第8回 マリオ・ケンペス
   

    1978年W杯、アルゼンチンは自国開催の名誉を得た。

   彼らは何としても優勝しなければならなかった。
  
   2年前クーデターによって成立した軍事政権の政府力
   をアピールするためだった。国際的名声の失墜と経済
   危機を救うのは、優勝しかなかった。

   全権を委ねられたメノッティ監督はスペインから戻って
   きた若者にすべてを託した。

   彼の名は「エル・マタドール」
   闘牛士マリオ・ケンペス。

   新政府の意向で、選手は国内組で固められた。だが
   唯一例外的に呼び戻されたのはアルゼンチン最高の
   FWだった。

   スペインのバレンシアでプレーしていた彼は異郷の地で
   その名を授けられた。

   長髪を風になびかせ、抜群のスピードで駆け抜ける気品
   ある姿は、闘牛士にふさわしいものだった。

   2シーズン連続で得点王になるなど実績は申し分なく、
   しかもまだ23歳の若さだった。

   優勝できなければ、二重の意味で首が飛ぶ。メノッティ
   はケンペスを切り札に、大いなる賭けに出た。

   ケンペスは1次リーグでは沈黙したが2次リーグで突然
   息を吹き返した。早いテンポのパスからスペースが生み
   出されるとその隙を見逃さずドリブルで駆け上がった。

   抜群の突破力と、卓越した得点感覚。ケンペスは2列目
   にそえられてから本来の動きを取り戻した。

   本来の破壊力を発揮したケンペスに率いられ、
   アルゼンチンは決勝でオランダとあいまみえる。

   「3ー1で勝つ」とオランダの監督ハッペルは言った。
   だが結果はまったく逆のスコアだった。

   クライフこそ欠いていたものの、4年前トータル・フット
   ボールを誇ったディフェンス陣をケンペスのドリブルが
   次々にうち破った。
  
   DFたちが密集してくるより先に前へ抜け出る。
   それは髪の毛1本の間合いで迫り来る猛牛をかわす、
   「闘牛士」の姿そのものだった。

   個人の力を抹殺するためのプレスの波、それをやすやす
   と打ち破った個人の圧倒的な力。

   彼は決勝戦で2得点1アシスト、得点の全てにからみ
   自らの得点王のタイトルに花をそえた。

   軍事政権の延長を招いた優勝は多くの非難を集めたが
   しかし雪のようにまう紙吹雪のなか、さっそうとフィールド
   を駆ける貴公子の姿は永遠に人々の心の中に生き
   続けるに違いない。

   この傑出した才能はケンダルという名で登場する。

   Jの舞台で、「マタドール!!」の声が響く時、
   彼は必ずライバルの横腹に風穴をあけることだろう。