幼い頃はっきり覚えている話がある。

   両親に連れられてベネツィアのグラウンドに練習を
   見に行った日のことだ。

   その時僕は日本人の選手にフリーキックをぜひ蹴って
   見せてくれとお願いした。

   自分でなぜそんなことを希望したのか思い出せないのだが
   彼は快諾してゴール前30メートルの辺りにボールを置き
   得意の左足を優雅に振り抜いた。

   ・・・この時の感動はとうてい言葉では言い表せない。

   ボールは美しいアーチを描いた。

   すうと澄み切った青い空に
   真っ白な球体が溶けあうように浮かび
   それはあやまたずゴールの隅に吸い込まれた。

   ほんの一瞬のことだったのだが
   僕には時間が止まっていたかのように感じられた。

   僕はしばらく転がったボールを目で追い
   我に返って手のひらが痛くなるほど拍手した。

   彼は困惑したような笑顔を浮かべていた。

   この時の経験がなかったら
   僕がプロへ進んだかどうかは大いに疑わしい。

   その意味で彼は僕の人生を決めた恩人とも言えるだろう。


   彼は1972年11月27日、
   シズオカ県フジエダ市に生まれている。

   4人兄弟の末っ子だが
   上がみんな男だったため女の子が期待されていたらしい。

   ヒロシという名前は母親が音の響きだけでつけた。

   兄貴たちがみんなサッカー少年だったので
   彼も後を追うようにこのスポーツにのめり込んだ。
   この頃から彼は左足一本でボールを操っている。

   右の位置にボールがあっても左足に素早くスイッチして
   正確な技術でパスを送れたため
   確かに彼が言うように「右足はつっかい棒」状態であり
   コーチもそれを矯正するような真似はしなかった。

   とにかく度が過ぎるほどサッカーに夢中だったせいだろう、
   技術は確実に群を抜いていた。

   リフティング大会で優勝したこともあり
   きりがないからもうやめろというのが終了の合図だった。

   この時回数は500をゆうに越えていたが
   ボールを蹴ることが好きな本人はけろっとしたものだった。

   4年生の時には一学年上のチームを
   軽々と負かしてしまうほど実力があったため
   異例の「飛び級」として5年生のクラスに配属され
   たちまちそこで主力選手になっていく。

   もともとウイングだったが
   この頃からポジションは中盤に下がった。

   長くても正確なパスが蹴れるという資質は
   確かにゲームメーカーに向いていたが
   それ以上に自分はあまり目立たず
   他人の長所を引き出すことに全力を傾けたせいだろう。

   以来そこは彼の庭になり
   大人になるまで決して彼はそこを離れなかった。

   もちろん優秀なFWに恵まれたことはそれと無縁ではない。

   日本では珍しいことらしいが
   シミズという街はサッカーに関しては
   フジエダとはライバル関係にあったらしい。

   彼が選んだのは清水商業である。

   要するにミランのユースからインテルに移るようなもので
   関係者たちは猛然と反発したが
   本人は上手くなりたいということしか念頭になかった。

   その意志は通され、彼はそこで重大な出会いを経験した。

   一学年上には藤田俊哉がいて
   その素晴らしい才能に惚れ込んだ彼は以来
   「トシヤ」を「味付け」する役目に徹した。

   感性までも共用できるパートナーには
   なかなか出会えるものではない。

   トシヤは後にプロに入ってからもチームメイトとなるが
   この出会いで完全に彼は「引き立て役」に回ることになった。

   しかも自分から喜んで!

   彼の同僚のFWは一様にそのパスの受けやすさを強調する。

   受け手のことを考えて出された柔らかいパスは
   のちに元イタリア代表のストライカーをもうならせた。

   意外性のあるプレーも彼の持ち味だった。

   彼は型にはまった攻撃を嫌い
   何か面白いアイデアはないかと常に考えていた。

   そういう姿勢が想像性を育んだのだろう。
   (僕は天賦の才という言葉を使いたいけれども
   本人はそう言われることを極端に嫌うらしい)

   高校時代はまさに無敵状態で
   高校選手権優勝1回、インターハイ優勝2回、
   全日本ユース大会優勝2回と堂々の成績である。

   三年生の時には「三冠」を達成しそうな勢いですらあったが
   3回戦で大宮東高にPK戦で破れた。

   結局この快挙は福岡の某高校が達成するまで
   10年も待たなければならなかったと僕は聞いている。

   順天堂大学を卒業して彼が選んだのは
   ジュビロ磐田という球団である。
   11チームのオファーの中からそこを選んだのは
   トシヤがいたことも大きいが
   少ないタッチでボールを回すスタイルが
   彼好みだったからというのも大きい。    

   彼は1年目からレギュラーをつかんだ。

   この時日本代表にも選ばれ
   次第にそこでも中心選手となって行く。

   彼に与えられたのはボランチのポジションだった。

   大学まで守備はまったくやったことがなかったが
   ジュビロでオフト、代表で加茂の教えを受けているうちに
   10番を任されるほどに成長した。

   彼自身の性格からして
   この番号にはまったく愛着がないらしい。
   ポジション的にも攻撃のエースという役目ではない。

   それだけ周囲の期待が高かったということだろう。

   彼は過去ジュニアユースの代表に選ばれていたが
   アジアを勝ち抜いたことはなかった。

   次に訪れた機会はW杯予選である。

   彼は終始サッカーを楽しむことにこだわってきたが
   勝たなければならないプレッシャーの中で
   自分を見失い続け
   最後の大一番でようやく本来の自分を取り戻した。

   その試合は日本人にとって
   最もドラマチックな試合だったと聞く。

   イタリアへの移籍を決めたのはW杯の翌年である。

   彼は「足りないものを見つけに行く」といって母国を出た。
   水の都でそれは見つかったのだろうか。

   それは僕ではなく、本人にしか知る術はない・・・。


   「マナ」
   練習の後、トットが近づいてきた。「話があるんだが」

   僕の名前は真波浩之と言うが
   ファーストネームでは誰も呼ばなかった。

   犬のようで嫌だったがそのうちに慣れてしまった。
   フィールド上で呼ばれるのには確かに便利ではある。

   「日本のチームに移るというのは本当か」
   彼は苛立っているようだった。

   単刀直入に聞いてきたのは彼が初めてだが
   記者がいないことくらいは計算に入れているのだろう。

   「行くかもしれないし、行かないかもしれない」
   僕は慎重に答えた。

   「お前の腹はどうなんだ?」
   
   「どうって」
   
   「ローマを出たいのか、そうでないのか」
   トットがこのクラブに対して
   並々ならぬ愛着を覚えているのは周知の事実だ。

   僕は特別にどこか、ないしは誰かに
   激しく敵意を燃やすような人間ではなかったし
   逆に過度の愛着に縛られることもなかった。

   早い話がサッカーがやれるならどこでもよかったのだが
   彼が理解してくれる見込みは低そうだった。

   「僕だって、出来るならローマから離れたくはない。
   13才の頃からずっと過ごしてきたんだし
    よい思い出もいろいろとある。
    だが僕だってプロなんだから
    使って貰えないのなら考えるしかないんだ。残念だが」

   もしかしてこれは本心じゃないかと僕は思った。

   僕自身のことについて少し話そう。

   ローマ生まれだが両親は日本人だ。
   父親は服飾の仕事についている。

   静岡というのは、両親の本籍地に過ぎない。

   僕はひとりっ子だったが、サッカーが一番の友達だった。
   
   自分でいうのも何だが明るく屈託のない方である。
   チームメイトを見つけるのに苦労はいらなかったし
   特別に差別を受けた覚えもない。

   いくつかのチームのテストを受けたがその度に落ちた。

   受かったのは地元のローマFCである。
   
   名門だ。この時は低迷していたが。

   今ではボランチのポジションにいるが
   もともとは左のサイドバックだった。

   ドリブルの技術が伸びずに移されたのである。

   ロングパスに定評があったのはまったく「彼」のおかげだ。
   あれ以来、僕は放物線の美しさというものに魅了された。

   あの鮮やかなフリーキックの弾道の衝撃が
   僕を完全に虜にしていた。

   プレイスキックを任されることは残念ながらまれだった。

   だが一人で繰り返した練習は
   ロングパスの精度を順調に高めたらしい。

   僕はたびたび前線に正確なボールを蹴り込むことで
   あの美しさに追いつこうとした。

   あれこそ芸術だ。他に何と呼ぶべきか!

   手で投げたようなと表現してみる。
   ふわりと羽根が落ちるようなと表現してみる。

   その瞬間僕は凍り付く。

   空に浮かぶボールをじっと見つめ、軌跡をゆっくりと追う。
   このまま時間が止まればいい。ずっとこのまま・・・

   実際に僕はそんな夢を何回も見た。

   トップチームに合流しても僕はレギュラーだった。
   トットはその頃からの同僚である。

   お互いのプレーが好みだったせいで僕らは親友になった。

   ベタベタした付き合いではない。

   私生活までともにすることは珍しく
   二人だけで特別過ごした記憶はほとんどないが
   フィールド上では無二のパートナーだった。

   バチスタとルイースといえど
   僕らの絆に迫るのは難しいだろう。

   だが僕に濃厚な移籍話が持ち上がった時から
   14年も続いた関係に終止符が打たれようとしていた。

   「そうだな・・・こればかりは・・・」

   新監督のフランコは僕がお気に召さないようだった。
 
   あるいは自分色を前面に押し出したいのだろう。
   初のスクデット獲得に向けて戦力の補強を急いでいたが
   必ずしも選手の評判がよいわけではない。

   僕もその一人だが、長年クラブに貢献してきた人材を
   軽視することになりがちだったし
   そうなると連携は一からやり直しだった。

   あと一ヶ月を残してチームは3位、
   勝ち点3の中に5チームが並ぶ大混戦である。

   あせるのも無理はない。だが容認するかどうかは別の問題だ。

   「日本には俺の居場所はないかな」
   トットは意外なことを言い出した。

   「何だって?何と言った」
   僕は思わず聞き返した。

   「Jリーグでプレーするのもいいかなと考えた。
   少なくともローマを敵に回さずには済む」

   「トット、君は・・・」
   音の響きが気にいっていたので
   僕は彼を名字の方で呼んでいた。

   「信頼できる筋からで、無視できない話なんだが」
   トットは声のトーンを落とした。
   「チームが、ナカタを獲得に動いているらしい・・・」

   彼とは日本代表のユニフォームを着て
   ともに戦ったこともあった。

   冷淡なイメージが先行しているが
   案外気さくに話をしたことを覚えている。

   「悪い奴ではないよ、ヒデは」
   
   トットは首を振った。
   「そういう問題ではない。
   フランコの阿呆は俺を信用していないんだ。
   そうでなきゃわざわざ
   同じポジションの外国人を雇うものか」

   「それは考え過ぎだ。君はローマの顔なんだから」

   「マナだって同じだろう」
   「君とは価値が違う」
   「違わないさ」
   「君は攻撃の・・・」

   「まあ聞け。俺は真剣に考えた。
   ローマを愛しているのは誰にも負けないつもりだが
   お前の言った通り、俺だってプロだ。
   それとこれとでは話が違う」

   「・・・・」
   「出来れば、マナと同じチームに移りたいんだ。
   俺は本気なんだぞ」

   彼のことだから散々熟考したのであろう。
   その目は真剣そのものだった。

   「馬鹿なことを言う」
   僕はちゃかそうとしたが、言葉が出てこなかった。

   トットの語気が荒くなった。
   「伊達や酔狂で口に出来るものか!」

   「ファンにはどう説明する」
   
   「これは俺自身の問題だ。どのみちクラブは
   観客のことなど真剣に考えちゃいないんだから。
   あいつらは金のことしか念頭にないんだ。
   俺らのことだって真剣かどうか怪しいもんさ」

   「君は・・・変わったな。トット」
   僕は息をついた。ローマの悪口を言う彼など
   かつては想像もつかなかった。

   こころなしか彼の顔はやつれており
   間近で見たところその髪には白髪が数本混じっていた。

   彼は自嘲ぎみに笑った。そしてこう言った。

   「変わったかもな。昔はもっと単純だった。
   カルチョはただのカルチョだったが
   プロの世界は必ずしもそうじゃない。
   政治とか経済とか、いろんな不純物が混ざっている。
   そっちこそが本質なんじゃないかと 
   ときどき勘違いするくらいだ。
   あらゆるスカウトが俺をローマから連れだそうと
   バカげた金額をもって部屋のドアをノックする。
   だが、一体どこのジョカトーレ(選手)が
   数百億リラに値するっていうんだ?ハッ!
   俺を美術品としてオフィスにでも飾るつもりか!
   なあマナ、何だってこのトットさまが
   マネーゲームの駒にならなくてはならん。
   いつから俺はそんなものに成り下がった。
   俺をそんなふうにしたのは誰だ。何だ。
   そして嘆かわしいのは
   我が愛しのローマがそれに参戦したことだ。
   ファンは俺をキングと呼んでくれる。
   それは本当にありがたいし誇らしいが
   だが正直『ブルータス、お前もか』というのが
   俺のいつわらざる本心なんだ・・・」
  
   トットは泣いていた。

   華やかな脚光の下では想像できないほどの
   苦悩の色が彼を覆い尽くしていた。

   「だが、お前は自由だ」
   彼は静かに言った。

   「俺はずっと思っていたよ。
   何て楽しそうにボールを蹴るやつだと。
   いま初めてお前を見た者もきっとそう言うだろう。
   勝負の世界は文字通り勝敗がすべてだが
   そんな中にあってすら
   お前だけは気にも止めていないように見える。
   ゴールをしても特別喜ぶではなし
   敵の好プレーには迷わず拍手を贈るし
   こう言っては何だが、チームが勝とうが負けようが
   そんな事すらどうでもいいと考えているように思える」

   「かいかぶり過ぎだよ」僕は答えた。
   「僕だってチームのことを第一に考えるさ」
   
   「だがそれよりもっと大事に思っていることがある。  
   図星だろう。俺の目はごまかされんぞ」

   僕の脳裏に、あの日の記憶が甦る。
   それは今でも鮮やかで、そして・・・

   「結局のところ、お前は何を愛しているんだ」
   緑のフィールドに置かれた、白いボール。

   「ローマでないことは確かだな」 
   左足の優雅なキック。

   「当ててやろう。お前が好きなのは」
   空と溶け合う軌跡。

   「カルチョそのものなんだろう。どうなんだ」
   「僕が・・・」

   時間が止まった。

   「僕が愛しているのは」
 

   「それは、フットボールだ」


   トットはしばらく呆然としていたが、やがて破顔した。
   「お前らしい答えだな・・・マナ。実にお前らしい」
   
   「僕の本当の故郷では、サッカーと呼ぶらしい。
   トット、君は知らないかもしれないが
   むかし日本から一人のジョカトーレが渡ってきた。
   『イタリアで足りないものを見つけに行く』 
   彼はそう言って島国を飛び出した。
   彼が日本で何を見つけたかったのか、
   彼がイタリアで何を見つけたのか僕は知らない。
   だがそれは僕にも言える気がする。
   僕がイタリアで27年間見つけきらなかったものが
   日本にあるかも知れない。
   僕は、出来たらそれを確かめに行きたい」

   日本。両親の生まれた国。
   あの美しい軌跡の生まれた国。
   それはおそらく、僕の探し求めていた国。

   「移籍はもう、決まっているんだな」
   トットのそれは、完全に諦めた口調だった。

   「サインは済ませてある。来週中にも発表があるだろう。
   君には済まないことをした」

   「いいさ。仕方のないことだ。
   教えてくれ、マナ。その男の名は何という。
   お前は一体、誰の背中を追いかけているんだ?」

   僕は彼の名前を告げた。 
   そして、幼い日のあの記憶をも。

   「聞かないな」彼はかぶりを振った。
   「どっちみち、お前以上のジョカトーレとは思えん」
 
   「ありがたいが、まだ彼には及ばないよ」

   「そう思うのはお前だけだ。
   子供時代のことだし、美化しているだけさ。
   なあ、俺はお前を心の底から尊敬しているんだぞ」

   「光栄だが、僕は僕のキックに満足したことなど・・・」

   「そうだろうとも。 
   だがファンもチームメイトもみんな違う意見だ。
   次の試合で証明されるだろうよ」

   「出られればね」

   「ところでJリーグの話だが」

   「おっと。残念ながら、
   2部から昇格したばかりのチームでね。
   アズーリのスターを受け入れる資金力はないよ」

   「そんなところに行くのか!!」

   「何よりもやりがいがある」

   「いいさ。俺の言ったことは忘れてくれ。 
   お前の話を聞いていると
   ローマでもう一度やり直そうという気が涌いて来た」

   「それがいい。王様は都を留守にするべきではないよ。
   君には赤いユニフォームが似合う。
   ついでに、地中海の青もね」

   トットはニヤリと笑った。

   「代表でも、お前がチームメイトならよかったのに」
   「僕も同じ意見だ。君以上のFWはいないよ。トット」

   「次に会うのは、インターナショナルカップだな」
   「日本が勝ち抜ければ」

   「勝ち抜くさ。真波浩之がいる」
   「そうだといいけど」

   「最後に聞いておきたいんだが」
   「いいとも。何だい」

   「日本のユニフォームは何色だ?」
   「イタリアと同じさ。海を象徴している」

   僕はウインクした。そしてこう言った。

   「ただし日本海の青だ。
   もっとも、僕はまだ見たことないけれどもね・・・」


   僕のローマでの最後の試合は、トリノ戦だった。

   トットから譲られて
   僕はゴール前のフリーキックを蹴った。

   ボールは悪くない弾道でネットを揺すった。

   翌日の新聞には「ローマにかかる虹!」の見出しが踊ったが
   それは僕のというより
   彼のキックに与えるべき形容のように思えた。

   「やめるな!マナ!」の文字が痛々しく
   僕は柄にもなく、
   控え室のロッカーの前で少しだけ、泣いた。


   日本のグラウンドは
   予想していた以上に整っていた。

   新しいクラブだからなのかもしれないが
   見物客との間を
   無慈悲な金網で仕切っていないのも好感が持てた。

   何人かの熱心なファンにサインを済ませた時
   一人のサッカー少年がボールを差し出した。

   「真波選手」彼は言った。「フリーキックを見せてよ!」
   僕は笑ってそれを受け取ると
   ゴール前30メートルの辺りにボールをセットした。

   確か彼はここからゴールを決めた筈である。

   あの時のことを思い出す。
   つい昨日のような気がするのだが
   もう20年以上も経ってしまったのだ・・・。

   僕は彼のように左足を振り抜いた。

   ボールは弓なりの弾道でネットに突き刺さった。

   だが、何ということだ。
   それは虹というにはほど遠かった。

   幼い僕がそれを見て
   サッカー選手を目指そうなどと思うだろうか?

   僕は頭を抱えた。傍らで声がした。
   「すげえ!」少年だった。「凄いキックだ!」
   少年は目を皿のように見開いてから
   狂ったように拍手を始めた。

   こんなシュートでも子供は夢が見られるのだろうか。

   そう思うと、何だか微笑ましかった。

   「そう思うのはお前だけだ」
   トットの声が聞こえたような気がした。

   「お前は一体、誰の背中を追いかけてるんだ?」

   僕はその時はっきりと思い出した。
   彼は確か、困惑したような表情を浮かべていた。

   僕は苦笑して
   もしかしてあの時、名波浩も
   僕と同じ気持ちだったのかも知れないなとふと考えた。