「勤操僧正との出会い」仏教に惹かれる

「学生(がくしょう)よ、お前がそこまで仏法のことに熱心なら、良い工夫を教えてやろう」
そう言って、大安寺の勤操(ごんぞう)は真魚に「虚空蔵求聞持法」を授けたのでした‥


15歳で讃岐の国を出た真魚は、奈良の長岡京に入り、彼の叔父にあたる「阿刀大足」(あとのおおたり)の元で3年間儒学を学んだ後、18歳のときに大学に入学したのでした。
しかし学問の才能は誰にも負けないのに、目の前には身分制度が壁のように立ちはだかっていることを意識しないわけにはいきませんでした。地方豪族の「佐伯氏」の出身では、どんなに優秀な成績を大学でおさめても、下級官史くらいしかなれない。しかも大学で学ぶということは、単なる思想の注入で、みずからの心の自由を奪い取ろうとするものではないかと彼は考えるようになっていくのでした。

そしてだんだん真魚は仏教に惹かれていくのでした。
空海が24歳の時の著書である「三教指帰」(さんごうしいき)。若き日の空海が、「儒教」・「道教」・「仏教」の中から、仏教を選ぶにいたった理由を述べた著書であります。
その「三教指帰」のなかで『爰(ココ)に一沙門あり』と書かれており、空海は在学中に一人の一沙門に出会ったという。その沙門というのは当時大安寺にいた「勤操(ごんぞう)僧正」であるといわれております。
渡来系の秦氏の出身の勤操は、南都(奈良)仏教勢力を代表する高僧でありました。
当時大学生の真魚が、奈良の佐伯院を自分の氏寺のように親しんで出入りしていましたが、その佐伯院の隣にあったのが当時勤操が管理していた大安寺なのでした。
その勤操から真魚は「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」という「密教のカケラ」を授けられる。

虚空蔵求聞持法とは密教の修法の一つで、これを修めれば記憶力が飛躍的に高まり、同時に八万四千あるという経典をすべて読破し記憶しただけの知恵が備わるという。しかしその修法を修めるためには、50日、70日、100日のいづれかの期間内に、定められた虚空蔵菩薩の真言を百万回唱えなければならない。最長の100日を選んでも、一日一万回の真言を唱えなければならず、不眠不休で挑まなければならない‥当時の真魚にはとても修めるられる修法ではありませんでしたが、仏教に惹かれていく気持ちが加速していったのは想像できます。

それ以降、真魚は大学を休みがちになり、「三教指帰」にあるように自分自身に「無空」という名をつけ、出家をする決意を固めていったと考えられます。そして20歳の時、和泉の国の槙尾山寺で剃髪を行い、出家をするのでありました(槙尾山寺は勤操僧正の私寺でもありました)。

その後も勤操は空海の生涯の岐路に立ち、その後の空海の行動にも大きな影響を及ぼしていくのでありました‥

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※ここに掲載する写真はパンフレットや雑誌等からスキャンしたものです。まずかったら訴えずにまずご一報を。                                

大安寺にて真魚は勤操僧正より「虚空蔵求聞持法」を授けられるシーン。
(「高野大師行状図画」より)