3.スパドリーニの別荘
ジョヴァンニ・スパドリーニといっても、日本ではイタリア政治を研究している人しか知らないか
もしれない。主要国首脳会議(G8)がまだ先進国首脳会議と呼ばれていた81〜82年、当時の日本の
首相は鈴木善幸だったと思うが、鈴木氏と正反対で背丈も横幅も大きな彼の姿をあるいは資料映像な
どで見ることもあるだろう。実は彼こそが共和国史上初のキリスト教民主党以外の世俗政党(彼の場
合は共和党)首相だったのである。
首相退任後も彼は上院議長などを務めたが、何度も名前が挙がった大統領にはついに選出されるこ
とはなかった。彼は人権問題などを重視する都市型の小規模政党である共和党の指導者として、また、
知識人政治家として一目置かれる存在だった。もともと彼は
フィレンツェ大学政治学部(政治学校の
創設者「チェーザレ・アルフィエーリ」を記念名称とする)の現代史講座の初代教授に就任した後、
ボローニャの歴史ある新聞『レスト・デル・カルリーノ』の編集長から、さらにミラーノのイタリア
を代表する新聞『コッリエーレ・デッラ・セーラ』の編集長を務め、1972年に上院議員に当選後も
文化相(もっとも彼に適したポストといわれる)、教育相等を歴任した文化色の強い政治家だった。
彼が復刊したフィレンツェの歴史ある文化雑誌『ヌオヴァ・アントロジア』(英語でいうとニュー・
アンソロジー、新旧の名エッセーを掲載)は現在も彼自身の文章を含め、多くの名文を掲載している。
特に愛書家としての彼は、読書週間などの行事で露店で本を漁っているところが写真で新聞にも載
ったほど有名である。また、著書『イタリアを作った人々』は今日研究的価値は少ないといわれるが、
長くロングセラーとして版を重ねている。彼は1991年には共和国に特に貢献した人物を大統領が任命
する終身上院議員に選ばれたが、1994年に亡くなっている。
その彼の別荘が期間限定で公開されるという記事をフィレンツェ滞在中の1999年3月に『レプッブ
リカ』紙のフィレンツェ版ページに見つけ、記事に従って電話予約した。地図で見るとフィレンツェ
市のはずれの丘の上にある集落のようである。一応バスがあるようだが、よく確認しないまま、市内
から出る路線の終点まで来たが、その先の路線の案内が見つからない。週末の早朝、周囲には誰もい
ない。市街地図で見た限り歩けないこともないだろうと、幸い1時間以上時間の余裕を見ていたので
歩くことにしたが、実はこれが大失敗だった。
別荘のあるピアン・デイ・ジュッラリの集落までの道はフィレンツェを囲む丘ないしは低い山地で
ある。地図上の道のりは傾斜を表現していない。朝から大汗を書きながら、どんどん山地を上ってい
く。とりあえずピアン・デ・ジュッラリの集落を発見して安心したが、スパドリーニの別荘に近づく
と車が1台しか通れないような細い道になり、100メートル手前ではついに車が通れず、みな降りて
歩いて来ていた。十数人、私以外はすべてイタリア人が案内されて入る。
別荘からはフィレンツェの街が一望できる。私はこういう場所に来ると、遠慮して写真をとってい
ないのでお見せできない(紳士淑女の前で日本人丸出しの行動ははばかられる)のが残念だが、本当
に素晴らしい。まず案内に立つスパドリーニ財団の紳士がこの館には10万冊以上の蔵書があり、しか
もこれがすべてでなく、貴重書でなく一般の使用に適したものはピアン・デ・ジュッラリの別の地番
にある財団の図書室にあるという。
最初に入った一室から四方を歴史的事件を描いた絵画に囲まれ、スペースのあるところには上にも
下にも蔵書が書架に組まれていた。特に彼の主たる関心であるイタリア統一関連の絵画が多かったが、
彼のコレクションはおよそリソルジメント(イタリア統一)関連のあらゆる物品に及んでいた。
たとえば、イタリアの緑・白・赤の三色旗は当初から現在の長方形だったわけではない。このこと
は現在ネット上の大統領官邸サイトにも解説があるが、リソルジメント期には真四角の三色旗なども
あった。こうした初期の三色旗が幾つかコレクションにある。また、リソルジメントの英雄を描いた
マッチ、メダルなどの記念品、ミニチュアおもちゃの兵隊もある。財団の人によれば、スパドリーニ
はおよそリソルジメントに関わるあらゆるものを収集したがったという。
書物については、いろいろ説明があって全部は記憶していない。まずイタリア語版の『百科全書』
の初版が揃っていること、ピエロ・ゴベッティの著作や彼が編集した本はトリーノのゴベッティ財団
が持っていないものもあるとスパドリーニ自身が自慢していた、という話は記憶に残っている。
実はこの周辺の土地を日本の現天皇夫妻が訪問しており、特に皇后陛下美智子様は何らかの文学的
関心(絵本か童話?)からこの地の訪問を希望されたという。誰かがお土産に持ってきたのか、小さ
な鎧甲の人形がある。あまりいいものには見えなかったが。
贈り物は贈り主の教養や性格を語る。ミッテラン仏元大統領がスパドリーニに送ったのはスタンダ
ールの初版本だった。ミッテラン自身が若い頃、現在もカヴール通りにあるマルチェリアーナ図書館
で勉強したことがあるという、フィレンツェ人スパドリーニへの敬意のこもった贈り物である。その
横に展示してあるのは、ジェリービーンズがいっぱい詰まったガラス瓶、贈り主はレーガン元米大統
領である。これはレーガン流の親密さの表現なのだが、財団の人によれば、この二つを並べてあるの
も一つの皮肉な演出であるという。
しかし、なんと言っても彼の人柄を語るのはイタリアの知識人、文化人との交流を語る一品である。
新聞や雑誌の風刺漫画でお馴染みのフォラッティーニはよく好んでスパドリーニを描いたが、彼が絵
でなく塑像にしたスパドリーニ人形をプレゼントしていた。作家モンターレの文学作品のみでなく彼
の描いた素描画も友人だからタダでもらった。こうした絵画の幾つかはアルベルト・ロンキの本の表
紙に使われたりしている。フィレンツェの代表的知識人プレッツォリーニに関する品々も多い。
ピアン・デイ・ジュッラリの集落の入口にある建物にはレジスタンス期に犠牲になった人々の記念
板がついている。このような山地でも反ファシズム抵抗活動は行われたのだろうか。実は、スパドリ
ーニの父、グィド・スパドリーニは著名な芸術家で、1944年フィレンツェのカンポ・ディ・マルテ駅
が爆撃された際に負傷者を救出しようとして自らの命を落としている。そのグィド・スパドリーニの
作品もこの別荘に幾つか残されている。現在フィレンツェ市内中心部に近いある通りに彼の名前が付
けられていて、たまたま私の滞在先から大学までのバス路線にあったので、私は毎日その表示を見て
いた。
週末の午前中に行われた公開は、参加者が口々に「素晴らしい朝でした」とお礼を言って終了した。
私も今度は首尾良くバス停(市内バス終点から延長した路線で電話で呼び出す)を見つけ、数人乗り
のミニバスで今度は快適に市内に戻った。
現在フィレンツェ大学政治学部の現代史講座を受け継ぐピエル=ルイージ・バッリーニ教授が授業
の折り、余談としてよくスパドリーニの話をしてくれた。バッリーニ教授が助手時代、スパドリーニ
教授の科目の試験に立ち会うと、若い助手たちが厳しめに採点するのをスパドリーニがよく2〜3点
上げて点数を決めたという。日本流に言うと「仏のスパドリーニ」だったのかもしれない。
2002年2月26日 やそだ記
(関連サイト)
スパドリーニ=ヌオヴァ・アントロジア財団
トップページに財団から見たフィレンツェ風景、Fondazioneの項に財団の建物の写真あり
フィレンツェ信用金庫蔵書スパドリーニ文庫