最終回
   

    私の高校時代の先生はむかしサッカーをやっていて私によく
   その男の話をしてくれた。

   人々はいまだに彼を「日本で最も偉大なサッカー選手」と呼ぶ。

   彼をとりあえず
「K」と呼ぶことにしよう。

   Kのプレーを私が初めて見たのは、高校生になってからだった。
   彼はとっくに引退していたが、大きな書店のテレビ画面にその
   映像は映っていた。

   彼はボールを受けると、ぶんと足を振ってネットを揺らした。
   彼が頭をどんとあわせると、ボールはゴールに吸い込まれた。

   たぶん彼の得点を記録したビデオだったのだろう。
   私はすごいと思ったが、正直ただそれだけだった。

   先生はKに関してはとても詳しかった。
   先生はいちいち数字をあげながら彼の偉大さを説明した。

   「一つ。Kは日本代表で157点を獲った。歴代1位。
    一つ。Kは日本リーグで202点を獲った。歴代1位。
   ちなみに2位の選手とは50点以上の点差をつけている。
 
   一つ。Kは
メキシコ五輪で得点王を獲得した。
   世界大会で得点王をとったアジア人は現在までKただ一人
   である。うんぬん。かんぬん。」

   そうはいわれてもまだ私にはよくわからなかった。

   日本代表が決定力不足を指摘されるたびに、Kの名前が亡霊
   のように口にされるのが自分なりに気にくわなかったのだろう。

   私は、何となくKを過小評価したくなっていたのである。
   だが公平に見て、私の彼への評価はまったく間違っていた。

   Kは「型」を持っていた。柔道の「型」。茶道の「型」。
   はたして、Kの「型」はゴール前のそれであって、

   右45度からのシュート
には、絶対の自信を持っていた。

   クラマーという人は日本サッカーの進歩に貢献した大人物だが
   Kがまだ早稲田大学にいた時、彼をこう評した。
   「ミギ、インターナショナル。ヒダリ、ハイスクール」

   Kは頭に来て左足のシュートを黙々と練習した。西ドイツと
   ブラジルに単独で短期留学し、日本に帰ってくるたびに
   めきめきと上達していった。

   武器はもう一つ増えた。滞空時間の長い、強いヘッド。

   型は彼のプレーをせばめたのではないか?
   それでは、試合で臨機応変に対応できないのではないか?

   逆だった。DFは彼を恐れた。
   彼の右足を恐がるあまり左足のシュートを許してしまう。

   Kは常に敵を自分の領域へ誘い込んだ。
   DFが一歩踏み込んだら・・・もう、おしまいだった。

   彼は驚くほど速く、鋭く、強かった。
   彼がボールにタッチするのは一瞬だ。
 
   その一瞬以外のすべての時間は、型を発揮するための
   下準備に使われ、彼はたびたび勝った。

   「K2世」と呼ばれた選手を見て本家はこう言った。
   「何でもかんでもシュートしようとしとる。あれではあかん」

   すべて型に持ち込んでしまう。力強さと周到さ、抜け目のなさ。
   つまり、それがKの真骨頂であった。

   メキシコではチームメイトに恵まれていた。
   
   杉山隆一は快速ウイングの名を持つテクニシャンだった。
   その切れ味するどいターンは本場のプロも顔負けで、4年前
   の東京五輪でアルゼンチンを下した彼は64年の時点で
   7000万の値がつけられていたためそれ以来
「黄金の足」
   
と呼ばれている選手だった。

   Kはその役割がら、守備に加わるのは免除されパスコースを
   限定するだけで、常に自由だった。

   左サイドを杉山が崩す。Kが右サイドで合わせる。

   6試合で合計7回、王者メキシコを沈めた2発を含む。
   日本サッカー史に残る偉大なる銅メダル。得点王の座。
   Kには、海外からのオファーが殺到した。

   だが杉山も彼も、日本からは出ていかなかった。
 
   60年代・・・時代はまだ、彼らにそれを許さなかった。

   Kはアマチュアだった。だが徹底したプロであった。
   
   彼のボストンバッグには、試合に必要な品がきちんと入って
   いていつも同じ順番、同じ時間に整理された。

   道具はぴかぴかに磨かれ、練習着にはアイロンが当てられた。

   Kはヤンマーに入社し、その仕事をこなしながらも一日に
   何回も秤に乗った。

   それはいつも同じ数字を指していた。

   500グラム多かった時、合羽を着込んでランニングした。
   500グラム少なかった時、給料をはたいてステーキを食べた。

   ヤンマーは彼のおかげで、弱小から名門になり今では
   セレッソ大阪と呼ばれるチームの母体になった。

   引退試合は盛大に行われた。誰もが彼との別れを惜しんだ。
   その中には、ブラジルの「神様」までもが含まれていた。

   先生のポジションはキーパーだった。
   大学時代、Kと対戦したことが一度だけあった。

   Kは選手として明らかに晩年を迎えていてそのころになると
   DFにまで下がっていた。

   「シュートを打ってくれるといいな」先生は思った。
   その望みがかなった。

   攻め上がったKのシュートは弱々しく感じられた。

   先生は記念のために手を延ばした。そしてまさにそうなった。

   ボールが右の手の平に触れた瞬間先生の指の神経はみな、
   ブチブチと音をたててちぎれた。

   先生とはあれから一度も会っていない。
   まだあの学校にいるのだろうか。いるのだろう。

   もう動かない4本の指を見せながら
   また誰かにKの偉大さを話しているのだろう。

   Kが引退して15年が過ぎ、何千人ものプロが登場した。
   だがKを越える選手はいまだに一人も現れていない・・・。

   「ボス、ボス」
   バウアーの声だった。外国人たちは、必ず私をそう呼んでいた。
   
   「疲れましたか」
   私は目を覚ました。ベンチでまどろんでしまったらしい。

   日頃の激務がたたっていたのだろうか。
   私は姿勢をただし、得点ボードに目をやった。

   0ー2。点差はまったく変わっていなかった。
   結局のところ、ロナルド一人にやられている格好だった。

   ミラノはいつだって強い。
   今年もまた、我々の前に立ちはだかるのだろうか・・・。

   「マリッシュが限界ですね」
   バウアーは、流暢な日本語でそう言った。

   スーツ姿のこのドイツ人は、去年までこのクラブでレギュラー
   として活躍していた。

   36才で引退した彼は、今期から監督に就任している。
   私は彼の働きぶりにはおおいに満足していた。

   つきあいの長さと生来のカリスマも手伝って彼がチームを
   まとめあげるさまは実に見事だった。

   マリッシュは彼の同僚だった。体力的には既に下り坂にいた。

   「今の時間は?」
   そう問うと、無言で彼は時計を指した。

   後半が始まってからもう20分が過ぎようとしている。
   マリッシュが疲れきっているのは明らかだった。

   ミラノのDFは、しつようにこの英国人をマークしていた。
   悲しいことだが、彼はもう老いている。

   今期限りでユニフォームを脱ぐのは確実だろう・・・。
   「奴にアップを命じておきましたが」
   バウアーは面白くもなさそうにいった。

   「いけませんでしたかね」
   監督は君だ、と私は言った。本来なら私の領域ではない。

   私は横に目をやった。
   視界に、大柄な背番号9が飛び込んできた。

   ワールドクラブリーグは、私が最も欲しかったタイトルだった。
   
   私がこのクラブを強くした、とうぬぼれてよいほど私は
   チームのために全力を尽くしてきた。

   バウアーやマリッシュを連れてきたのは私で、彼らは私の
   期待以上の働きをしてくれた。

   今やJリーグは世界がうらやむほどの豪華なリーグだ。

   各国の代表選手がずらりと勢ぞろいし、昔日のイタリアや
   スペインのリーグがかすんで見えるほどだ。

   その中で6年連続チャンピオンを飾った我々は世界各国
   からも強豪と認められる名門となっていた。

   だが、ワールドクラブリーグのタイトルは別だった。

   負傷者やコンディションの調整に泣き、「世界一」という勲章
   だけにはどうしても無縁だった。

   今年が最後のチャンスになるだろう。私はそう思っていた。
   年間チャンピオンの座は、昨年マリノスに奪われていた。

   バウアーは公平に見て優秀な監督であったがいかんせん
   チームは老いていた。

   一つの時代がゆっくりと、確実に終わろうとしている。

   それは悲しかったが、受け入れなければならない事実だった。

   「スギ、スギ!」
   バウアーが怒鳴った。「もっと前!」

   明るい兆候もある。杉下竜次がそうだった。

   この若者は若干18才だったが、堂々のレギュラーだった。
   私から見ても、そのドリブルの切れ味はすさまじかった。
   きっと近いうち、日本を背負って立つ選手になるだろう。

   「出ますよ、彼が」

   バウアーが言った。9番だった。鮮やかに染めた金髪。
   浅黒い肌。大きく、がっしりとした身体。しなやかな筋肉。
   その少年が入団したのは今年に入ってからだった。

   とんでもない逸材がいる、と報告してきたのはスカウトの
   横堀だった。奇跡だ、とも付け足した。

   少年に直接会ったのは私だった。
   まだ16才だったが、ひどく老成して見えた。

   その目は射抜くようにまっすぐ私を見つめ、話をする間、
   決してそらすことはなかった。

   言葉遣いは丁寧だったが、その奥にはふてぶてしいまでの
   自信が見え隠れしていた。

   只者ではないということはすぐわかった。

   後に彼の練習を見たコーチがこう言った。
   「彼はすごいですよ。あんな逸材は見たことがありません。
   右足の強さはもうワールドクラスですね。
   左足は、練習次第で何とかなるでしょう。
   もっとも、今はまだ高校生のレベルですがね・・・」

   ・・・めまいがした。

   私はどこかでこの話を聞いたことがある。
   確か、そんな日本人選手が昔いたような気がする。
   名前は?・・・どこの何という選手だったろう?

   ・・・なぜだか、まったく思い出せない・・・。

   「ボス?」
   バウアーが私の顔をのぞき込んでいた。

   疲れているんだ、と私は自分自身に言い聞かせた。
   今は・・・そうだ、マリッシュが出て交代するのだ。
   誰と?彼とだ。だが・・・彼はまだ・・・。

   「いけませんか」
   
   少年は、まだ一度も試合に出たことがないルーキーだった。
   初の舞台が16万人の観客の前では、危険なのではないか。

   「問題にしないでしょう」
   バウアーは言いはなった。「見てごらんなさい」
 
   少年は少しも気後れしていなかった。
   いつもと同じようにまっすぐ顔をあげ、堂々と立っていた。

   マリッシュが近づいてきて、力なくラインをまたいだ。

   少年は、先輩をいたわるかのような視線を投げかけた。

   英国人はほほえんで、その肩をたたいた。
   それが合図だった。

   少年はそれから、一度だけ力強く振り返ると、はじかれた
   ようにフィールドに飛び出していった。

   この日、彼が見せてくれた奇跡の数々を、私は生涯決して
   忘れることはないであろう・・・。

   彼の名は、河本鬼茂という。伝説は今、ここから始まる。