第6回 エウゼビオ
  

   1966年、奇跡を起こしたチームがあった。

  W杯イングランド大会において、北朝鮮(朝鮮民主主義人民
  共和国)がイタリアを破ってベスト8に進出したのだ。

  準々決勝でも彼らは優勝候補・ポルトガル相手に前半20分
  だけで3ー0の差をつけていた。誰もが二度目の奇跡を思った
  とき、一人の黒人選手がフィールドに送り込まれた。
  
  この後、怒涛の4ゴールを挙げて北朝鮮をうち砕くその男は
  皮肉にも北朝鮮同様、南米でも欧州でもない、第3の大陸
  から来た刺客だった。

  エウゼビオ・フェレイラ・ダ・シルバはポルトガルの植民地、
  アフリカのモザンビークで生まれた。

  当時ポルトガルでは、植民地から来た優秀な黒人プレーヤー
  が数多く活躍していたがエウゼビオはその中でも傑作中の
  傑作だった。

  頑健な筋肉としなやかな肉体、すばらしいボールコントロール
  と得点感覚でたちまち代表のエースの座を射止めた。

  彼が19歳の時、所属していたベンフィカがペレ率いるサントス
  と対戦したときには3ー0で押されていた後半から出場して
  たちまちハットトリックを達成、ペレを震え上がらせた。

  欧州チャンピオンズカップ決勝でボビー・チャールトン、
  ジョージ・ベストら錚々たるメンバーを擁するマンチェスター・
  ユナイテッドと対戦したとき、敵チームの名将マット・バスビー
  はエウゼビオにボールが渡るたびに「頼むからやめてくれ。
  もうやめてくれ」と呻いたという。

  彼についたあだ名は黒豹
  事実、フィールドでの無法ぶりは猛獣を思わせた。

  彼はベンフィカで11回の優勝、7回の得点王をとり、
  欧州最優秀選手とチャンピオンズカップを手に入れた。

  W杯で9得点、ポルトガルを3位におしあげた彼は世界で
  認められたアフリカ人プレイヤーのさきがけとなった。

  エウゼビオが特に誇ったのはその強靭な右足だったが選手
  生活の晩年には、その右足ひざの古傷に悩まされた。

  代表で点が取れなくなると、口さがない人々はこう言った。
  「結局、あいつは植民地の人間じゃないか」

  結局古キズは完治せず、アメリカとメキシコでプレーしたあと、
  彼はこう言ってユニフォームを脱いだ。

  「僕はベンフィカが好きだ。
   だが自分をポルトガル人だと思ったことは一度もない。」

  それ以来、彼に匹敵するFWは同国に現れておらず人々は
  決定力の低さを嘆くたび「エウゼビオがいれば」とその名前
  を口にする。

  時は流れて1993年、ベンフィカのスタジアムの入り口に
  彼の功績を称える銅像が立てられた。

  のちに制作された伝記映画には、こんな副題がある。

  「マジェスターデ・オ・レイ」
。サッカー王陛下。
  その名前は、いかにも彼にふさわしい。

  エウゼビオはエスタシオという名前でポルトガルに登場する。

  あなたのチームのスタジアムでも、いつか右足を降りあげた
  「黒豹」の銅像がサポーターを出迎えるに違いない。