二月随想


二月十八日(日)

信ずる道

最近、語録において南宋の忠臣の話を多く書いているのであるが、彼らはただ単に才能が優れていただけではなく、血の滲むような努力をしており、さらには自らの信じる道を突き進む強い意志があった。己の信念を貫くこと、これはあまりにも難しい。それが峻厳な道であればなおさらである。一片の曇りなく信ずる道を行く。これを成したことこそ彼らが青史に芳名を留めた所以ではなかろうか。


二月十二日(月)

人の和

凡そ何か大事を成功させるためには、何にも増して人の和が必要であろう。人の和がなければ、岳鵬挙ほどの逸材がいても成功は難い。逆にいえば、人の和があり、皆が足りない部分を補い合って物事にあたれば、大いなる成果があげられるであろう。人は皆、欠点もあれば長所もある。そして、唯一人の力には限界が存在する。だからこそ、欠点に辟易し、それで終わるのではなく、長所を認め合い、信頼し合って然るべきではなかろうか。人の和を欠いて、古来成功したためしがあろうか。


二月四日(日)

鳥、といえば、こんな話が残っている。時は南宋末、元による中華支配を潔しとしない南宋の臣は、海に逃れて抗戦を試みる。その徹底抗戦派に最終的に擁立されたのは、僅か八歳の衛王であった。周囲は無論のこと大人ばかりで、この幼い皇帝には友人がおらず、ただ一羽の白い鳥を籠に入れ、友としてかわいがった。激戦の続く日々の中、彼は片時もその鳥を手放さなかった。宋軍の必死の抵抗も元の強大な軍事力の前には敵する能わず、遂に克Rに追い詰められ、包囲される。血で血を洗う大激戦が展開された。しかし夕刻には最早大勢は決し、宋軍は力尽きた。衛王は重臣・陸秀夫とともに入水する。その時である。衛王が大事にしていた籠の中の白い鳥は、まるで衛王の後を追うかのように海中へと消えたのであった。幼い亡国の責任も何もない悲劇の皇帝と、その唯一の友である白い鳥とのあまりにも悲しい話である。
この悲話が示すように、古より人と鳥との関わりは深い。古来鳥を詠んだ風雅な詩・歌の類は枚挙に暇がない。鳥は人の心になんともいえないものをもたらしてくれる。
しかし、果たして、籠の中の鳥は、幸せなのであろうか。確かに人の庇護を受け、安逸に日々を過ごせるという点ではそうなのかも知れない。だが・・。


二月三日(土)

花、といえば桜、となったのは平安時代のことで、奈良時代には花、といえば梅のことであったといわれる。はやいもので、如月である。ちらほらと蕾を綻ばせる梅も出てき始めた。梅の花を見ると、春の近いことを感じずにはいられない。鶯の声を聞けばさらにも。冬と春が交わるこの時期は、一年の中で私が最も好きな時期である。梅の花は私の心に凛としたものをもたらすと同時に、なんともあたたかい気分にさせてくれる。
「梅が枝に 来いる鶯 春かけて 鳴けどもいまだ 雪は降りつつ」(古今集)