「若狭」 カゼノトオリミチ (福井) .

渡来した文化・水の文化

若狭は太古の昔より、日本の玄関口として栄えてきました。
「ワカサ」という言葉の由来…
朝鮮語の「ワッカ」(来たという意味)、あるいはアイヌ語の「ワッカ」(水)から来た言葉という説があります。
蝦夷や大陸から色々な物(あるいは者)・文化が流れ着き、それが混沌としたまま街道を通って京の都や、奈良に流れていく…
それに伴って、当時の若狭の人々を脅かす疫病や邪悪なものが入ってきたことでしょう。若狭の街道を走ると沢山のお寺があることに気が付く。
そして若狭は「水の国」として知られています。
私は国宝の三重塔がある「明通寺」を訪れたことがことがありますが、境内を流れる松永川のせせらぎに心安らいだことがありました。
明通寺の本尊「薬師如来」を守る脇侍の「深沙大将」も川の神様であることから、やはり「水」との関わりは深いと思われるのです。
遠敷川沿いには若狭彦神社、神宮寺を流れ過ぎた所にはあの「鵜の瀬(うのせ)」が…。東大寺の修二会(お水取り)に使われる水がこの「鵜の瀬」から運ばれるのは有名な話。


蝦夷征伐の基地・坂上田村麻呂の苦悩

若狭と蝦夷の関わりは深い。
阿倍比羅夫(あべのひらふ)が蝦夷征伐の基地として若狭に水軍の湊(みなと)を築く。そして平安初期、日本最初の征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が大軍を率い、この地から船に乗って何度も蝦夷征伐に赴く。20年以上激しい戦いが続き、遂に蝦夷の大将である、阿弖流為(アルテイ)とその片腕である、公母礼(モレ)が投降する。投降した二人を引連れて田村茂呂は若狭から京の都に向かって、勝軍の将として行進を行ったことでしょう。しかし田村麻呂は、長年の宿敵であるこの二人に蝦夷での朝廷が管理する新政権の長官に任命しようと二人の助命を朝廷に嘆願する。しかし朝廷は聞き入れず、二人を処刑。悲しみに暮れた田村麻呂はその4年後に明通寺を創建する。
明通寺の本堂を入るとまず目に入る教え(掲示している言葉)の「殺すな、殺させるな、殺すことを見逃すな」はブッタの言葉であるが、実は田村麻呂の心の叫びでもあったのか…


由来のわからない宗教行事・馬頭観音の怒り

この若狭には由来のはっきりしない宗教行事・奇祭も数多く存在します。
弓打ちの神事、大火勢(おおかせ)と言われる火祭り。

そして謎の多い奇祭の手杵(てきぬ)祭り…
天平の頃、唐の船が若狭に流れ着く。船には唐人の姫を含め八人の美女が乗っており、最初は村人たちは歓待したり世話をしたりしていたが、唐船に財宝が積んであると聞き村人たちは彼らを殺して財宝を奪う。やがて罪の意識に悩まされた村人たちは唐船の木材で寺を建て、姫君の持仏の観音を祀る。そして懺悔のために、彼らを殺してしまった経緯を舞踏にして、哀れな人々の霊を鎮めたという…しかし琉球の神事に似ているといわれる宗教儀式のため、はるか太古の昔、この地に流れ着いた南方の人々が彼らの祭りを伝えたともいわれています。

若狭にある高浜海岸。「原子力発電の密集密度世界一」のこの海岸を見下ろすように建つ中山寺。若狭は馬頭観音祀る寺の多い地でもあります。なぜこの地に馬頭観音が多く信仰されているのかもよくわかっていません。異文化が混沌と吹き荒れるこの地にやってきた不浄な物を煩悩と見立てて、それらから信者を守る目的もあったのか…
本来は人間の煩悩に対して憤怒の表情を見せる馬頭観音には、現在の故障の多いこの原子力施設を造り上げた、人間の無情さにも怒りを向けているようにも思えてなりません。


吹き荒れた「風」を通って…

去年の秋、私は若狭の地を訪れました。
結局その時は明通寺を訪れただけで、この地に根を下ろした「混沌とした文化」を垣間見ることはできませんでした。
今度若狭を訪れるときはじっくり時間をかけてこの文化に触れてみたい。

若狭から湖北地方に向かう国道。かつては京都の都に向かう街道として栄えた道。現在は別名「トラック街道」として栄えている。
道の駅で一休みしているとき、北から南に強い風が吹いてることに気付く。その時頭の中で「風の通り道」というフレーズが浮かびました。

海〜若狭〜都という空間をかつて何者かが風に乗り駆け抜けていった…

「水の通り道」でもあり「異文化の通り道」でもある若狭。

また訪れてみたい…

車の中から若狭の穏やかな海を見る。そして山間部ののどかな風景。
かつてこの地に吹き荒れた混沌とした「風」の痕跡をいつかは辿ってみたい…

※ここに掲載する写真はパンフレットや雑誌からスキャン・一部ネットから拝借したものです。まずかったら訴えずにまずご一報を。                                

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松永川の流れ

鵜の瀬の「お水送り」。ここから東大寺に水が運ばれる。

明通寺の重文「深沙大将」。
水系の神様です。

奇祭「手杵祭り」。毎年4月3日に行われます。一度見に来たい…

中山寺「馬頭観音」。
怒りの中にも優しさがチョイ滲み出ている素敵なお方。




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