一月随想

一月三十日(水)
政治不信
二箇月ぶりの随想であるが、少し辛口に。
ここ数日の日本の政治をみていて、こんなに馬鹿らしいと思ったのは久々だった。一体何をやっているのか。失業率が最悪を更新しているにもかかわらず、足の引っ張り合い。構造改革などは夢のまた夢なのか?一丸となって目下最大の問題、経済問題に取り組むべきではなかったのか?
取り敢えず、喧嘩両成敗結構である。中には今回の問題を官僚と政治家の対立の先鋭化と捉える考え方もあるようであるが、結局のところ、双方の歩み寄りなど全くみられない。真相は闇に葬られることとなろう。そして、現内閣になってからの日本の外交部門不存在は深刻であったことも事実であろう。
現内閣で行われた重要な外交問題に、外相がかかわったことがあったであろうか。否、殆ど別の人物によって処理されてきた。それどころか、失言だらけであろう。最大の失言は、私からみれば、中台問題について、「台湾も香港と同じように」統一されるべきであると発言したことである。東アジア情勢への認識不足が露呈された一幕である。この時点でも、既に失望していたが、それ以前も、以降も、舌先三寸、有効な外交を打ち出すことはできず、空転するばかり。
およそ外交は、国の存立にかかわる重要事である。しかし、舌先三寸で外交交渉を乗り切れると思ったら、その認識は甚だ甘いと言わざるをえない。外交で最も重視されるもの、それは信義である。信頼に基づいて、各国と交渉し、この国の国際情勢下での進む道を切り開く。その過程で大いに弁を振るうことは構わない。しかしそれが信義に基づかねば、ただ徒に各国の信頼を損なうばかりである。
嗚呼、悲しい哉、今の日本外交は信頼されているとは言い難い。そして官僚との一体体制を築くことができなかった時点で、信頼を損なうことは判りきっていた。無論官僚側にも非があることも明白であろうが、結局ついに官僚に信頼されることのなかった外相にも責任があると言わざるを得ない。今回の件は、外務省という巨大な組織に、反省を促させるに充分な震撼を与えたとも思われる。しかし、結局のところ本質は変わらないのではないか。政治の場は個人の利権を図る場所ではないことを、各人各人が自覚する以外は、この体制から抜け出すことは難しいであろう。しかし、抜け出さないことには、日本外交の未来はない。新外相の指導の下、外務省が生まれ変われるか否か。これは注目に値する。否、無論変わらねばならぬと思う。
今年は日英同盟から百年(丁度百年前の今日締結された)、日中国交正常化から三十年。日本外交史上の転機であった二つのことを振り返って、今一度、外交とは何かを見つめなおしてみるときなのではないだろうか。
感情的になってしまったが、あまりにもふがいない出来事だったので。