60年代のオモチャ

ハンドルリモコンカー

 昭和40年前後には、トランシーバーとレーシングカーが男の子のオモチャとして圧倒的人気を誇り、『週刊少年サンデー』や『週刊少年マガジン』などの漫画週刊誌の懸賞でも、一時期、定番アイテムとして欠かせないものだったということは、これまでも何度か書かせていただいた通りであります。
 そのレーシングカーが流行るちょっと前に、男の子のオモチャとして一部の子供達の間で支持されていたのが、この「ハンドルリモコンカー」でありました。
 私も、このハンドルリモコンカーというのは、買ってもらって遊んでいた記憶があり、私が持っていたのは、右の写真のものと同じタイプで、自動車のモデルのうしろから細いコードが出ていて、それがコントローラーを兼ねた電池ボックスとつながっているというものでした。このコードは、電源を供給するだけでなく、ワイヤーも一緒になっていて、コントローラーのハンドル操作がワイヤーを通して自動車のモデルの前輪を動かす仕組みになっていて、ハンドルを切った方向に自動車も進むという仕掛けになっていました。で、もちろん、コード付きですから、スピードもそんなに出るわけではなく、畳の上をウィーンウィーンというモーター音と共にしずしずと進むという感じのものでありました。もっとも、レーシングカーのようなスピードで走るものだと、コントローラーを持つほうも、コードが引っ張られないように、必死で走らなければならなくなってしまうわけですが…。

 上の写真は、実は、『週刊少年マガジン』の1964(昭和39)年8月30日号に掲載されていたカネボウハリスの広告の写真のものですが、左の写真は、さらに4年後の1968(昭和43)年3月17日号の『週刊少年サンデー』に掲載されたアオシマというプラモデルメーカーの広告です。この広告のモデルは、一応、自分で組み立てるプラモデルの範疇に入る製品のようですが、私が持っていた上の写真のようなモデルは、いわゆるオモチャでありまして、自分で組み立てるというようなものではありませんでした。
 左の写真のハンドルリモコンカーは、コントローラー部分を見るとハンドルはなく、ボタンで進行方向を操作する仕組みになっているようですから、すでに、この時機には、現在のファミコンのコントローラーに通じるような仕掛けが使われ始めていたということになりそうです。私は、現在でも、子供がファミコンをしているのを見ると、スーパーマリオカートのような、いわゆるカーレースものの場合は、ボタン操作よりもハンドル操作の方が面白いのではないかと思ってしまいますが、テレビの画面を見ながら、手のひらに乗るような大きさのコントローラーで素早いリスポンスを要求される場合は、やっぱり、ボタン操作の方がやりやすいのかもしれません。
 何れにしても、現在は、もう殆ど見ることのできなくなったコード付きのハンドルリモコンカーというものも、昭和40年代の半ばというか、1960年代のうちは健在だったようです。



 このページのトップで使っていた写真は、このフーセンハリスの懸賞広告の写真をそのまま使わせてもらったものですが、昭和38年当時は、たかだか10円のガムでもこんな豪華な賞品がもらえたわけです。

 せっかくですので、このハンドルリモコンカーが当たるフーセンハリスの懸賞広告キャンペーンがどんなものだったのか、簡単に振り返ってみようと思います。
 上のカラー広告は、すでに紹介させていただいたように、1964(昭和39)年の『週刊少年マガジン』(8月30日号)の表紙に続く2ページ目と3ページ目の見開きグラビアページの口絵下に掲載されていたもので、懸賞広告の応募方法など詳細は、左の写真のようなザラ紙の白黒ページに掲載されていました。
 この懸賞広告のキャンペーン期間がどのくらい続いていたのかは、この広告だけでは分かりませんが、「毎週1000台!」というキャッチに、当時のハナ垂れ坊主どもは、「それだったら僕にも当たるかもしれない」と思い込み、せっせとカネボウハリスのフーセンガムを買うことになっていたのだろうと思います。
 当時は、今のように、誕生日やクリスマスに毎度毎度きっちりとプレゼントを貰える家庭は、それほどなかったと思いますので、こういう豪華な景品が当たる懸賞広告キャンペーンというのは、絶大なる効果があったのではないかと推察されるわけです。
 この白黒広告ページのトップには「ハンドルリモコンカーが当たる!」というコピーが打ってありますので、この「ハンドル」で操作する「リモコン」の自動車、つまり、「ハンドル」と「リモコン」が当時としては、ポイントになっていたのだろうと思われます。応募方法としては、「外包紙30円分と10円切手をどしどしお送り下さい」と書いてありますので、このフーセンハリスを3個買った上に、10円切手も買い、さらに、これを送る郵便代、当時は、封書は10円だったと思いますので、ハナ垂れ坊主がこの懸賞に応募するためには、合計50円の経費がかかったことになります。昭和38年当時、小学校3年生だった私の場合、恐らく、学校から帰ってきて外に遊びに行く時に、貰っていく小遣いが10円玉1個くらいのものだったと思いますので、ほぼ1週間分の小遣いを費やさなければならなかったわけです。
 それにしても、カネボウハリスというメーカーは、すでに、この「60年代のオモチャ」のトランシーバーのコーナーでも、トランシーバーを景品にした懸賞広告キャンペーンをやっていたことを紹介させていただきましたが、私が小学校の頃は、『週刊少年マガジン』の表紙に続く2ページ目と3ページ目のグラビアページ下の、業界用語でいうと表2と表2対抗ページということになりますが、その広告スペースは、ほとんど、カネボウハリスの指定席だった記憶があり、このハンドルリモコンカーのような感じで、毎週何名様に当たる式の懸賞広告キャンペーンを、絶えることなく打ち続けていた印象があります。
 いつか、このカネボウハリスの懸賞広告キャンペーンの景品を時系列で全部洗い出してみるような企画も、ぜひ、やってみたいと考えています。







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