陶器は何時ごろ作られた?
ギリシアでは紀元前3000年頃にはすでに陶器が作られていました(それ以前の生産についてはまだ調べている最中です)。ろくろが初めて使用されたのは2500年頃で、クレタ島を中心とするミノア文明の初期にあたります。クレタ島では1800年頃にはカマレス陶器と呼ばれる派手で自由な装飾を持つ陶器が作られました。
ミノア文明と入れ替わるように登場したギリシア本土を中心とするミュケナイ文明では紀元前十四世紀から十三世紀頃までクレタの影響を受けながらも規則的でシンプルな装飾を持つ陶器を作っていました。ミュケナイ文明が1200年頃に崩壊すると、1050年頃に始まる原幾何学様式の時代及び900年頃に始まる幾何学様式時代までの数世紀間は暗黒時代と呼ばれ、遺跡や遺物の乏しい時代が続きました。しかし近年の発掘からこの時代にもミュケナイ様式から原幾何学様式への橋渡しをするような中間的な様式を持つ陶器が作られていたことが分かりました。
原幾何学様式時代および幾何学様式時代の陶器はその名前が示す通りに幾何学的な装飾が描かれていました。八世紀になると動物や人物をシルエットで描くようになりました。こうした陶器ももちろんギリシア陶器ではあるのですが、一般的にギリシア陶器として取り上げられるのは主に次の時代以降の、神話の場面や日常生活などさまざまな描写が施された陶器でした。
紀元前七世紀頃にはエジプトや中東との交易が盛んに行われるとともにこうした国々の装飾、特にライオンや豹をはじめとする動物や、スフィンクスやハルピュイア(ハーピィ)などの想像上の怪物などが好まれて取り入れられました。特に交通の要所を占めて経済的にも恵まれていたコリントス地方では、黒像式と呼ばれる描画法を発明し、市場を独占しました。しかしこの黒像式を取り入れたアテネは経済的、政治的発展とともに市場を奪っていきました。その品質はコリントス式のはるかに及ばないものにまで発展し、地中海のほぼ全域に輸出するようになりました。さらに紀元前525年頃に赤像式と呼ばれる新しい技法を発明するとその品質は一層高まっていきました。
しかし時代とともに雑な描写が目立つようになり、紀元前五世紀の終わりごろからは南イタリアのギリシア植民都市でも赤像式陶器が作られるようになると市場を東方に限られるようになって、四世紀の半ば以前にはこのような装飾の施された陶器は作られなくなりました。また南イタリアの赤像式も数十年後には消滅し、簡単な植物などの文様のみのものや全体を黒で塗りつぶしただけの陶器などが主流になりました。
その後もヘレニズム時代やローマ時代、中世から現代にいたるまで陶器の生産は続けられており、広義にいえばギリシア陶器の生産は紀元前3000年頃から現在まで作られていることになりますが、いわゆるギリシア陶器は神話や日常の場面の人物を描いたものをさすことが多いため、その生産は紀元前七世紀頃から四世紀頃までと言えそうです。