例えばイタリア代表では、ファンタジスタは敬遠される 傾向にある。 堅実な組織プレーという確定要素と、天才の圧倒的な ひらめきという不確定要素を比べた時、リスキーな冒険 を避け、後者を重視するのが時代の流れである。 かくて天才はシステムにはめこまれ、歯車の一部となる ことを強いられる。 だが、一人の傑出した才能に全幅の信頼をおき、彼に 全てをたくすこと、このクラシックとも呼べるスタイルで 一大旋風を巻き起こしたチームがあった。 1994年ルーマニア代表、人々はそのチームを 「ハジのチーム」と呼んだ。 「東欧のマラドーナ」 ゲオルゲ・ハジに与えられた名前である。 アメリカ大陸に乗り込んだ24チームのうち、マラドーナと 呼ばれた男は、アルゼンチンの「本家」を除いて彼しか いなかった。 組織プレーの潮流に流された各国からはのきなみ「10番」 が消えていた。 ハジは本家と同じく、左利きのファンタジスタだった。 信じられないほどのテクニシャンで優れたパスセンスと 得点能力を兼ね備えた典型的な10番だった。 18才で代表にデビューしたこの才人は4年前のイタリアW杯 でも活躍し、グループリーグ突破の原動力となっていた。 ルーマニアが世界に誇る最高のプレーヤー。 監督のヨルダネスクは迷わなかった。 あらゆる危険を承知の上でハジにすべてをまかせた。 何故なら彼は、彼らにとってのマラドーナだったからだ。 堅く守ってのカウンター。戦術はこれだけだった。 国外に優秀な人材を「輸出」することで祖国の旗には 過去最強のメンバーが集まっていた。 その攻撃の舵取りはすべてハジが請け負った。 彼はこの期待に見事に答えた。 ベロデディチを最後尾におく5バック、チャンスが来る までじっと息を殺していた彼らはハジがボールを持つと いきなり目覚めた。 ハジはどんな隙も見逃さなかった。 23センチの小柄な左足がひとたび振り抜かれると、 たちまちビッグチャンスが生まれた。 圧巻だったのは予選リーグのコロンビア戦で、絵に描いた ような速攻から駿足のFWラドチョウにみごとなアシストを 送った。 また、彼自身、GKの隙を見逃さず25メートルのドライブ シュートを決めてみせ、優勝候補の一角に対し3ー1と 快勝した。 グループリーグを1位で突破したルーマニアはアルゼンチン と対戦、ドーピングで「本家」を失った強豪を3-2で打ち砕いた。 このゲームでも、狙いすましたパスで味方の2ゴールを お膳立て、自身も1ゴールを決める。 手のつけられない快進撃に国民は熱狂した。 第1回大会以来、実に64年ぶりのベストエイト、彼らの 期待はいやがおうにもたかまっていた。 世界もこの老練な左足に注目していた。 延長戦でリードしておきながら、終了間際に追い付かれた スウェーデン戦、ルーマニアはPK戦で涙を飲んだ。 帰国した彼らを待っていたのは国民の熱狂的な歓迎だった。 サッカー協会からの賞金こそ少なかったが、自動車会社 は彼ら全員に高級車を送り、山麓の一等地を贈呈する者 まで出るほどだった。 あるタクシー会社は「一生ただで乗せます!」と宣言し、 ハジを筆頭とする勇士たちを苦笑させたという。 彼らがその恩恵に預かったかどうかは知れない。 ハジはレアル・マドリード、バルセロナなどのビッグクラブ でプレーしたこともあったが大した活躍をした訳ではない。 むしろ、軸としてプレーできる弱小チームで光り輝いた。 ルーマニア代表歴114試合を誇るこの英雄は現在でも トルコのガルタサライでその才能を発揮し続けている。 この天才レフティーはタジという名で登場する。 ポジションはMF。 全幅の信頼をおかれた時、 彼ははじめて決定的な仕事をする。 その才能が輝くかどうかは全てこの点にかかっている。 あなたの街でも、ゆうゆうとタクシーに乗った もう一人のマラドーナの姿が見られるだろうか。 |