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突然、電車は終点新宿駅に着いた。月給でも貰ったのかそれとも早慶戦にでも勝ったのか、学生ともサラリーマンともつかぬ
若い連中が肩を組んで街をねり歩いている。足など踏まれてカッとなった俺は「いい若い者が肩を組むな、肩を!」と思うが、まるで素面
だからケンカなんかはしない。ブラブラと三光町の不良雀荘『ゾロ』へおもむく。ドアを開けるといつものように身なりも職業も怪しげな連中が一卓だけ囲んで打っている。年令不詳の女雀士ムツコ。骨と皮だけのオールドフーテンのコンちゃん。レスラ―まがいの土建屋ギマタロウ等々。付き合いだけはけっこう古いのだが本名もろくに知らない奴ばかりだ。この雀荘の良いところは何の関係も無い者同士が入るもやめるも気のむくまま半荘キャッシュで打つところにある。仲間同志のツケ麻雀で貸しだ借りだは面
白くもない。「生きるか死ぬか」という難しい問題を「勝つか負けるか」という単純な命題にすりかえてサイコロを振ると、9と5と出て起家になった。「仕事してないのゴジ、ヒマそうねえ」「これから仕事じゃないか、バカ」「金払ってやる仕事か」「ウルセエ早く打て」
実は俺だって仕事はしているのだ。この5ヶ月間俺は第一回監督作品の脚本の完成を待つという苦しい苦しい仕事をしているのだ。捨てる神あれば何とかで、日活を首になった俺にATGの多賀氏が1本撮らんかと声をかけてくれたのはもう去年の夏のことだ。「ATGより日活ポルノの方が良いのに」なんて甘ったれたことは、今や口が裂けても言えないのだ。当然のように問題は企画と金だった。金の方は意外にすんなり運んだ。わが師今村昌平氏が心快くプロデューサーを引き受けてくれたのだ。問題は企画だ。すなわちいかなるヒーローを創り出すかということだ。最初中上健次の『十九才の地図』をやろうとした。役者も水谷豊に見当をつけておいたのだが、2ヶ月ばかり脚本作りに励んでみてもどうもウマクいかない。犯罪者あるいはその予備軍の中に、創り出すべきヒーロー像を求めた事は正解に違いないが、小説の中では実にせこい犯罪者であるにもかかわらず毒々しく存在感のある主人公が、映画にしようとするとどうしても軽くなりテーマが拡散していくのだ。「もっとキツイ素材でないと駄
目だなこりゃ」と考えている頃、田村孟氏が同じ中上の最新作『蛇淫』を読めと勧めてくれた。早速読んでみる。27才の青年が両親を叩き殺して家に火をつけ女と逃げる話だ。かなり面
白いのだが、短篇なので巧みな構成とリキのある文体でごまかしている部分が多い。かんじんの親殺しについての描写
はどうも甘いのだ。果してこの殺人者を観る者の感情移入可能なヒーローに創り得るだろうか。主人公に、太陽が眩しいからとアラビア人を殺させる事よりも、実の親を殺害させる事の方が(しかも因果
の深みに落とさずに)はるかに困難なように思える。もだえている時、この小説のモデルとなっている事件が49年10月30日千葉県市原市で実際に起こっていることがわかった。しめたという気持とこいつはやっかいな事になったという気持が同時にした。昔、まだ今村プロの助監督であった数年間、調査魔と言われる今村監督に俺はシナリオの為の調査研究をテッテイ的に仕込まれたものだ。「足で書け」という言葉があるが実際何足靴があっても足りないくらいだった。「しょせん俺たちゃ少年探偵団よ」と自嘲しながら、それでも仕事とあれば仕方がない、ブツブツ言いながらやっていたが、その後今平さんのもとを離れて自分でシナリオを書くようになってからは、この師の教えを裏切るような調査ナシの良い加減な書き方ばかりしてきていたのだ。「どうせ少々調べたってあのオッサンにゃかなわんよ」というのが怠け者の自己介護だったが、今回はそうはいかない。なにしろ調査魔のオッサンがプロデューサーなんだから。「とりあえず調べて来ます」とみずから殊勝に言って千葉通
いが始まった。
やはり事実は小説より奇であった。1年前の新聞記事で逮捕、否認、死体発見、自白、起訴というところまで調べていた俺は、当然情状酌量
の判決が行われていると考えていたのだが、数ヶ月前に開かれた第一回の公判で被告はその自白をもとに作成された両親殺害同死体遺棄の起訴事実を全面
的に否認していたのだ。検察側の起訴状が自白に寄りかかりすぎたラフなものであったせいもあって、十二回の公判を経た現在も事件は謎に包まれたままだ。被告は弁護人にすら真実を語ろうとしないという。「これは俺のことだ、ほっといてくれ」というのだ。過保護児童のヒステリー殺人ではないのかという予測も完全に裏切られた。法廷で見る23才の被告の面
構えは実に逞しいのだ。ちょうど『無頼人斬り五郎』の頃の渡哲也をもっとふてぶてしく精悍にした感じで、まさしくそれは“ヒーロー”の面
構えなのだ。これは絶対モノになると思い込んで3ヶ月、会える人間には全部会い、調べられる事も調べ尽くしたがわからない事だらけだ。愛人である元トルコ嬢に当てた手紙に彼はこう書いている。「俺は一度すべてに絶望した人間です。すべての感情を信じることのなかった人間です。今から考えれば俺は極端だったかもしれない。しかし結果
論から言うなら今でも俺は思います。一人の人間が生き残るよりも二人の人間が一緒に死んだ方がよかったんだと。そしてできれば三人共死んでしまえば良かったのかも。俺は裁判が事件を解決してくれるものだとは思いません」
事実調べはミステリーのまま、虚構作り、ホン作りを始めてみたがどうもウマクいかない。他人が監督する作品のように無責任な気持で書けないのだ。「好きなように撮ればいいじゃない」といい加減な事を書いておけば結局撮影現場で苦しむのは自分自身なのだから。田村孟氏が「俺が書こうか」と電話をくれたのは今年の元旦の朝だった。小説に専念している彼がホンマかいなと思ったがどうも本気らしい。プロデューサーとも話してもらい正式に書いてもらう事になった。それから今日まで5ヶ月、いまだに彼は産みの苦しみの真只中に居るし、こちらはアホのようにゴロゴロ待っている。「ムズカシイですねえやっぱり、観念に寄りかからずに親を殺すのは。1級の娯楽映画にしたいしねえ」ライターは言い、「焦るなゴジ、半年や1年わしゃ驚ろかんよ」今平プロデューサーはデンと構えている。「ケッ、俺だって流れるのは慣れてまさあ」と若輩者の監督はニヒルに思う。この5年間、企業内の早いピッチの映画作りに慣れてせからしくなってしまったせいか苛立つことおびただしいのだ。ともかく酒乱のライターを信じて待ち続けるしかあるまい。「田村孟のバカ」と思いながら3万を振ったら対面
の純チャン三色に振り込んでしまった。
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