神殿彫刻


神殿も立派なものになると彫刻で飾られるようになります。破風部分にはその三角形にあわせた彫像群が配され、両端の狭い部分には横たわる人物などがスペースにあわせて配置されました。古い時代には高浮彫になっていましたが、後には完全な丸彫りになりました。

彫刻は梁部分にも施されました。イオニア式ではフリーズ部分に連続したレリーフが施され、ドーリス式ではメトープにパネル状のレリーフが施されました。もちろんすべての神殿に彫刻が施されるわけではなく、まったく装飾の無い物もあれば、正面部分のみ飾られたものもあります。

彫刻が施された時期はやはり建築がほぼ終了した頃だと考えられます。メトープやフリーズに用いられた石材は神殿の構造に組み込まれているため、コロナが設置される以前に配置する必要がありました。しかし必ずしもこの時点で彫刻が完成されている必要はなく、恐らく大まかに掘っていたか、あるいはまったく掘っていない状態の石材を組み込み、建築がほぼ完了した時点で掘り始めたと考えられています。実際パルテノンの彫刻を見ると、様式からもたらされた編年では彫刻は建築の最終段階であったことが分かります。

破風の彫刻は、初期の浮彫状のものではメトープやフリーズ同様先に石材をはめ込んでおく必要がありましたが、丸彫り彫刻となってから建物からは独立したため、神殿に組まれた足場の上ではなく彫刻家の工房で製作することができました。

小型の神殿の建造にはそれほど時間はかからなかったようですが、パルテノンのような壮大な神殿になると、基礎工事は建築途中の旧神殿のものを再利用したとはいえ、着工から完成まで二十年近い年月を必要としました。中には戦争などで何度も中断することがあり、アテネのゼウス神殿などは530年に着工されたものの完成したのは紀元後129年のことでした。