トゲウオ目トゲウオ 科トミヨ属  大きさ 35〜60mm  分布 埼玉県熊谷市元荒川源流 
 天然記念物(埼玉県指定) 希少野生生物種指定(埼玉県) 
 背びれに8〜9本、腹びれに1対、尻びれに1本の棘条(きょくじょう)という、とがったとげがあるのが特徴。かつては東京、埼玉に生息していたが、湧水の枯渇によって絶滅し、現在は熊谷市にある元荒川源流のみでかろうじて生息しており、埼玉県が天然記念物に指定して保護している。イバラトミヨの亜種とされているが、分類学上はまだ確定されていない。
 きれいで冷たい湧水の流れに、水草「エビモ」や「オランダガラシ」がしげる水域で生活する。オスが、水草を使って、ピンポン玉くらいの巣を作り、そこへメスを誘って産卵する。オスは、稚魚が巣立つまで、巣の周辺でこどもを守る。雑食性で、ミズムシ、ユスリカ、イトミミズ、植物プランクトンなどを好んで食べる。
 ウォッチングのコツ・・・生息地を見学するには、熊谷市に電話して予約すること。ムサシトミヨを守る会の方が保護の歴史などを詳しく説明した上で現地を案内していただけ、ほんとにおすすめ。そのほか、さいたま水族館(羽生市)でもムサシトミヨを展示している。

ムサシトミヨ


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現地施設

熊谷市ムサシトミヨ保護センター 住所:熊谷市大字久下2148-1
※見学要予約
熊谷市社会教育課
пF048-534-1111
埼玉県農林総合研究センター熊谷試験地内に設置された「熊谷市ムサシトミヨ保護センター」で、ムサシトミヨを展示している。見学は予約が必要。熊谷市社会教育課に電話する。→ムサシトミヨを守る会による、ていねいな説明や案内のもと見学ができる。無料。JR熊谷駅より徒歩20分
熊谷市ホームページ参照

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平成18年1月21日 埼玉県熊谷市 元荒川源流
 ムサシトミヨは、埼玉県の魚。
 その生息地は世界でただひとつ、ここ元荒川の源流部の小さな小川だけ。

 熊谷駅から徒歩わずか20分の住宅街のなか、忘れられたような細い流れだ。水草がたくさん揺らいでいる。
 
 ムサシトミヨは、冷たい、きれいな水の中で生息する魚で、昔は各地の湧水(ゆうすい・わきみず)地にたくさんいた。

 しかし、農地や工業用水の増加による地下水の汲み上げなどによって湧水がなくなり、さらに農薬の散布などで水質が悪化し、各地であっという間に姿を消していく。
 昭和32年、異常な渇水で各地の湧水がかれ、人びとにも知れず、ムサシトミヨの仲間たちは姿を消したという。

 しかしここでは、ニジマスの養殖試験場が作られ、大量の地下水を汲み上げたため、「たまたま」ムサシトミヨの生息地が守られた。

 このころから、田倉さんはムサシトミヨの保護の必要を感じ、行政に訴えはじめていた。
 

 ムサシトミヨは、トゲウオ科のなかまで、文字通り、トゲがある。敵から身を守るようなときにトゲが出る。イバラトミヨの亜種とされる。
 ムサシトミヨはオスが子育てをする。オスは水草でピンポン玉くらいの可愛い巣を作って、ダンスを踊ってメスを誘い、そこで産卵させる。
 産卵の後もオスは巣を守り続け、そして稚魚が巣立つと死んでしまうという。寿命は1年。

 ムサシトミヨに会いたくて、埼玉県・熊谷市にあるムサシトミヨ保護センターを訪れた。
 市役所を通して見学の予約をすると、実際に対応してくださったのは、「ムサシトミヨを守る会」の会長 田倉米造さんだった。
 
 ムサシトミヨを密漁から守るために、何十年もの間、朝夕パトロールを続けているというが、お年を考えるとたいへんな重労働であろう。
 そんな苦労も見せずに、たった二人の受講生のために、ていねいに語る田倉さんのおだやかな顔に深い歴史を感じた。 

← 生息地の川

 冬だというのに、生息地の流れに水草がたくさん見える。エビモ、コカナダモ、オランダガラシ(クレソン)、ミクリなどが生えており、ムサシトミヨの隠れ場所になったり、巣の材料になったりする貴重なものだ。

 その後の田倉さんたちの献身的な活動が実り、腰の重かった行政も、ムサシトミヨの保護に乗り出すようになった。言葉で表せないほどの苦労であったろう。
 
 昭和59年、熊谷市の天然記念物に指定、昭和62年、行政関係者や民間人も参加する「熊谷市ムサシトミヨを守る会」が結成された。
 平成3年、埼玉県の天然記念物に指定され、「県の魚」となることが決まった。これは田倉さんの周到な作戦が成功した決定打だった。今では、「ムサシトミヨ」という魚の名前を、たくさんの埼玉県民が知っている。
 しかし、活動に対する行政の支援はまだまだ十分ではなく、田倉さんたちのような民間ボランティアの活動が必要だ。

← 住宅地が立ち並ぶ

 左が田倉さん
 ほんとに小さな小川なのがわかるだろう。
 市が汲み上げる地下水ポンプが命綱である。
 また、粘り強い交渉が実って、県と市が費用を出し合って、ここに生活廃水が流れないよう、整備されたという。

 昭和57年にさいたま水族館(羽生市)ができ、念願だったムサシトミヨの保護増殖の取り組みがはじまった。学芸員が、苦労をのすえに、やっと飼育に成功したそうだ。
 その過程で、ムサシトミヨの生態が少しずつわかってきて、今では、地元久下小学校などで、子どもたちが増殖を手がけている。
 平成13年1月の調査では元荒川に33000匹のムサシトミヨが生息すると推測されている。
 
 「しかし・・・・」と田倉さん。「せっかく増えたムサシトミヨも、ここ元荒川以外に放流する場所がないんですよ」と話された。
 かつて、県内のいくつかの川に放流したが、ことごとく失敗したそうだ。枯れることのない湧き水と豊富な水草、またそれだけではない複雑な条件を満たす川がない。
 
 繁殖の技術や保護の体制が整ったというのに、大きな壁が目の前にある。はたして人間の知恵と努力で越えられる壁なのか、僕には想像がつかない。だけど、田倉さんをはじめ地元・熊谷市の皆さんの活動が続く限り、必ず次の発展があると信じている。

 田倉さん、そして地元の活動をされている皆さん、これからもがんばって下さい。
 

 昭和48年、田倉さんに転機が来た。新聞に「生きていた幻の魚 ムサシトミヨ」の記事が出てしまった。当時は野鳥の会埼北支部の会員であった田倉さんは、仲間と一緒にムサシトミヨの保護を行政に働きかけたが、なかなかその必要性を認めてもらえなかった。
 密漁も急増したので、夜明けのパトロールをはじめた。密漁者を見つけると、「持ち帰っても必ず死にますから。」と根気強く、さとした。
 

元荒川ムサシトミヨ生息地

熊谷市ムサシトミヨ保護センター

(2006.6.26 公開)