ピエロと殺人者(4)


 深夜から降り続いていた雨もやんで、徹マン明けのクサレ眼に太陽が眩しい。麻雀は2万ちょっとの勝ちだ。トップスでコーヒーを飲んで新宿文化で『カッコーの巣の上で』を観る事にする。フランスでこの映画を観た女優が俺に似たインディアンが出るというのでその興味もある。アカデミー賞受賞のせいかやけに混んでやがる。隣のアベックがやたら拍手するのには閉口したが、ともかく面 白く観た。インディアンは俺には似ても似つかぬウスラデカイ男だったが、まあ良い役だったから似てたことにしてやるか。アメリカ映画らしいヒーロー映画だ。図式的な話を嫌味にならないギリギリのところで上手に作ってある。しかしその上手さに不満を感じた事も事実だ。謎の微笑を浮かべる看護婦長と主人公マックマーフィの間の女と男の性的な葛藤(それは『愛情』と言いかえてもいいのだが)を節度を持ってすり抜けて描いている。この『節度』がちょっといやらしいのだ。看護婦長をあれ以上肉感的に描くと、抑圧被抑圧の図式が卑小なものになってしまうと怖れたのだろうが、図式より先にまず人間をかっちり見せてくれよという不満はやはり残るのだ。ともあれ精神病院を舞台にして娯楽映画を仕上げられるアメリカという国はやはり変な国だと思う。『キャッチ22』と同じように大ベストセラーの映画化らしいが、共にラストが逃亡=脱出となっているのも興味深い。『脱出』という事にリアリティのある国なんだなあすこは。日本じゃこうはいかないぜ、と思いながら喫茶店に入りコーヒーを注文して水割りに訂正する。
 精神病院といえば4年ほど前、ロマンポルノの企画で精神病院モノを書きたいと言ったら「バカ、いつまでもそんな事を言ってるからオマエは駄 目なんだ」と黒沢企画本部長(当時)に叱られた。「どうせオマエが女書けるとは思えないから、なにかアクションもの書けよ刑事ものとかさ」助け舟を出してくれたのは伊地智プロデューサーだった。「あまり正しくない刑事でもいいか?」「うん?まあな」それでも俺は精神病院にこだわって、精神病院を脱走した元悪徳刑事をその後輩の現悪徳刑事が追跡し射殺する話を書いた。イッチが『赤い荒野を走れ』というタイトルをつけてくれたが「ポルノだぞバカ、濡れてなきゃだめだ」と怒鳴られて『濡れた荒野を走れ』というタイトルになった。沢田幸弘監督でクランクインも直前、組合執行部というオソロシイ機関からクレームがついて無期延期になった。「いたずらに権力を挑発しとる」というのである。色々あって1年後にやっと映画はできあがった。沢田監督はストレートな人で俺がダビングの最終ロールをのぞいたら「地獄の音つけるぞゴジ」というのだ。なにやら効果 部がオドロオドロしい音を工夫している。「再び地獄へ降りてゆこうとする男の無表情な顔が、ちらっと笑ったように見えた」という意味のあるような無いようなト書きにこだわってくれたらしい。試写 を観た組合の根本委員長(当時)は沢田監督に「どうでもいいけど頭が痛くなったよ」と不快げに語ったという。新しいヒーローを創ることにどうやら俺たちは失敗したらしかった。ラストで「悪い奴」を殺さないからまずかったのかなと、単純に考えてみたりもした。映画のラストというのは本当にむずかしい。わずか数本のシナリオしか書いた事は無いのだが、ラストで主人公を殺さなかったのはこの映画だけだ。そういう意味でもある種の意気込みはあったのだが――。ダジャレではなくカタルシスが好きでカタをつけることの好きな俺はどうしても主人公を殺すことよりうまいカタのつけ方を思いつかないのだ。『青春の蹉跌』の時も神代辰巳監督とだいぶもめた。「やっぱり殺さなきゃ駄 目かねラスト?」とクマさん「どうするのさ殺さなきゃ」と俺「首をひねりながらヒョコヒョコ起きあがってくるとかサ」「気持はわかるけど、気がイカないぜそれじゃ」「気がイきゃ良いってもんでもないだろう?」「好きなんだよ俺はカタがつく方が」――撮影の当日まで彼はもだえていたが結局珍しく台本通 りに撮った。ただ俺はロングで終るように書いておいたのを、彼は仕上げの段階でアップでとめてタイトルを流した。少くともあの映画に関してはあれでよかったのだと俺は思っている。殺すことも、アップでとめるという処理も。その後もう1本クマさんと仕事をして(宵待草)思ったのだが、彼はやっぱり“男のヒロイズム”なんて嫌いらしいのだ、そんなものウソッパチだと思っているらしい。そのせいかどうか知らないが、どうも彼の映画は女に想いを仮託する作りになっていくようだ。それは今平さんの作品にもいえる事だ。かなり資質の違う二人のように思えるが、どちらの作品でも男はあくまで卑小であり女はあくまで逞しい。たしかにウマイなあと両監督の描く女たちに感心はするんだが、しかしやっぱりズルイぜと思ったりもするのだ。女の話は女の監督にまかせとけばいいじゃないか『愛の嵐』なんてやっぱり女の監督じゃなきゃ、ああは迫力でないぜ。シェイクスピアではないが「女に悲劇など生まれるか」と俺が言えば「俺たちは悲劇など作っているのではない、喜劇を作っているのだ」と彼らはいうかもしれないが。ともかく当分“男のヒロイズム”をやってみようと思っている。女は正直言ってようわからんのだ。なんとか今度は主人公を殺さずに気のイクような話を作りたいもんだ。ただこの事だけは忘れまいと思う。映画など所詮は映画館の暗がりで見る蜃気楼、人畜無害な束の間の麻薬にすぎない。良い映画悪い映画があるわけではなく、面 白い映画と面白くない映画があるだけのことだ。その感動が人間の思想に影響を与えたり社会をなんとかするなんて間違っても考えないことだ。だから、と5杯目の水割りをおかわりするとだんだんデカイ気持になってくる。どんなエライ巨匠になっても(なってから言えバカ)俺は『赤ひげ』のような説教たれるヒーローは絶対に作らねえぞ。黒沢はん、アンタの映画ほんまにおもろかったのになあ、とよれてくる。
 ともあれ俺にとって映画作りとは、『明日のジョー』を探し出すことであり、『明後日の月光仮面 』を発見することなのだと高らかに思うと完全に酔いがまわって寝込んでしまった。昼間飲む酒はまわりが早い。
 眼が覚めると真夜中で、またぞろ『ゾロ』へ行って麻雀だ。「デスマッチ!」と叫んで五十半荘ぐらい打つと、もう夜も昼もわからない―――。 

 

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