「立体曼荼羅」 空海が遺したメッセージとは‥
※ここに掲載する写真はパンフレットや雑誌等からスキャンしたものです。まずかったら訴えずにまずご一報を。                                
■ BACK
■ HOME

ある人は「宇宙」と言う。1965年まで完全秘仏として一般公開されていなかった、空海が密教の理念に基づいて描いた世界「立体曼荼羅」

東寺の「立体曼荼羅」。
御存知のように、「金剛界大日如来」を中心に21体の如来・菩薩・明王・天部たちが密教の理念を基に整然と配置されています。

密教の最高神とされる大日如来が衆生を救済するために、必要に応じてそれぞれ姿形や役割を異にする尊像に変身するさま(はたらき)を体系的に示したものとされています。

そしてこれら講堂諸仏はそれまでの天平仏には見られない多面広臂(顔が複数、腕も四本以上)の仏像が特徴的で、おそらく空海にこれらの異教で今まで見たことのない仏像を製作依頼を受けた仏師たちは大変戸惑ったことだろうと思われます。
空海が唐より持ち帰った曼荼羅に描かれた明王などを何度も確認したり、試行錯誤を繰り返して作り上げたことでしょう。これら諸仏が完成して「開眼法要」が行われたのは実に空海が入定して4年後だったことを考えると、そう思わずにはいられません。

ところでこの「立体曼荼羅」で空海はどんなメッセージを伝えたかったのか?

密教の真理を語った経典の一つである『理趣釈経』は「悟りとは全てのものが平等であることを知ること」を具体的に示したものだそうです。
つまり、大日如来の形の違う様々な分身にも、そしてこの「立体曼荼羅」を見る側(つまり私たち)にも、「仏性」というものがあり、それを気付かせるための配置であると言う。(「空海の風景への旅」より)

そう考えると空海はこの「立体曼荼羅」を通じて私たちに、「信心を持つものは平等に仏性を持ち、即身成仏することが出来る」ということを伝えたかったのではないかと思います。

「絶対平等智」にこだわった空海。
庶民に対して、身分を問わず全ての人々に門戸を開いた、日本初と言われる総合学校、「綜藝種智院」(しゅげいしゅちいん)の開設などを考えると、この「立体曼荼羅」で伝えたかったメッセージにも「すべてのものが平等であり、差別がない」という思いが込められていたのではないかと私は感じます。

そう思って再びこの「立体曼荼羅」を見ると、怒ったり、癒したり、慈悲の姿になったり変化するところは、見ている側、つまり我々「人間」そのものにも当てはまるのではという思いさえしてきます。

そう考えると先ほどの『理趣釈経』の「悟りとは全てのものが平等であることを知ること」の意味がほんのチョッとだけ解ったような気がしました。




■ HOME