ホーム
:
「難波副都」施行と諸改革
前へ
次へ
弥生時代一貫して九州の地にあった倭国王朝がその崩壊のきっかけとなったものは「複都制」であったと思われます。
複都制(副都制)創設の動機と唐使「高表仁」
「高表仁」の来倭の年次と場所について
「阿麻来服」記事と遣唐使
「難波」副都と「筑紫」首都
「伊勢王」とは
「伊勢王」と「弟王」
「神社創建」と「ウカノヒコ」
「持統」の「伊勢」行幸と「曲水の宴」
コラム「むつらぼし」
「鞠智城」と「難波京」
「伊勢神宮」と「大嘗祭」
コラム「○(まる)と×(ばつ)」
「難波朝」と軍制
山城と「烽火」
隼人と蝦夷に対する圧迫
日本版中華思想について
賀正礼と唐令について
「日本帝皇年代記」について
前へ
次へ
「倭国」から「日本国」へ(旧タイトル「倭の五王」から「日本国」へ) 〜 九州王朝を中核にして 〜 に戻る