三月随想


三月三十一日(土)

至言録

今月より、月の最終日に、その月に読んだ本から気に入った言葉や表現等を紹介していこうと思う。第一回は次の四つ。
田中芳樹著、『奔流』より、魏軍八十万に味方の鍾離城が包囲された際、二万の寡兵で救援に赴く、名将の誉れ高い梁の予州刺史・韋叡の言葉。
「老生の軍が二万しかおらぬなどということは、魏軍は知らぬ。老生が到着したと知れば、敵はこちらに兵力を割いて、その分、鍾離はすこしでも楽になるのだ。」
愛宕松男・寺田隆信共著、『モンゴルと大明帝国』より、序章における著者の史観。
「一口に断絶といい、連続というが、両者は、ほとんど弁証法的な関係をもって存在したと考えられる。」
伴野朗著、『呉・三国志』第二巻より、曹操の謀臣・荀[いく]の言葉。
「君子たるものは、人を敬愛するのに、あくまで道義を忘れてはならないのです。」
井上祐美子著、『女将軍伝』より、奢崇明の乱を鎮圧した後、秦良玉の胸に去来する思い。
「乱を起こした者、鎮圧した者、それぞれの上にそれぞれの人生があり、平等に時は流れていくのだ。」


三月二十八日(水)

櫻花

日本人が花といったら桜と考えるようになった時、初めて中国文化の模倣から開放されたと言われるほど、桜は日本人の心と深い関わりがある。古から多くの歌人がこの花を歌に詠み、今でも多くの人の心を捉えて離さない。在原業平が「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」(古今集)と詠ったことはあまりにも有名であるが、日本の春にとって桜は欠かせないものであることがこの歌からも推し量ることができよう。無論例に洩れず、私も桜は好きである。華麗にして、儚い桜花。弥生の空の下、今年も見事な花を咲かせていた。
「深山木の その梢とも 見えざりし 桜は花に あらはれにけり」(源頼政)
「もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし」(行尊)
「吹く風を なこその関と 思へども 道もせに散る 山桜かな」(源義家)
「吉野山 やがて出でじと 思ふ身を 花散りなばと 人や待つらむ」(西行)
「春雨の 降るは涙か 桜花 散るを惜しまぬ 人しなければ」(大伴黒主)


三月二十七日(火)

大陸の風

最近、大陸の音楽を聴くことが多くなった。特に西アジアの音楽は興味深い。西洋の匂いと東洋の匂い、双方を感じ取ることができる。無論東アジアの音楽にも悠久の歴史が感じられ、赴き深い。大陸の風を全身に受けたような、何とも言えぬ感動。音楽とは洋の東西を問わず、素晴らしいものである。


三月二十一日(木)

我が愁いは何(いずこ)より来る、とは、明の高啓の詩の一節であるが、実に我が愁いは何より来るのであろう。病に冒されていたということと大業が控えているということもあるのであろうが、何か気が晴れぬ。しかし、まだ歩みを止めるわけにはいかない。志を新たに、前へ・・・。


三月七日(水)

大津

日本放送協会の或る番組で、大津事件が取り上げられていた。露西亜皇太子が襲撃されるという国家の存亡にかかわる一大事における対応をめぐる政治家たちと裁判官たちとの葛藤。国家の正義をとるか、法の正義をとるか。国家の圧力に屈することなかった児島惟謙らの毅然とした姿に、何度聞いても胸が熱くなることを禁じえない。嗚呼、大丈夫たる者、正に斯くあるべし。上天を跪拝して先哲を偲ぶ。


三月一日(木)

蒼天

今日の鹿児島地方の天気は雨だった。当然鹿児島空港発、東京国際空港行の飛行機も雨の中を飛び立った。暫く上昇を続ける。そして厚い雲の層を抜けると、そこには見違えるような蒼天が広がっていた。眼下には雪原の如き雲海。我々の頭上には、いつでも蒼天がある。例えそれが雲に覆われていようとも。そう、決して失われることはないのだ。嗚呼、天よ、蒼天よ・・・。