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『月刊平凡』1967(昭和42)年1月号&2月号


1967(昭和42)年1月号

 1967(昭和42)年の表紙は、舟木一夫と松原智恵子です。前にも書かせていただきましたが、舟木一夫と松原智恵子は、「絶唱」や「夕笛」といった一連の日活・舟木シリーズの代表作で共演しておりますが、この昭和42年のお正月映画作品としては、東宝で内藤洋子との共演による「君に幸福を〜センチメンタル・ボーイ」が封切られておりまして、この号の付録にも「舟木一夫・内藤洋子年賀はがき」というのが付いております。
 実は、この「センチメンタル・ボーイ」については、昭和30年代〜40年代に長岡で思春期を過ごした私や仲間の間で、長い間、長岡で全面ロケを行った映画として思い込まれておりましたが、今年の春に、舟木一夫と松原智恵子の共演による「青春の鐘」が長岡でロケを行った映画だったことが判明し、すでに、ビデオも入手済みとなっておりますので、いずれ、詳しく紹介させていただこうと思います。ちなみに、この映画は、倉本聰の脚本によるもので、主題歌も昭和44年度の作品にもかかわらず、丘灯至夫作詞・古関裕爾作曲という正真正銘の青春歌謡でありまして、その青春歌謡の王道をゆく保守本流ぶりは私を大喜びさせております。

 さて、この号の表紙とは、あまり直接的に関係のない話になってしまいましたが、新聞広告に目を転じて見ますと、一応、号の上では年が改まったにも関わらず、またしても、加山雄三なのであります。実際の発売は11月の末ということもありまして、加山雄三と吉永小百合様の仲よしクリスマスという対談企画が新聞広告の目玉となっております。すでに、ブルーコメッツは「青い瞳」の大ヒットに続き、「青い渚」、「何処へ」と連続ヒットを飛ばし、そろそろ紅白歌合戦の初出場も決まろうかというような時期に入っているはずですが、新聞広告には、ブルーコメッツもスパイダースもワイルドワンズも、その名前は見当たりません。ちなみに、タイガースが「僕のマリー」でレコード・デビューするのは、本当のカレンダーでいうと、この号の発売から3カ月後の昭和42年2月のことであります。昭和42年という年は、今から振り返れば、ブルーシャトーのレコード大賞受賞に象徴されるように、間違いなくGS(グループサウンズのことです)の最盛期というか黄金時代なのですが、少なくとも、平凡の昭和42年1月号の新聞広告を見る限り、GSブームの兆候はカケラも見られないのであります。
 新聞広告に見える活字は、依然、加山雄三と舟木西郷のご三家、それに、吉永小百合、内藤洋子、渡哲也といった若手映画スターの名前ばかりであります。

1967(昭和42)年2月号

 金色の字に赤の題字という色使いからも分かるように、実質的な昭和42年のお正月号に当たるこの号の表紙は、加山雄三と吉永小百合様であります。加山雄三一色だった前年の雰囲気を思いきり引きずりながら、明けて昭和42年も、また、加山雄三で新年を迎えたと言っても過言ではないでしょう。
 これほどまでに加山雄三に制圧されてしまった昭和41年の芸能界及び歌謡界は、いったいどんなタレントや歌手が活躍していたんだろうと気になってしまうアナタ、この号の発売から5日後に放送された第17回NHK紅白歌合戦の出場メンバーはどんなメンツだったんだろうと鋭い洞察力をめぐらせているアナタ、そういう賢いアナタたちは、ぜひ、「60年代の紅白歌合戦」のページも改めてご覧いただいて、当時の芸能界の状況を再確認をしていただければと思うわけであります。それでこそ、こんなことに時間を費やしている私の苦労も報われるというものであります。ちなみに、加山雄三は、この年が紅白歌合戦初出場でありまして、並んで表紙を飾っている吉永小百合様はといいますと、既に5回目の出場ということで、歌手としても既に中堅どころの地位を占めるに至っていたわけであります。

 新聞広告の方に目を移しますと、表紙が加山雄三だったこともありますが、珍しく表紙と連動した写真使いになっておりまして、加山雄三と吉永小百合様がフューチャーされております。ということで、要するに、表紙は、平凡出版としても、恐らく、対プロダクション、あるいは、対映画会社、あるいは、対レコード会社などとの営業政策上、ある程度ローテーションで転がさざるを得なかったものの、発行部数の確保というか、販売政策上は、確実に雑誌が売れる、最大の目玉であった加山雄三を常に大きく扱わざるを得なかったという辺りが、正しい見方なのかもしれません。したがって、表紙で加山雄三を使った場合には、必然的に、新聞広告の写真使いも連動する形になるということだけなのでしょう。
 ということで、分かったような分からないようなことを平気で書きなぐっておりますが、この号には「舟木一夫の一心太助・江戸っ子祭り」という「新企画・見る小説」というのが入っておりまして、学園歌謡・青春歌謡路線に続く新機軸となった舟木一夫の時代もの路線のハシリがこの頃だったことが分かります。「一心太助」は舟木一夫が成り切った姿のレコードジャケット付きのシングル盤もありましたし、大川橋蔵が主演した連続テレビ映画「銭形平次」の主題歌に起用されたのも、この昭和40年代の前半の頃のことだったと思います。「銭形平次」は今やカラオケのメニューにも入り、「高校三年生」と並ぶ舟木一夫モノの定番ともなっているほどですから、今年芸能生活35周年を迎えた舟木一夫先生の芸域の広さに改めて思いをいたすわけであります。




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