで釈放され、首相になった人の孫であるおぼっちゃまくんは、祖父を尊敬し、祖父の悲願でもあった、憲法9条と教育基本法を変える事業にとりかかるそうです。

<つづく>
00:04


2006/09/25 月
ことばのYa!ちまた>翻案盗作パロディオマージュ(10)
パロディ裁判


 パロディが成立するには、元の作品をだれもが知っている必要がある。みんなが知っている作品の持つ、まじめな教訓の部分や表面に現れている言説の背景をひっくり返したりちゃかしたりするおかしさを、パロディ享受者が受け止められることが前提になる。

 現代では、「誰もが知っていて〜」という部分が成り立たないのだ。若者も子供もいっしょに笑うには、せいぜい、テレビのCMをパロディにする程度でないと、理解してもらえない。

 写真の世界で有名なパロディー裁判があった。
 山岳フォトグラファー白川義員(しらかわ・よしのり)氏が撮った白い雪山とスキヤーの写真。数人のスキーヤーがスキーの軌跡をジグザグに描いて降下する白川の写真をもとに、マッドアマノ氏が、大きなタイヤを合成した写真を作った。

 これに対して、白川氏が著作者人格権の侵害だとしてアマノ氏を訴えた。
 1972年から1987年まで16年間裁判が続き、最終的には和解による裁判取り下げとなったが、実質アマノ氏の敗訴。

 他者の撮影した写真作品をそのまま使用すれば、盗作にあたることは裁判をするまでもなくわかるのだが、アマノ作品がパロディであったのか、白川写真利用が、「引用でなく盗用であった」とみなされたのか、わかりにくい結末だった。
 白川の写真を「パロディ」として用いる必然性がなかった、というような、よくわからない結論であったように思う。

 この論の最初に紹介したシェークスピアの翻案作品を、現代の「著作権」の考え方で裁判にかけたら、どうなるか。

 シェークスピアの「ロミオとジュリエット」のタネ本となったの作品がいくつかある。
 1554年、イタリアのマッテオ・バンデッロが書いた小説がフランス語訳され、1562年に英語訳された。アーサー・ブルックはこの英語訳をもとに、長編詩「ロミアスとジュリエットの悲劇物語」を完成。
 シェイクスピアは、これらの先行作品をもとに「ロミオとジュリエット」を1595年頃に書きあげた。

 さて、現代の著作権の視点で裁判したならば、判決はどうなるか。
 ブルックが「シェークスピアの『ロミオとジュリエット』は、ブルックの長編詩『ロミアスとジュリエットの悲劇物語』の盗作にあたる」と、訴え出たとする。

 原告側被告側丁々発止にやりとりはあるだろうが、裁判長の著作権判断は?
 現行著作権法を細かくあてはめていくと、「文体のみならず、主題が全く違うから盗作にはならない」という結論になるみたい。

 ブルックの詩は、「大人の分別を聞き入れなかった、軽率な若い二人の行為に対する警告」を主題としている。一方、シェークスピアの劇は「共同体内の対立と、愛する者たちの犠牲による共同体の救済」が主題。
 シェークスピアの勝訴。おめでとう、印税はウィリアム君のもの。

<つづく>


2006/09/26 火
ことばのYa!ちまた>翻案盗作パロディオマージュ(11)
原作・原案、資料引用」とオリジナル


 複製技術、コピー技術の革新によって、本物と寸分たがわぬ「複製品」は、いくらでも作れる世の中になってきた。

 本物とは何なのか、コピーと本物はどう異なるのか、デュシャンの「泉」が提起した美術の問題だけでなく、文学、音楽、演劇、すべてのジャンルに渡って、盗作、贋作、翻案、パロディなどはこれからもさまざまな問題を引き起こしていくだろう。

 「おじいさんとおばあさんが偶然ひろった赤ん坊を育てたら、絶世の美女に育った。求婚者が続々と現れたが、美女は求婚をあきらめさせるために難題を要求した。結局求婚者はみな失敗し、美女は異世界へ去ってしまった」

という物語を、だれかが書いたとしても、即「なんだよ、これ、かぐや姫と同じストーリーじゃないか、盗作だよ!!」と、非難されることはない。

 芥川龍之介も、太宰治も、『今昔物語』や「御伽草子』を翻案した作品を多数書いた。あまり翻案が成功したとは言えない作もあるが、おもしろい作品が多い。

 「物理学校を卒業した理科教師が田舎の学校に赴任しておこる騒動」を、『坊ちゃん』以上に面白く書いてあるなら、私は楽しんで読むだろう。

 同じストーリー展開で、元の作とは趣向をかえ、SF風の作品に仕立てようとSM風だろうと、ようは読者が作品を読んでおもしろがったり、感銘を受けたりすればいいのだ。

 文学作品の場合。
 小説の要素は、
1 ストーリー展開と構成 
2 時代や場面などの背景シチュエーション
3 登場人物のキャラクター
4 文体

 このうち、「ストーリー展開と構成」がそっくり同じだけれど、他の要素はまったく異なるふたつの作品AとBがある場合。どちらかが、どちらかのストーリーをまねしたとしても、他の要素がすべて違うなら、それは、翻案であって、盗作とは言えない。

 ただし、そっくり同じストーリーを読んで、それをおもしろいと感じるかどうかは、読者の受け取りかた次第。

 日記などの資料をもとに作られた作品の例をあげよう。

 井伏鱒二の『黒い雨』は、広島の原爆を描いた作品として、1966年新潮社より刊行された。

 被爆日記と小説部分が重層するする構成。
 『黒い雨』作中で、主人公(日記の筆者)は「閑間重松(しずましげまつ)」である。
 この作中日記は、重松静馬(しげまつしずま)の書いた被爆日記を資料としている。

 重松は、広島市内横川駅で被爆し、古市の勤め先に避難した過程を日記に残した。

 日記は重松側から井伏に「資料として使用し、原爆の悲惨さについて世に知らせてほしい」と、託されたものであった。

 原水爆禁止を願った重松氏の遺志をうけ、遺族にあたる重松文宏氏(重松静馬の養女の夫・広島県三和町教育長などを歴任)も、原水爆禁止運動に取り組んでおられる。

<つづく>

00:09 |

2006/09/27 水
ことばのYa!ちまた>盗作翻案パロディオマージュ(12)
『黒い雨』創作か盗作か

 井伏作品の資料として「重松日記」が存在することは、もとより知られていた。ただ、重松自身の意思により、日記の刊行公表は、重松の死後までなされなかった。
 「重松日記」は、重松が1977年に原爆症で亡くなった後24年を経て、遺族の手によって出版された。(筑摩書房2001年)

 元になった資料『重松日記・火焔の日(1945年8月6日)』『重松日記・被爆の記(同8月8日〜13日」『重松日記・続被爆の記(同8月14日〜15日』と、井伏重松往復書簡が収録されている。

 重松日記刊行の当初、「黒い雨」は、日記の盗作ではないか、と難じる論が発表された。
 猪瀬直樹は『ピカレスク太宰治伝』のなかで、井伏作品を「他者の文章をリライトしただけ」と断じている。

 猪瀬は、
 「『黒い雨』と『重松日記』の関係を検証した。井伏は他人の文章をリライトする安易な作品作りをしている 」
と書いた。(「文學界」2001年8月号)

 猪瀬は
 「(井伏作品を盗作とした論に対して)文壇から一向に反応がない。文壇は沈黙している。無視しているのだ。井伏鱒二という権威に萎縮しているとしか思えない。権威の前に萎縮し、真実を言えないとしたら、文学とは一体何なのだ、と言いたい」
と憤っている。(「猪瀬流 現代を考える視点」第10回2001年07月)

 猪瀬直樹が「資料にある文章がそのまま使われている部分があるから、『黒い雨』は盗作」、と断じたのと、文学研究者文芸評論家が、両作品の文体を比べて、「黒い雨と被爆日記は別の作品」と考えたことの間には、創作方法論・文体論の違いがある。

 猪瀬は、自分自身の関わっている雑誌などが行っているリライト、すなわち、リライターが雑誌などへの素人投稿文を「読める文章」に手直しするリライティングを念頭において、「井伏は重松日記をリライトしたにすぎない」と判断したのであろう。

 しかし、井伏による重松被爆日記小説化は、単なるリライトではない。
 単なるリライトであるなら、井伏は「とても私の手におえない」と、託された日記を重松に返却しようとまで思い詰めなかったろう。

 重松氏の遺族によって、井伏と重松の間にかわされた書簡が公表され、日記をもとに小説作品が執筆されていく過程が明らかになった。
 日記を託された井伏は、最初、事実のあまりの重さ大きさに作品化をためらい、日記を返却しようとした。

 1963年3月29日付けの重松あて書簡で、井伏は
 「このまま預かっても宝のもちぐされ、犬がおあづけを食ったようなもの、返したい」
と、重松に日記を返却したい旨、書き送っている。

 重松はあくまでも井伏による作品化を望んだ。
 重松の懇請を受け、重松とふたりで日記の事実を吟味しがら、井伏は小説を執筆していった。 
<つづく>
00:00 |

2006/09/28 木
ことばのYa!ちまた>翻案盗作パロディオマージュ(13)
オマージュ


 井伏重松往復書簡によって、「『黒い雨』を重松との共作として発表したい」と井伏から申し入れていること、などもわかった。

 「共作としたい」という井伏の誠実さを理解しつつも、重松は「小説作品としての作者は井伏鱒二」であると考え、著者名は「井伏鱒二」単独で発行された。
 ただ、重松は、「資料提供者」として本に署名することの了解を井伏に頼んだ。

 遺族の重松文宏氏は「父は、原爆の悲劇を後世に伝えたいという悲願を叶えてくれた井伏を生涯尊敬し、本に“重松静馬”と署名して友人知己に贈ることを無上の愉しみにしていた」と語っている。

 『黒い雨』に「重松静馬」と署名するとき、重松は「資料提供者」の誇りをもってサインしたことだろう。

 「重松被爆日記」は、直接体験を書き留めた貴重な記録であるが、文学作品『黒い雨』は、「重松被爆日記」とは別の、独自な文学的価値をもつ、と私は思う。

 資料をそのまま引き写すのと、作品として昇華させるのとでは次元が異なることを、この『黒い雨』は、よく示している。
 「文芸のオリジナルについての考え方が異なる」という以上に、猪瀬の論は即断にすぎたと感じられる。

 『黒い雨』に重松氏が「重松静馬」とサインするとき、重松の心にはいつも井伏へのオマージュの気持ちがわき起こっていただろう。
 また、「重松と井伏の名を共に表に出し、共作として出版したい」と申し出た井伏鱒二は、重松への尊敬の気持ちを十分に表現していた。
 井伏鱒二作品として単独の名で出版することになって以後も、重松へのオマージュの気持ちを持ち続けたであろう。

 和田義彦氏はアルベルト・スギ氏の作品をもとにして描いたことについて、口を閉ざし続け、スギ氏に自分が画家であることすら告げなかった。それはオマージュの態度ではない。

 「オマージュ」になるのか、本歌取りのような「アレンジ」「翻案」「パロディ」になるのか、それとも「盗用」として断罪すべきなのか、という境界線は、論議の的になってきた。

 まずは、「本歌」「元作品」をはっきりさせること、本歌への親愛や尊敬の気持ちがわかること。
 元作品を批判的に扱い、パロディ化するとしても、その作品をとりあげることによって、作品への認証をおこなっている。パロディもまた、作品を認めているという表現になるだろう。
 和田氏のように「元作品の存在を隠す」のでは、盗作とみなされる。

 以上、オリジナリティとは何か、考察を続けてきた。

 「創作」には、常に先行作品が下敷きとして存在する。どんなに独創的画期的革命的作品であろうと、その底流には、現世人類1万年の文化の歴史が累々と重なっている。

 その意味では、「創作」「新作」というのは存在せず、常に「翻案」であったり、「パロディ」であったりするのかもしれない。
 
 模倣からはじめるもよし、パロディもよし。マネしたい尊敬すべき人があるなら、その名をかくしたりせず、堂々とオマージュをささげつつ、まねしたい。

 (えー、春庭は、本居春庭を尊敬しつつ、その名をマネしておりますが、借用は名前だけでして、本居春庭の国学、国文法のマネは、したくてもできません)

<翻案盗作パロディオマージュ おわり>


引用・インスパイア・パクリ
2007/01/02 火
ことばのYa!ちまた>亥年に牛の詩

 「亥」
 娘が年女です。猪突猛進娘?いえいえ、巣穴にひきこもっています。冬眠中。
 あれ?イノシシって、冬眠するんでしたっけ。
 引きこもりの猪にかわりまして、再来年の干支の「牛」が代わりにごあいさつ。

「牛」(高村光太郎 2006年12月31日をもって著作権切れにつきコピー)
牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは
まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
がちり、がちりと
牛は砂を堀り土を掘り石をはねとばし
やっぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐ事をしない
牛は力一ぱいに地面を頼って行く
自分を載せている自然の力を信じきって行く
ひと足、ひと足、牛は自分の道を味わって行く
ふみ出す足は必然だ
うわの空の事でない
是でも非でも
出さないではいられない足を出す
牛だ
出したが最後
牛は後へはかえらない
足が地面へめり込んでもかえらない

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛はがむしゃらではない
けれどもかなりがむしゃらだ
邪魔なものは二本の角にひっかける
牛は非道をしない
牛はただ為たい事をする
自然に為たくなる事をする
牛は判断をしない
けれども牛は正直だ
牛は為たくなって為た事に後悔をしない
牛の為た事は牛の自身を強くする
それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
どこまでも歩く

自然を信じ切って
自然に身を任して
がちり、がちりと自然につっ込み食い込んで
遅れても、先になっても
自分の道を自分で行く
雲にものらない
雨をも呼ばない
水の上をも泳がない
堅い大地に蹄をつけて
牛は平凡な大地を行く
やくざな架空の地面にだまされない
ひとをうらやましいとも思わない
牛は自分の孤独をちゃんと知っている
牛は食べたものを又食べながら
じっと淋しさをふんごたえ
さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く
牛はもうとないて
その時自然によびかける
自然はやっぱりもうとこたえる
牛はそれにあやされる

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ
思い立ってもやるまでが大変だ
やりはじめてもきびきびとは行かない
けれども牛は馬鹿に敏感だ
三里さきのけだものの声をききわける
最善最美を直覚する
未来を明らかに予感する
見よ
牛の眼は叡知にかがやく
その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく
形のおもちゃを喜ばない
魂の影に魅せられない
うるおいのあるやさしい牛の眼
まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼
永遠を日常によび生かす牛の眼
牛の眼は聖者の眼だ
牛は自然をその通りにぢっと見る
見つめる
きょろきょろときょろつかない
眼に角も立てない
牛が自然を見る事は自然が牛を見る事だ
外を見ると一緒に内が見え
内を見ると一緒に外が見える
これは牛にとっての努力じゃない
牛にとっての当然だ

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は随分強情だ
けれどもむやみとは争わない
争はなければならない時しか争わない
ふだんはすべてをただ聞いている
そして自分の仕事をしている
生命をくだいて力を出す
牛の力は強い
しかし牛の力は潜力だ
弾機ではない
ねじだ
阪に車を引き上げるねじの力だ
牛が邪魔者をつっかけてはねとばす時は
きれ離れのいい手際だが
牛の力はねばりっこい
邪悪な闘牛者の卑劣な刃にかかる時でも
十本二十本の槍を総身に立てられて
よろけながらもつっかける
つっかける
牛の力はかうも悲壮だ
牛の力ははうも偉大だ

それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
何処までも歩く
歩きながら草を食ふ
大地から生えてゐる草を食ふ
そして大きな体を肥やす
利口で優しい眼と
なつこい舌と
かたい爪と
厳粛な二本の角と
愛情に満ちた鳴き声と
すばらしい筋肉と
正直な涎を持った大きな牛
牛はのろのろと歩く
牛は大地をふみしめて歩く
牛は平凡な大地を歩く

00:29 |

2007/01/03
ことばのYa!ちまた>冬、三日

 酒少し剰し三日も過ぎてけり(石塚友二)
 あたたかし三日の森の弱音鵙(もず)(星野麦丘人)
 はや不和の三日の土を耕せる(鈴木六林男)
 三日はや雲おほき日となりにけり(久保田万太郎)

 一月三日の東京は万太郎の句のように、雲が多くなってきました。
 今年も箱根駅伝を娘息子とテレビ応援しながらの正月がすぎています。

 「あたたかいお正月でありがたい」と、日中はストーブもつけずにすごせるほどです。

 12月半ばになってようやくいちょうが黄金色になり、冬が来たという気分にきっぱりとはなれないまま正月をむかえました。

 「きっぱりと冬」という気分も、すてがたい、とはいうものの、「刃物のような冬」は、詩のなかで味わうだけにしておいて「寒がりぐうたらの冬」でおわる、三が日 

[冬が来た]高村光太郎

きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹(いてふ)の木も箒(はうき)になつた

きりきりともみ込むやうな冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背(そむ)かれ、虫類に逃げられる冬が来た

冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食(ゑじき)だ

しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た

09:34 |

2007/01/04 木
ことばのYa!ちまた>

 娘の焼いたナッツクッキーをぼりぼりかじりながら、2日3日の箱根駅伝往路復路を応援しました。
 トップ争いや激しいシード権争いが続き、中継から目を離せないレースでした。

 見る方は、お茶飲んだりお菓子つまんだりしながらのんびりの見ているだけですが、冬の道をひたすら走り抜けていく若者の姿は、年のはじめにみんなに元気をわけてくれる気がします。

 競り合う激しいかけひきのシーンも、山登りの道をもくもくと独走していくシーンも、選手たちがひたむきに前進する姿をとらえていました。中継地点で、満面の笑顔でたすきをつなぐ者、足をいため、くずおれるように走り込む者。

 果てしなく続くように思える道の一歩一歩を、自分の足で踏みしめていくほか、前へ進む方法はありません。
 私の道も、まだまだ凸凹道やら急な登り坂やら下り坂やら、苦しい道のりばかり続くように感じますが、一歩一歩、はってでも進むほかなさそうです。

 高村光太郎の第一詩集「道程」。
 若い頃、「道程」は求道的で、「道徳の教科書」っぽくて、あまり好きになれない、などと生意気にも思っていました。

 「道」のなかの、「ああ、自然よ 父よ」というフレーズも気に入らない一節でした。
 農耕民族にとって「ああ、自然よ」ときたら、次は「母よ」と発想するほうが、素直な言語感覚なんしゃないかと感じ、「ああ、自然よ」のつぎに「父よ」と呼びかけるのは、キリスト教文化を意識したフレーズなんじゃないか、と思っていました。

 今は、光太郎がこの第一詩集を書いたときの年齢31歳よりも、その当時の高村光雲の年齢に近づいて、詩への印象も変わりました。
 父光雲と同じ「彫刻」という仕事を選んだ光太郎にとって、父から自立していくためには、父と対峙し、客観視することが必要だったのだろうなあと、思います。

道程(高村光太郎)
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

00:00 |



2007/01/05 金
ことばのYa!ちまた>朔太郎の「こころ」

 2日から4日まで続けて高村光太郎の詩を掲載しましたが、急に光太郎ファンになったというわけでもなく、光太郎の著作権がきれて、2007年1月1日から自由につかえるようになったので、遠慮無く引用した、という次第。
 著作権は、著者が亡くなった年の50年後の12月31日できれる。光太郎は1956年4月2日になくなったので、2006年12月31日に著作権消滅。

 「無料、タダ、ご自由にお持ち帰り下さい」などが大好きな春庭、いつものクセで「自由に使えるものなら、つかっちゃえ」というセコい精神でのコピーペーストです。
 引用した作品「牛」「冬よこい」「道程」は、「小中学校の教科書への掲載が多い光太郎の詩」のベストスリー。なじみの作品です。

 昨年の春庭コラム「文学の中の猫」連載で、で萩原朔太郎(1886〜1942)の「青猫」や「猫町」を引用しました。
 朔太郎は1942年に亡くなっていますから、とっくに著作権はきれています。
 だれでも自由に自著のなかに引用することができるし、リメイクも節度を守れば、自由に行ってさしつかえないと思います。さて、ここで、「節度」ってのが問題になるみたい。

 昨年末、アニメ映画宮崎吾朗監督『ゲド戦記』のなかで歌われた劇中歌「テルーの唄」が、萩原朔太郎の「こころ」のパクリか、と話題になりました。
 
 「こころ」は、1925年発行の詩集『純情小曲集』愛憐詩篇の中、「夜汽車」につづく第二番目の詩として発表されました。

「こころ」萩原朔太郎
こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。

こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり

 「パクリ」だと糾弾されている部分は、以下の通り。
こころ「こころをばなににたとへん」/テルー「心を何にたとえよう」
こころ「音なき音のあゆむひびきに」/テルー「音も途絶えた風の中」
こころ「たえて物言ふことなければ」/テルー「絶えて物言うこともなく」など。

 スタジオジブリは「今後、テルーの唄には、必ず萩原朔太郎へのオマージュをいれる」と、発表しました。
 年末の歌番組をみていると、テルーの唄が流れている画面には「萩原朔太郎から着想を得て作詞された云々」というおことわりがでていました。

 朔太郎が亡くなって64年以上たって著作権はとうに切れており、リメイクも自由にできるとはいうものの、やはり作品に敬意を示す必要はあると思います。
 最初から「テルーのうた・朔太郎のこころによせて」というタイトルにしておけば、「パクリ」だ、「盗作だ」と、いわれることなかったのに、と思います。

 次回は「時間は夢を裏切らない」について

<つづく>
00:39 |

2007/01/06 土
ことばのYa!ちまた>「時間は夢を裏切らない

 昨年、「創作と盗作」について、いろいろ考えてみました。
0203b7mi.htm

 創作とは、大なり小なり先行作品の影響や模倣を含みつつ成立するものであること、しかし、真にオリジナリティにあふれた作品は、先行作品を越えて輝くものであるということを考察したつもりです。

 2006年、槇原敬之「約束の場所」作詞中、「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」という部分が、「銀河鉄道999」の「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」というフレーズに「そっくりだ」と、松本零士が槇原に抗議して騒動になったこともありました。

 短いフレーズのつづく唄の歌詞に、さまざまな引用や、他の作品から着想を得たフレーズが入ることは多いし、槇原の「約束の場所」の中に、銀河鉄道999のほかに、いろんなところからの「インスパイア」が入り込んでいるだろうと思います。

 この抗議に対して、当初、槇原が「999だって、宮沢賢治の銀河鉄道をパクってるじゃない、盗作というなら、法的に訴えてみればいい」と、開き直ったというのは、ちょっと傲慢に聞こえました。

 銀河鉄道999が賢治の「銀河鉄道の夜」から着想されたものであることは、松本本人も認めています。宮沢賢治は1933年に亡くなり、1983年に著作権が切れたので、松本が漫画雑誌に「999」連載を開始した1977年には、まだ宮沢賢治の著作権が切れていなかったのも確かです。
 しかし、当時著作権者もこの作品を「盗作だ」などと言っておらず、賢治の童話とは異なる松本独自の世界を築いた作品であると認められています。

 松本は、著作権法違反とか、盗作とか、責め立てたいのではなく、自分の作品から着想されたフレーズであることを認めてほしかった、無断で使用したことに、ひとこと謝ってほしかったのだ、と言っています。
 CDを制作したレコード会社社長らが松本さんを訪ね謝罪したものの、槙原敬之が同席しなかったことに対して、松本は不快に思い、「創作家同士のプライドの問題。男同士なら分かってほしい」と本人の謝罪を要求した、ということのようです。

 現行の著作権の法的解釈範囲内で争うなら、たしかに「盗作」「著作権侵害」にはあたらない範囲の引用ではあるのでしょうが、ことの経緯を報道された範囲内でみた限りでは、槇原の態度は気持ちのよいものではなかった。

 スタジオジブリが即座に「今後テルーの唄をだすときには、必ず萩原朔太郎の名を出す」としたのは、大人の判断でした。もともと著作権が切れているので著作権料などの問題は発生しないことがわかっているからすぐに謝罪会見できたのだと思うけれど。

 槇原は、多くの人に受け入れられた「ひとつの花」などを送り出した才能豊かなシンガーソングライターと思うのに、なぜ、こんな開き直りをしたのか、わかりません。

 作詞した段階では松本の「銀河鉄道999」のことを思い出さずに、自然に自分の頭のなかに思い浮かんだフレーズとして作ったのだとしても、現実に先行作品が存在し、自分がそれを見聞きした可能性があったなら、記憶のなかに「999」の名がなかったとしても、素直に「松本零士の『銀河鉄道999』」に対して敬意をあらわすべきだったのじゃないかと感じます。
 
 これからも「インスパイア」だの「オマージュ」だの「そっくりさん」だの、と騒動は繰り返されそう。
  インターネットの発達により、コピー&ペーストは、今後ますます増えていくことでしょう。
 敬意をもちつつ引用し、節度を守りつつリメイクして、言語文化の多様な広がりを楽しみたいと思っています。

<おわり>
00:01 |

↓図 酒井抱一(十二か月花鳥図「向日葵に蟷螂図」より部分
プライスコレクション「若冲と江戸絵画展」にて
十二か月花鳥図



春庭ロフト目次

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