南イタリアの彫刻

ギリシア人の諸ポリスによって建設された多くの植民都市を持つ南イタリア及びシチリアの美術は、土着の様式に影響を受け、それを取り入れた面もあるが、基本的にはギリシア本土の様式を受け継いだものである。特にこれは彫刻や建築に顕著に表れ、その制作に多くのギリシア本土の人間が関わっていることが大きく影響している。ギリシア本土との違いは大理石を産出しなかったことで、現存する大理石の彫刻は石材を輸入したか、完成した像を輸入したものであろう。そのため石灰岩を用いたものや時には粘土を用いたテラコッタの像が作られた。

南イタリアの初期の彫刻にはシュラクサ出土の前580-570年頃の像などダイダロス様式を残すものが多いが、本土の様式の変化に伴って徐々に発展を遂げていった。ゲラ出土のコレー像(Gela 8410)は頭部と足首以下が失われているが、丁寧なつくりになっている。現存の大きさで38cmと小さく、両手でリースを持つシンメトリーな構成はコレー像には珍しいものである。

メガラ・ヒュブライア出土の双子の幼児に乳を与える母の像(図1: Syracuse 53234)は本土には見られない作例である。腰掛けた母の像の衣服から覗く手足はアンバランスなほど大きい。土着の様式の影響を受けたこの彫刻家は本来石像を得意としなかったと考えられているが、それがこの像の持つ独特な魅力を与えているのかもしれない。

図1 双子を抱く母親

同じメガラ・ヒュブライア出土のクーロス像(Syracuse 49401)は頭部とひざ下が失われているが、その様式は本土のものと変わりなく、輸入されたものと考えられる。右足にはマンドロクレスの子で医者のソンブロティダスの名前が記されている。

レオンティノイ出土のクーロス像の頭部(Catania 1)及び胴部(Syracuse 23624)は恐らく同一の個体に属するものと思われるが、アルカイックスマイルが薄れたその様式は、古典期へ近づきつつあることを示している。

パエストゥム出土の男神の坐像はゼウスを表したものとされ、粘土で作られている。こうしたテラコッタの像は石像と比べて彩色が良好な状態で保存されることが多く、この例でも衣服の様々な文様が描かれているのがわかる。

神殿彫刻

前六世紀後半に作られた初期の神殿彫刻はテラコッタ製のものが多く、セリノスの神殿Cやシチリアのナクソスの神殿などの破風には大きなゴルゴンの頭部(ゴルゴネイオン)が飾られている。またこうした神殿では梁や軒先などに色鮮やかな彩色がかなり良好な状態で残り、石像の神殿も本来はこのように色鮮やかであったと思わせるものである。

セリノスの多くの神殿はメトープを持ち、レリーフ彫刻が施されている。神殿Cよりも古い、前550-530年ごろの神殿Yではいくつかのメトープが良好な状態で保存されていて、いずれもダイダロス様式を残す表現で表されている。小さな構図に収められているためか、頭が大きくプロポーションの悪い像が多いが、戦車を駆る人物をあらわしたメトープはその主題は明らかでないものの、外側の馬を立ち上がらせることでうまくスペースを埋めた構図となっている。別のメトープでは雄牛に乗るエウロパがあらわされており、神殿彫刻には珍しい主題である。そのストーリーを示すように牛の回りには魚が数匹表されている。この他のメトープには竪琴を持つアポロンと弓を持つアルテミス、そしてその母のレトをあらわしたもの、またデメテル、コレー、ヘカテと思われる三柱の女神をあらわしたもの、クレタの雄牛と戦うヘラクレス、またディオスクウロイをあらわしたものなどがある。

パエストゥム(ポセイドニア)の北にあるFoce del Seleの旧ヘラ神殿からは35点のメトープが発見されており、多くが良好な状態で保存されている。そのほとんどは前530年頃のものと思われるが、一部後世に作り直されたものもある。像のプロポーションや浅い浮き彫りによる表現などセリノスの神殿Yとの共通点も多いが、構図や細かな表現などに発展も見られる。特筆すべきはその主題の多様さで、いわゆる12の難業などヘラクレスを扱ったものが多く、特にケンタウロス族との戦いでは一つのメトープに一つの主題という原則を破り複数のメトープに渡って表現されている。また双子の泥棒ケルコペスを退治するヘラクレスは彫刻には極めてまれな主題といえる。他にもアイアスの自害やトロイロスを待ち伏せるアキレウス、パトロクロスを殺すヘクトルなどトロイア戦争をテーマにしたもの、かめに載るオデュッセウスなど南イタリアにしか見られないものなどがある一方、解釈に意見のわかるものも多い。

前530-510年頃に年代付けられるセリノスの神殿Cではダイダロス様式も衰え、ややリアルな表現への試みが現れてはいるものの、プロポーションのアンバランスは依然残っている。特徴的なのはやや浅いレリーフであった神殿Yに対して、神殿Cではかなり深く彫られており、中には背面とほんのわずかしか接していないものもある。メドゥーサを退治するペルセウスとそれを助けるアテナを表したメトープ(図2: Palermo)は非常に状態が良く、女神の衣服には彩色の後も残る。

図2 セリヌス・C神殿メトープ


別のメトープにはケルコペスを退治するヘラクレスが再び取り上げられ、南イタリアで好まれた主題であったことがわかる。また四頭立て戦車をあらわしたメトープは同じ主題を扱った神殿Yから大きな進歩を示している。外側の馬がそれぞれ外側を向くシンメトリーなポーズであるが、それぞれの馬の前半身が彫り出された極めて立体的な構成で、その表現もよりリアルなものになっている。

前500年頃のFoce del Seleの新ヘラ神殿からはメトープが八点良好な状態で残り、他にも断片が保存されている。その多くが二人一組で走る女性をあらわしており(図3: Paestum)、アマゾン族の戦いが主題と考えられるが、その相手については明らかでない。セリヌスの神殿Cのメトープが当時の彫刻との類似が強いのに対し、新ヘラ神殿のメトープは衣服の表現など当時の陶器画や浅いレリーフ彫刻との類似が見られる。

図3 Foce del Sele ヘラ神殿メトープ

前500-490年頃のセリヌスの神殿FSからは幾つかのメトープが見つかっているが、ほぼ同年代のFoce del Seleの新ヘラ神殿のメトープがやや平面的であるのに対してかなり立体的で、それ以前の両地域のメトープにも共通して見られるこうした相違はそれぞれの地域の嗜好の違いを示しているのかもしれない。主題は神々と巨人族との戦いを表したものと思われるが、倒れた巨人と大きく足を踏み出したアテナの表現はアテナイのアクロポリスの旧アテナ神殿の破風彫刻を思い起こさせる。