
対談 長谷川和彦VS相米慎二
東宝映画『翔んだカップル』をめぐる
うるさいおとなたちの映像美学
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(3)かなり技術論的な話になっていますかまだまだ続きます。次は脚本論の一節。 相米 自由ヶ丘の映画館下のガードが写 るところあるでしょう、俺が思っていたのは、カメラが映画館の中へずうっと入っていって、そのままスクリーンの中へ入っていってな、ずうっといくと家の前にいるわけ、中山も一緒に写 る、で、こっちヘパンすると、ひろ子がタンタンタンとワルツ踊っているってやつな。 長谷川 相米は変な倫理感があるんだよ。うまく言えんと思うから表現放擲をする。映画の中でもそれをやるんだよ。 相米 映画の中でも、って、それはないよ。 長谷川 俺なんかは、俺の話も映画も分らん人はおらんと、その自信だけはある。相米は不安があるんだよ。自分はお客さんよりも高く翔びすぎてて、自分が素直にもの表現したら伝わらないんじゃないかという傲慢と不遜が同時にあろんだ。お前の中には。 相米 それは、誓ってないよ。 長谷川 じゃあ、スクリーンの向こうへいきゃあいいじゃないか。 相米 俺の中で躊躇したんだよ、撮りながら何故か、忘れたのかな。 長谷川 俺流にもう一言いうと、ホンとして相米がいじり直して活字にしちゃう時間が必要だったと思うんだ。丸山昇一とのコンビが悪いっていうんじゃないよ。うまく合ってる方だよ。ただ二人の持ってるものをうまい足し算に、ないしは掛算にするためのワン・プロセスを横着しているんじゃないか。映画監督も撮る前に自分の文字でいじり直すべきだと思うんだ。とくに他人のホンであれぱある程、どう自分のものにするかっていうな。ホン通 り撮るんならホン屋が監督すりゃいいんだから。それに、現場っていうのはホンが最終データーなんだよ。言わないと誰も監督の意図が分らない。ましてや内証主義で監督が喋らなかったりすると、そんなものは存在しなかったようにどんどんいっちゃうからね。書いてあるホンによって現場は進行していくわけだよ。三十人四十人スタッフが居たら、刷った台本かメモか書き込みみたいなものでしか現場は動きようがないもんな。 相米 結局、俺が思ってて撮れなかった部分が二、三ある。二つ三つというのは俺にとって大きなことだから反省はあるんだけど。 長谷川 監督直しは刷らないとな、小道具のおにいちゃんまでそれを持ってないとね、で、それなら前にやった小道具は違うべきだとかということにもなろし、スタッフが一緒に映画つくる楽しさにもなるわけだよ。もちろんホンいじり始めるときりはないんだよな、二稿三稿……五稿って、死ぬ まで書いているからね(笑)。 相米 丸山だけど、あいつはえらいよ。一緒に旅館籠ってたんだけど、一緒に居ると話がおもしろくてシナリオ書けないのな。あいつの“恥かき物語”というのがあるんだ。自分がどうやって恥かきながら人生を送ってきたかっていう、その話聞いてて一話一晩ぐらいかかっちゃう。三話まで聞いたんだけど十二話まであるんだって。ふいちゃってふいちゃって。 長谷川 前の、『処刑遊戯』のホンもよかったな。具体的なアクションでストーリーをわからせていくという、演出するには、力になってくホンだな。 相米 チンピラ演出家でガキん子映画だろ、古典的なホン書いてもらっても困るしな。あいつ、原稿用紙に書いてく力もあるし、勉強家なんだから、これは凄いよ、同じこと絶対やらないし。一つ注文出すとほんとに自分のものにするまでねばるのな、そりゃあ凄いよ。それに、なんたってだいふくをたくさん食べるんだよ、ケーキもな、あいつはえらいよ、尊敬したね。 長谷川 尊敬ばっかりしてないで喧嘩の一発もしてみろよ。大喧嘩になったって、三ヶ月も経てば仲直りするからさ。二人の人間が本気でオレはこうだってやり合ったら、それは違うってことに絶対なる。一所懸命であれぱある程必ず喧嘩だよ。人間違うんだから。確かにライターは虚しい立場だよ。最終的には監督が撮るんだからフラストレーションは残る。俺は、映画撮ったの二本だけだけど、シナリオ書いた数は多いからね、ライターの気持は分る。それでも変る方が楽しみなもんだよ。 |
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