その他の彫刻


墓碑

幾何学様式時代から七世紀までの間にも墓碑は制作されていたが、これらは極めてシンプルで、装飾もなくただ死者の名前などが刻まれる程度であった。六世紀にはいるとアッティカを中心として長い板状の石碑が墓碑として用いられるようになり、頂部にパルメットなどの装飾を施したり、絵画やレリーフなどで死者の生前の姿をあらわしたものが制作され、中には死者を守護する意味で表されたと思われるスフィンクスの像を乗せたものもある(図1: Athens 28)。

図1 スパタのスフィンクス

その様式は立像や神殿彫刻と同じように時代によって推移し、例えばスフィンクスの頭部はクーロスのものと同じようにダイダロス様式を残すものからの発展を見せている。円盤をかかげる選手をあらわしたアテネ出土の墓碑(図2: Athens 38)は頭部しか残っていないが、その様式からランパンの騎士像を制作した彫刻家によるものと推測されている。

図2 円盤投げ選手の墓碑

死者アリスティオンの名前を記した墓碑(図3: Athens 29)には彫刻家アリストクレスの名前も記されている。ヘルメットをかぶり、槍を持って立つこの戦士の像には本来彩色が施されていて、背景と髭は赤く、また青く塗られたヘルメットと鎧には様々な文様が描かれていたことがわかっている。

図3 アリスティオンの墓碑

ヘルメットのみを身につけた戦士の像(Athens 1959)は、両手を胸に当てて後方を振り向き、コルフ島のアルテミス神殿にあらわされたゴルゴンのように足を運ぶポーズをとるが、傷ついて崩れ落ちる瞬間なのか、踊っているのか、振り返りながら走っているのか解釈が分かれている。

他の地域からの出土例はアッティカに比べて少ない。ボイオティアのオルコメノス出土の墓碑(Athens 39)にはナクソスのアレクサノル制作との銘が記されていて、犬にえさをやる男の像が表されている。この他にはシュメやクレタ島のエルテュナ、コスなどからの出土例がある。

奉納彫刻

墓碑のほかには、神殿や神域に奉納された石碑が出土している。七世紀の後半に年代付けられるクレタのプリニアス出土の石碑群(Heraklion 234, 396, 397, 399, 402)には浮き彫りではなく刻線によって女性や戦士などが表されている。これが墓碑であった可能性もあるが、一般的には奉納のためのものであったと考えられている。

ラコニアのクリュサファ出土の石碑(Berlin 731)には並んで王座に座る男女に向かって奉納品を手に持って近づく人物があらわされている。後者が前者に比べてきわめて小さく表現されているのは、前者が神あるいは英雄であることを示しているが、このような極端な対比表現はアッティカなどにはあまり見られないものである。そのアテナイのアクロポリス出土の石碑(Athens Acr.581)では、女神アテナに奉納品を持ち寄る一家の姿があらわされている。ここでは人間はアテナよりも一回り小さいスケールで表現されている。

この他クーロス像の台座として作られたブロックに表されたレリーフは、背景を暗い色彩で塗りつぶすとともに、様々なポーズを試みたその人物像が赤像式陶器のパイオニアの図像に近い点で興味深く、以前はこうしたレリーフ彫刻の作者が赤像式を発明したと考えられることもあった。