「三徳山三仏寺」 空飛ぶお堂と飛行仙人 (鳥取) .

一体誰がどうやって建てたのか?国宝「投入堂」(奥)。
伝説通り、役の行者が投げ入れたのか?手前は不動堂。
現在参拝者は不動堂までしか登ることはできません。

投入堂の本尊、重文の「蔵王権現立像」。
左足で地底にうごめく悪魔たちを踏み潰し、今天に駆け上がろうかという躍動感あるお方、カッチョイイです!

空飛ぶお堂

最初に本でこのお堂を見た時に固まってしまいました。
誰がどうやってこんな険しい岩肌に建てたのだろうか…
伝説通り「役行者」が神仙の力でここまで投げ入れたのか?

鳥取県のほぼ中央に位置する三徳山(みとくさん)。標高約900mのこの山は平安時代より山岳信仰の中心地として栄えてきた。
境内で最も高い標高500m。その北面する絶壁の岩窟にすっぽり収まったているように建つのが、奥の院「投入堂(なげいれどう)」です。

三徳山三仏寺…
「役行者」こと役小角(えんのおずぬ)が山を開き、平安時代に天台宗の僧である慈覚大師こと円仁(えんにん)が、釈迦・弥陀・大日の三仏を安置したことに始まると言われています。
役行者が活躍した時代、自然科学など全く理解していない当時の人々には、雨風、雷などの自然現象は全て「神意」と捉えたことでしょう。時に「神意」は恐ろしく、時には恵みを与えてくれる。
その「神意」を操ることができる行者たちを、山里の人々は崇めることは自然の成り行きではなかったか?
逆に都人、特に中央の権力者たちは行者たちをある時は利用し、ある時は逆に畏怖する。好ましくなく思った者や遠ざけようとした者もいたことでしょう。
役行者が朝廷を覆そうとしたとして嫌疑を受けて伊豆へ流されたことも無関係とは言えないようです。

おそらくこの地には、何人もの「役行者」がやってきたことでしょう。神仙の思想を説く彼らを崇める、信仰深い山里の人々が命を賭けてこの「投入堂」を建てたのではないか…
このお堂を見ると、切り立った岩肌に床の一部を乗せて、半ばを空中にせり出したかたちになっている。まさに空中に浮いている「空飛ぶお堂」。


投入堂の奥には…

かつてこの地で修行していた行者たち。この岩肌に小さな亀裂を見つけ、そこを神聖な場所と考え、祠を造りそこで修行していた。その場所に建てられたお堂が投入堂ではないか?とさえ思えてしまいます。
ですからこの投入堂の裏側、つまり岩肌には深い亀裂があって、森羅万象を司る神(ここでは蔵王権現か?)が存在する世界に繋がっているように思えてしまう…
つまり投入堂は、行者たちにとっては下界と天上界を繋ぐ場所に位置する「サンクチュアリ(聖域)」ではなかったか?
険しい道のりを超えてようやく辿り着く聖域に祀られている7体の蔵王権現。役行者が感得した神で、今まさに天に駆け上ろうとしている躍動感あるお方たち…
現在投入堂に祀られていた蔵王権現像たちは、投入堂には鎮座せず、麓の宝物館で拝観出来るようになっているとの事。しかし私はやはり蔵王権現は投入堂に祀られるべきでは?と思います。下界から登ってくる衆生を、天上の世界より見守っているのがやはり似あうような気がします。彼らもそう思っているはず…


飛行仙人

現在三仏寺では投入堂の立ち入りを禁止しているそうです。
以前は参拝受付時に輪袈裟(わげさ)をもらって参拝用の草履に履き替えれば投入堂まで誰でも上がれたということですが、現在は滑落事故が絶えず、投入堂までの参拝はその手前までという規制がかかっている。
本堂の奥にある「宿入橋(しくにゅうばし)」から始まる険しい道のり。
かずら坂では木の根にしがみつき、あるときは這い、あるときは鉄鎖に身をゆだねる。標高が上がって、段々投入堂つまり天に近づくということはある意味、空を飛ぶことの出来た役行者に近づくということなのか…
かつて空を飛ぶことができた仙人は、役行者意外にも日本各地にいた。
吉野の「久米仙人」をはじめ四国の「法華仙人」など。播磨の地で多くのお寺を建てたインドの僧「法道仙人」は自分が飛ぶこともできたし、托鉢に使う鉢も飛ばして寺にいながら寄進を乞う「飛び鉢の秘法」も使っていたという。
そう思えば役行者が投入堂を標高500mの岩窟まで投げ飛ばした伝説が誕生したのも解るような気がします。


空を飛ぶということ

私の昔の知り合いに、ロッククライミングをしていた人がいました。5級程度の技能(上級の初心者くらいか?)の持ち主ですが、彼が言っていたのは「投入堂の下まで行ったことがあったけど、正直しんどかった。でも空を飛ぶような感覚で気持ち良かった」って…
私は昔オートバイで信州の山々をよく巡っていました。
バイクを駐輪場に置いて一泊で穂高を目指す。尾根伝いに歩いていると、足もとがガスで覆われていき、まるで雲の上を歩いているような感覚になったことがありました。
これまで投入堂まで登って行った人たちもきっとこんな感覚になったに違いない。行者たちの最終的な感得は「空を飛ぶ」ということではなかったか?

三徳山三仏寺…
千年もの間、谷底から吹きあがる風雪に耐えながら存在する、天上界と下界を繋ぐ投入堂。

あらゆる神と全宇宙がこの霊地に存在する…

いつか行きたい…

参道を登る私たちを石像の役行者が見守っています。

「かずら坂」。
来るものを拒むかのように険しい木の根道が続く。

重要文化財の「文殊堂」。
建てた先人の苦労が偲ばれます。ここまで来ても投入堂までは半ば過ぎ。

かつては投入堂には写真のように本尊の重要文化財の「蔵王権現像」を含め、数体の蔵王権現が祀られていました。今は「宝物館」で拝観出来るようになっているとの事。

御住職たちのように、いつかこの投入堂に立って下界を見下ろしたい。
散華を撒きたい。
般若心経を唱えたい.…


※三仏寺のHPより写真借用

 勝手に使ってスイマセン

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