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入母屋破風

 

 
犬山城の窓は、開き戸となっているが、格子が邪魔になり開閉が難しくなることから、戸の内側に設けられた棒で開け閉めが出来る工夫がされている。








 最上階南北面には、上部を花形にした「火灯窓」が装飾として施されている。

国宝天守

National Treasure

昭和10年 旧国宝指定
昭和27年 新国宝指定(文化財保護法)


火灯窓→

廻縁 

 
建物の周囲を廻る板敷きのことであり、犬山城の最上階に設けられている。松山城や丸岡城のように見せかけだけで実際には外に出られない例もあるが、犬山城は外に出られ遠望を楽しめる。

壁造 

 
犬山城の外壁は基本的に柱を見せない大壁造となっているが、最上階に関しては、白木の柱を見せる真壁造となっている。これは、広島城などにも見られ、古式につくることで格式を高めることを目的としていると見られる。

 1階には黒色の下見板張が施されている。下見板張は風雨に対する耐久性がある反面、見た目は漆喰による塗籠が上回るともされるが、無骨な佇まいが逆に戦国の城の風をよく顕し、こちらを好むファンも多い。

入母屋破風 

 
天守の格式を高めるため、入母屋造の屋根は城の最上階には必ず据えられるが、犬山城のような望楼型天守の場合は入母屋造の建物の上に望楼をのせることになるので、下層にも入母屋屋根が必要となる。犬山城の場合は、2階と4階がそれであり、この入母屋にある破風を入母屋破風という。

「石落とし」は、石を落とさない?

 石落としの幅は約8寸(約24センチ)以内が適当とされる。それより広ければ忍び込みに利用されるからである。初期の天守にはあまり例はなく、犬山城の石落としについても当初は存在せず、後に付加されたものである。
 石落としの本来の機能は、ここより石垣に登る敵に鉄砲を撃つ施設なのであり、初期の天守には見られなかった理由がそれである。犬山城にも2箇所しか設けられておらず、このような狭小な間より石を落としたところでその威力はなく、しかも天守全面に設けられていなければ意味がないことになる。

 ちなみに犬山城の石落としは、当初より外観上の装飾として設置されており、もともとその機能を持たない。

天守構造形式  
 
 
外観三層 内部穴倉(地階2階・石垣上4階 計6階
 二層目に入母屋破風を持つ望楼型天守

→犬山城のような望楼型天守では、下層の大入母屋屋根の上に望楼をのせる構造をとるため、その大入母屋中に1階分を造作することが出来る(3階破風の間)ため、外観と実際の階数が異なることになる。


天守の高さ
  約19m(石垣を含めると約24m)

天守の縄張   悌立式(ていりつしき) 

→悌立式とは、石塁技術が未熟な時代において、天然の地山地形に準じた不正形な天守台に縄張りされたもので、天守の階悌となるような付櫓が備え加わる形式をいう。不正形な天守台縄張りのサイズが、金山城天守のサイズと一致し、さらに付櫓の付加部分までもふくめてその寸法が適合することから犬山城は金山城の移築であるといわれている。






天守石垣  

 
未加工の自然石を積み上げた野面積み。天守台はほぼ横目地が通る野面布積に見える。 高さ約5m 。城内の石垣は、例えば明治24年の濃尾大地震の際に天守閣の西半分が倒壊するなどの被害を受けており創建当初からの姿を止めている箇所は少ないとみられるが、比較的古い石塁が残存しているのが、本丸門前の西側(小銃櫓台の下)、本丸北側(天守閣東側大杉の東下)及び本丸東面である。天守台の石垣は、天守解体修理の際に積みなおされ、創建当初の直線勾配の姿を見ることができる。野面積は最も原始的な石垣の形式であるが、その積み上げには高度な技術が必要であり今日では野面を積める職人はほとんどいないともいわれている。


唐破風 

 
犬山城の唐破風は、軒先を丸く持ち上げた軒唐破風である。装飾性に優れ、城の重要部に設けられる。破風の内部には部屋が設けられることが多く、犬山城にも破風の間がある。破風の間は下層の軒先までせり出しており、死角が少なく鉄砲の射撃に有利であった。

破風の間は下層の軒先までせり出しており、死角が少なく鉄砲の射撃に有利であった。