ギリシア陶器そのものの研究

前世紀までギリシア陶器の研究は特に神話的側面からなされるものが多かったのですが、今世紀にはいると他の分野における資料としてだけではなく、ギリシア陶器そのものの研究が盛んになります。ギリシア、特にアテネの陶器はまれに陶工や画家のサインが残され、それらの研究が前世紀の末あたりから行われていました。イギリスのジョン・ビーズリィ卿はこれをさらに押し進め、ルネサンスの無名の作品を描写の細かな特徴から個人の画家に特定する手法を応用し、アテネの陶器の一つひとつを個人の画家に同定していったのです。つまり同じような特徴や癖をもった作品をひとまとめにし、それらを一人の画家の作品として扱うわけです。

このときサインによってその画家の名前が明らかな場合はよいのですが、サインを残した画家はほんの一部に過ぎません。そのために無名の画家に対しては仮の名前を付けました。例えば陶工クレオフラデスのサインのある陶器に描いた画家はクレオフラデスの画家、アキレウスを特に美しく描いた画家はアキレウスの画家、その傑作がベルリンにあるからベルリンの画家、といった具合に名付けたのです。また特徴が少ないために個人への特定が不可能だけれども、かなり似通った特徴を持つ作品群は某グループの作、あるいは誰々の工房の作としました。こうした手法を用いることで、彼は数万の陶器の画家の特定に成功したのです。こうした彼の業績はいくつかの書物にまとめられ、またその死後も後継者たちに受け継がれて現在では南イタリアやコリントスその他の地域の陶器についてもこうした研究が進められています。
もう一つの研究分野はギリシア陶器の製作技法についてのものです。この研究はかなり古くから盛んだったのですが、近年の科学的な調査によってかなりの成果が見られます。その製作工程を追ってみましょう。まず採取した陶土から余分なものを取り除いて水を加え、加工しやすくなるまで寝かします。そしてロクロを用いて成形し(陶工のほかにロクロを回す助手が陶器画に描かれています)、大きいものはいくつかの部分に分けて作り後からつなげました。表面をきれいにした後、半乾きのうちに描き始めます。その描かれる黒い色彩は、一般には上薬と呼ばれたりもしますが、彼らが用いたのは現代でいう釉薬ではなく、陶器と同じ粘土を精製したもので、厳密にいえばギリシア陶器は陶器ではなく土器の分類にはいるのです。このほかしばしば用いられる白や赤などの色彩もそれぞれ白土や鉄分の多い黄土をもとにしたものでした。これらはいずれも近年の科学的な分析によって明らかになったのです。
その描写法にははじめのところで述べたように黒像式と赤像式がありました。前者は像をシルエットで描き、表情や衣服などを刻線によって描くものです。その道具がどのような材質であったのか、金属か木製かなどの議論はありますが、とにかく先の尖った棒状のもので刻線が描かれたことは確かなようです。530年頃にアテネで発明された赤像式は像の輪郭を描き、その外側を黒く塗りつぶして内側に表情などを描くものです。ここで問題となるのが、その描写にどのような道具が用いられたのかという点です。一般には筆で描かれたと考えられ、実際に筆の跡も見られるのですが、そのすべてが筆で描かれたのかどうかは問題が残ります。それがレリーフラインと呼ばれる線で、細いながらも力強く、陶器の表面から浮き上がるようなしっかりしたものです。そのためこれはかなりドロっとした状態であったと考えられ、筆ではこのような線をしかも均一の太さで描くことは不可能だとされています。ある学者は注射器のようなもので描いたのではないかとも考えています。
またこれは黒像式にも赤像式にもいえることですが、その描写は下書きなしに直接描かれることは少なく、入念なデッサンの後に描かれることが多かったようです。こうした下書きは先のやや尖った棒で描かれ、陶器の表面を見ると光線の加減によって凹んだデッサンの線を見つけることができます。中にはデッサンと完成した描写とが全く異なる場合も見られ、ギリシア陶器の製作には多くの手間がかけられていたことがわかるでしょう。
描き終わるとついに焼成にはいるのですが、黒い色彩は陶土と同じものであるのになぜ黒くなり、地の部分は赤くなるのかが問題となります。何度も実験や分析を繰り返した結果、かなり複雑で特別な手法が用いられていたことがわかりました。まず窯の煙突や空気孔を開いて酸化した炎で焼きます。これによって陶土に含まれる鉄分が酸化して赤くなります。これは地の部分も塗った部分も同様です。次いで煙突と空気孔を閉じて還元の炎にします。これにより酸化した陶土中の鉄分は還元されて黒くなります。これも地の部分と塗った部分とで同じです。最後にもう一度煙突を開いて酸化の炎に戻します。地の部分は再び赤くなりますが、描かれた部分は粒子が細かいために酸素を受け付けなくなって黒いままに残るのです。しかしこれも失敗して焼きすぎると陶器全体が真っ赤になってしまうのです。
こうして陶器ができあがるのですが、そのすべての行程が明らかになったわけではありません。例えば黒の上塗りのために精製された陶土に加えられたと考えられる有機物がなんだったのかはまだ明らかではないし、陶土の採掘場所や窯の正確な構造など、まだ不明な点が多く残っています。ことアテネ以外の陶器となると、出土数の少なさや製作期間の短さから情報が少なく、研究の余地が多く残されています。このような点は新たな考古学的発見や更なる科学的研究などによって少しずつ解明されていくことでしょう。