ガラス越しに見るフィールドは別世界のようだった。

   両サイドのスタンドは青と黄の原色で埋めつくされていた。
   ここから見下ろすと誰が誰だか見当もつかない。

   それを補うためだろうか、巨大なモニターが設置してあったが
   そのスイッチを入れる気にはならなかった。

   このTVのせいで、外窓の存在意義は全く台無しである。

   「あそこのスタジアムのVIPルームは最低だ」と誰かに聞いたが
   評判どおりの何とも味気ない部屋だった。

   が、でもまあよい。

   これから2時間あまりを平穏に過ごすにはここは適当な場所
   であろう。

   私は、まさか誰かが入ってくるなどとはこのとき想像もして
   いなかった。目ぼしい人物はみなスタンドに下りて試合を
   観戦しているはずだからだ。
   
   だがドアは開いた。

   姿をあらわしたのは意外な人物だった。

   彼が私を見知っているかどうか自信はなかったが何度かお互い
   のチームを率いて対戦したことはある。

   私を見るなり、痩身のオランダ人は破顔してにこやかに
   右手を差し出した。
   覚えていてくれたようだ。

   「ハロー。これは、また」
   グラーフも明らかに、私がここにいることに驚いていた。
   「貴方は日本サイドのスタンドにいると思いましたが?」

   「疲れていましてね」
   私は嘘をついたつもりだったが、案外的を射ているかもしれない
   と思った。

   「あなたはどうしてこちらに?」
   自分の英語力に大した自信はなかった。

   彼は窓の外に目をやりながら言った。
   「ブラジルにも日本にも友人がいますのでね。
   特定のどちらかを応援は出来ません。
   絶交されるのはゴメンですからな。この年でね」

   日本の友人とは誰だろう、と思ったが追求は差し控えた。

   「貴方の育てた選手は、とても素晴らしかった」
   グラーフは続けた。


   「とても素晴らしかった。
   私自身、選手の育成にはいち家言あるつもりですが
   それでも発展途上の国のレベルを
   短期間で世界の一流にまで引き上げるのは
   並大抵の技量じゃない」

   どう返事をしていいのか私はしばらく考えた。

   「ありがとう」我ながら虚ろな答だったが
   グラーフは気にしなかったようだった。

   「選手たちとは、話をされましたか。試合前に」

   「ええ」
   杉下竜次の顔が浮かび、すぐに消えた。

   グラーフが続けさまに言う。
   「おお、もう時間だ」

   歓声がいっせいに沸き上がり、部屋の壁をぴりぴりと揺らした。

   インターナショナルカップ決勝戦ブラジル対日本の試合が
   今始まったのだ。

   私はそれを直接目にすることなく、
   世紀の対決の開幕を喧騒からおぼろげに悟った。


   杉下竜次は私のチームに5年在籍し、数々の思い出を残した。

   彼の父親が亡くなった時のことはその中でも忘れがたい出来事
   の一つだった。

   黒い喪服に身を包み、私は小樽まで出向いた。

   この時私は、冬の北海道の厳しさを身をもって知った。

   喪主は杉下だった。通夜の後、彼は父親の部屋に私を通した。
   そこには印象的な一枚のパネルが飾ってあった。

   「ご存じですか」彼が言った。

   「杉山隆一選手です。
   もうずいぶん昔のサッカー選手らしいんですけどね・・・」

   素晴らしい写真だった。
   撮った方も見事だが、被写体もまた見事だった。

   白地のユニフォームを着た日本人の選手が
   ボールの上につま先をぴんと立てて
   今まさにターンを切って相手を抜き去ろうとしている姿だった。

   敵DFが写っているのは背中だけであるが
   どこの国の選手だか判別はつかなかった。

   ただ、これほど力強く美しいフェイントを
   いままで見たことはない。私は素直にその姿に見とれた。

   「父は杉山選手の大ファンでした」
   杉下は続けた。

   「僕の兄は隆一といいました。
   父がサッカー選手にしようと思って名付けたんです。
   名字が似ていたということもあって
   ひどい熱のいれようだったようです。
   もっとも、兄貴はちょこっと野球をかじっただけで
   スポーツとは無縁の人でしたけれどね。
   僕が中学生の時に事故で亡くなりましたが・・・」

   君の名前もそうか、と私は尋ねた。彼は頷いた。

   「兄がうまくサッカーに興味を覚えなかったので
   いろいろ考えたらしいんですがね。
   その解決策がたつ、竜の字だったと。
   まあそれは結果的に正解でしたけど」

   彼はそう言って笑った。

   「偉大な選手の存在は、 
   他人の人生までたやすく変えてしまうんですよ」

   私は黙って聞いていた。そしてその時、
   彼自身がはたして杉山隆一にどういう思いを抱いているのか
   結局聞かなかった。その後それを少しだけ後悔した。


   杉山隆一は日本サッカーが世界に誇る左ウイングだった。
   168センチと小柄だったが
   素晴らしいテクニックとスピードは
   世界の一流と比較しても全く見劣りがせず、
   試合において本場のプロのDF陣をたびたび切り裂いた。

   1ドル360円の時代に20万ドルのオファーを受け、
   以後「黄金の足」をもって知られることとなった。

   杉山は静岡の生まれだったが、
   今でこそ「日本のブラジル」である同地でも
   サッカーという競技の存在すら認知されていなかった。

   杉山は1944年の生まれで、
   兄貴のように慕っていた中学の担任教師のすすめで
   サッカーをはじめることに決めた。

   だが明治生まれの父親の対応は冷ややかだった。
   「生まれもった手をなぜ使わん。
   しかもヘディングなど、頭がばかになるぞ」

   この一般的な認識が変わるまで
   日本は実に10年待たなければならなかった。

   駿足に恵まれた杉山は、清水東高時代から注目の的だった。
   ユース代表に選ばれ、59年にはアジアユースで3位になった。

   明治大学へ移った後も、2年の時にフル代表に呼ばれた。
   64年東京五輪、杉山は20才になったばかりだった。

   アマチュアばかりが揃う日本代表が
   本場の強豪相手にかなうわけがない。

   その風評を、日本イレブンはみごとに吹き飛ばした。

   中でも杉山の仕事ぶりは傑出していた。

   強豪アルゼンチン相手に3ー2の大金星、
   そのうち1得点1アシストを決めたのが彼だった。
   1ー0で先制された後半9分、
   ロングパスを貰った杉山は、驚くべきスピードで
   敵DF二人を振り切り、40メートルを独走して
   クリーンなシュートを右足で突き刺した。

   31分後には正確なクロスで
   小城得建の決勝ゴールをアシスト。
   戦前のベルリン五輪以来、28年ぶりの勝利だった。

   海外チームから誘いを受けたのは、
   この活躍を受けてのことである。

   しかしこれが杉山の能力のすべてではなかった。

   彼の真価は4年後、メキシコで発揮されることになる。

   西ドイツのクラマーは情熱的で科学的だったが
   鬼コーチとして知られていた。

   日本チームは年間150日の合宿を組み、
   実に大会まで83試合というハードスケジュールが組まれた。

   杉山に課せられたのは、
   走るコースと仕掛けるタイミングの徹底である。

   100メートル11秒1という駿足に
   相手との駆け引きが加われば、恐いものはない筈だ。

   この経験が後に「ヒザ下の動きで相手の行動を察知する」
   抜群の洞察力となって現れた。

   合宿で彼は一日200本のセンタリングを上げ続けた。
   緩急をつけ、高さを変えて、強弱を意識して。

   ゴール前には3才年下の釜本がいて、
   それに合わせて一日200本のシュートを放った。

   顔さえ見れば、お互いの要求がわかる。
   
   その域に達した二人のコンビネーションは絶妙で、
   彼らは以後「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。

   五輪予選、南ベトナム戦での杉山のゴールが効いて
   本選に乗り込んだ日本は快進撃を見せた。

   日本の9得点のうち、
   6試合で7得点を決めた釜本は得点王に輝くが
   そのうちの4点を献上したのが杉山である。

   バネの効いたステップからDFを振りほどくと
   ゴール前に正確無比なクロスを上げる。

   スイーパーとストッパーの間に巧みに割って入った
   釜本が胸でトラップ、左足を一閃させる・・・。

   3位決定戦で強豪メキシコを下した2得点は
   いずれも彼らが得意のパターンで生み出したものだった。

   日本サッカー史上に輝く銅メダルはこうして獲得された。

   杉山が最も栄光に輝いた瞬間であった。

   三菱重工の社員になった杉山は
   日本リーグ時代、8シーズンで
   45のアシストを決め、3度アシスト王に輝いている。

   現役を退いて実家の酒屋を手伝ったあと
   ヤマハ発動機の監督に就任し、
   チームを日本リーグの強豪に育て上げた。

   髪の毛が真っ白になったのはその心労のせいと言われる。

   その後、三菱は浦和レッズになり
   ヤマハはジュビロ磐田になった。
   時代がJリーグ誕生を迎える頃、
   昔日の名プレーヤー杉山は49才になっていた。

   人に老いは平等にやってくるが
   もし彼がこの舞台に立っていたら
   目の覚めるような活躍をしていたことであろう。

   だが、現在、あの時代の名選手の真実を語り継ぐ声は少なく
   老将は静かに去り、人は来るべき時代にのみうつつを抜かす。

   自らの役目を終えた彼らははたして、
   一体どのような心もちでそれを眺めているのだろうか・・・?


   グラーフがTVをつけていた。
   やかましいアナウンスがなかったのは幸いだった。

   私の心は画面の上には無く、
   ぼんやりと自分自身について起きた
   意識の変化に思い巡らせていた。
   私がだんだんと、寂しさとか、恐怖とか、不安とか、
   やり切れない感情に身をよせるようになったのは
   いつ頃からだったろう。

   杉下がブラウン管に写っていた。

   身体のキレを欠いているのは明らかだった。
   彼はカゼで体調を崩していたし、
   河本は足首に爆弾をかかえていた。

   ブラジルの猛攻は、いつ日本の防衛線を突き崩しても
   おかしくないように思われた。

   見るに忍びなかった。私は目をそらした。

   そしてその行為が
   ずっと前から繰り返されてきたものであることに
   不本意ながら私は気づいていた。

   彼らはもう既に私の知っている彼らではなかった。
   私の育てた選手が相当数入っていたが、
   新しいチームを立ち上げ、J2に昇格し、勝てず、
   資金繰りに四苦八苦して
   少しでも上を目指した時代は
   もはや思い出すのも難しい遠い日の話だった。

   いつしか我がチームは強豪となり、私の手におえなくなり、
   「我が」チームではなくなり、
   まるで別の巨大で異質な何かに変貌を遂げていた。

   今では、時代が急に進みすぎたのだ、と私は知っている。

   私は弱い時代の日本を知っている。
   巧みだが、精神的に弱く、
   頼りなかった時代の日本を知っている。

   彼らは、必ず勝つだろうという安堵感とは無縁だった。

   私は終始、「負けるのではないか」という思いとともにあり
   そのショックから身を引くために
   試合を直視することを恐れた。

   そして試合に敗れるたびごとに
   やっぱりかなわなかったといって自分を慰めた。

   裏返せば、それは欧州や南米やアフリカや韓国に対する
   コンプレックスの現れだったのだろう。

   彼らは実に堂々として見えた。
   日本人にはなぜこれが足りないのだろう、私は再三そう考えた。

   そして河本のような若い世代が
   そのふてぶてしさを完全に身につけたとき、
   彼らはとうてい同じ日本人には見えなかった。

   同じ顔と同じ言葉を持った、どこか別の国の集団にすら思えた。

   彼らのプレーは試合前の不安感こそぬぐい去ったが
   私にとってはまるで外国人たちも同然だった。

   私は、いまだに試合をおそれ
   いまだに英語すらうまく話せないでいる。

   彼らとの共通点など
   もはや何ひとつといっていいほどなかったのだ・・・


   私は試合前に杉下を訪ねた。
   彼と会うのは久しぶりだった。

   スペインへ行った彼の活躍は逐一飛び込んでくるものの
   実際に話すと彼はまるで変わっていなかった。

   日本チームはここまでぼろぼろの状態で
   何とか勝ち進んできたといっても過言ではないい。

   両エースの不調はチームに深刻な影響を及ぼしていた。

   対するブラジルは絶好調で、
   決勝トーナメントに入ってからは快勝の連続だった。
  
   私は日本代表の控室に顔を出したが、
   何と声をかけていいものかわからなかった。

   杉下は私の意をくんだようにこう言った。
   「ご心配にはおよびません。勝ちますから」

   彼の声は特別力強くはなかったが、はっきりとこう断言した。

   「僕たちが決勝にまで進んできたのは
   その実力があったからだと思っています。
   当然勝ちにいきますよ。
   ブラジルは確かに強敵ですが
   決勝にはふさわしい相手だと思います」

   しかし、相手は「王国」ではないか。

   驚異的な破壊力を誇り、世界最高の大国である
   ブラジル相手に勝利を?

   そんなことは・・・そんなことは・・・とうてい・・・

   「僕らは日本人です。恥じる必要はありません。それに」
   杉下は続けた。
   「こちらには竜がいて、鬼がいます。
   世界を迎撃するのにこれ以上の組みあわせはないでしょう?」
   選手たちがげらげらと笑った。

   河本がまじめくさって言った。

   「これこそ真に日本的ですな、会長」
   
   私は苦笑した。
   「そうだな。我々は日本人か」

   杉下が顔を引き締めた。
   その唇から、断固とした意志の言葉が発せられた。

   「そうです。我々は日本人です。
   確かに日本には強くサッカー文化は
   根付いてないかもしれない。 
   しかし歴史は確実にある。皆がそれを忘れている。
   会長ならご存じでしょう。
   プロリーグが発足する何十年も前に
   土の、でこぼこのグラウンドで
   サッカーへのたゆまぬ愛情と情熱だけで
   世界のひのき舞台に立った先人たちのことを。
   彼らは偉大だった。何もないところから
   とうとうそこまでたどり着いた。
   今の我々は恵まれています。
   実に素晴らしい環境がありながら、
   彼らを越えられないわけがあるでしょうか? 
   我々は負けるわけにはいかないんです。
   先人たちの残した遺産を食い潰す時代は
   もう終わりにしなければいけません。
   彼らの時代のような達人ぞろいをもってしても 
   世界に王手をかけることは夢のまた夢だった。
   しかし今では決して夢ではない。
   夢は夢のままであってはいけない。
   それはいつか目標になり、やり遂げるべき課題となるのです。
   最後の階段をあがるのは我々です。
   彼らは紛れもなく日本人でした。僕たちもそうです。
   この先、時代がどれほど進んでも、
   我々の身体には常にサムライの血が流れているんです」

   杉下はそう結んだ。私は黙ってそれを聞いていた。

   その時私は、私自身の身体にも
   サムライの血が流れているのだろうかとふと考えた。

   青いユニフォームをまとった
   日本のサポーターが写っていた。

   彼らは祈るように必死の応援を続けていた。
   彼らがどれほど苦しい思いをしているのか
   ブラウン管越しにも痛いほどよくわかった。

   そしてその祈りと声援が、フィールド上の戦士たちに
   どれほどの活力を与えるかということについても。

   あの時代。まだ私のチームが弱小だった時代。
  
   私はチームを必死になって応援した。

   クラブ代表という立場でありながら
   苦しさに胸をかきむしりながら、必死で彼らの勝利を願った。

   そうだ。私はいつこんな大切な感情を
   どこかに置き忘れてきたんだろう?

   私は自分の行いを恥じた。逃げる必要はないのだ。
   我々はサムライなのだ。私はサムライなのだ。急がなくては。

   「応援席に行きます」
   グラーフに性急に言うと、私は立ち上がった。

   彼は無言で笑っただけであった。

   私はそそくさとドアの取っ手を掴んだ。
   その時、ひときわ大きな歓声が土の底から響いた。

   私は振り返った。
   そこに写っていたのは杉下だった。
   左サイドでカナリア色のDFを2人背負い、
   鋭いダッシュでマーカーをひきつれた後
   ほれぼれするような一瞬のターンで裏へ抜け
   センタリングを通した。それは


   私が今まで見たことがないほど、
   力強く、美しいフェイントだった。


   そのボールは寸分違わず
   空中に浮かんだ河本の頭に吸い込まれた。

   ネットが力強く揺れた。私はドアを開けた。

   スタジアム中に響きわたる
   地鳴りのような歓喜の声が私を包んだ。

   私の頬に熱いものが流れた。

   泣いてはいけない。

   彼らはまだ、何も成し遂げてはいない。
   日本サッカーの夢はまだ終わったわけではないのだ。

   だが、涙はあふれ続けた。
   後から後からとめどなく流れて止まらなかった。

   私はところかまわず泣いた。
   「俺は日本人だ!!!」
   
   私は嗚咽をもらしながらそう叫んだ。
   「俺は日本人だ!!!」

   その時、世界中でこの試合を観戦しているはずの
   同国人の一人一人がイレブンと一体になり、
   万感の思いに身を震わせている光景を
   私はうるんだ背景の向こうに確かに見た。

   私は壁によりかかりながら観客席に急いだ。
   その間も、歓声はやむ気配もなく
   永遠に続くかと思われる心地よい感情の波に私は酔い続けた。