ダニエル・パサレラ
(アルゼンチン、DF)



    78年、アルゼンチン代表監督メノッティは地元開催
   の大会で暴力的なイメージをぬぐうために24才の
   パサレラにキャプテンを命じたが彼は優勝をもって
   それに見事に答えた。

   「エル・ゲレーロ(戦士)」
という異名の通り、他人にも
   自分にも決して妥協を許さない強い精神力を持ち
   天性のキャプテンシーをもってチームを統率。

   174センチという大柄ではない身体だったが抜群の
   ジャンプ力とバネを誇って空中戦を得意とした。

   左足のキックも正確で、フリーキックをまかされ代表
   として70試合に出場し22ゴールというセンターバック
   としては驚異的な数字を残している。

   この大会では、アルディレス、ケンペスという中央の
   ラインを後ろから叱咤し、鼓舞し、指揮操縦して
   「一人で3人分」の仕事を軽々とやってのけ、W杯を
   高々と掲げるのにふさわしい働きぶりを見せた。

   ちなみに優勝を決めたのは彼の所属する
   リバープレートのホームスタジアム。

   この名門に移籍したのが21才の時で8年間のうち3回
   全国選手権のタイトルを獲得、フィオレンティーナと
   インテルでプレーした時にはイタリアリーグでの
   DF得点記録を塗りかえるなど名選手にふさわしい
   足跡を残す。

   34才で引退後はリバープレートの監督を務めオルテガ
   などの若い才能を発掘、94年には代表監督に就任
   するが軍隊式なやり方が選手たちの不評を買い、
   好成績を残すにいたらなかったのは残念である。

   炎のセンターバック、パサレラは
   パサーリャという名で登場する。

   常に全力を尽くすそのプレーぶりは貴方のチームの
   若い選手の格好の教科書となるであろう。

ジュゼッペ・シニョーリ
(イタリア、FW)



    わずか171センチ68キロの小柄な体格ながら
   しなやかなボールさばきと研ぎすまされた得点能力
   を誇る元イタリア代表のストライカー。

   努力の人として知られ、11才の時にインテルに合格
   するも低身長が災いして活躍の場を与えられず15才
   で移籍したフォッジアで才能を開花させた。

   このチームで生涯の恩師ともいえるゼーマン監督
   に出会ったことはことのほか大きく、91-92シーズン
   1部リーグに昇格したばかりのチームながら一時は
   優勝争いに加わった功績が評価されてラツィオ入り。

   移籍した年にいきなり24ゴールをあげて
   2年連続セリエA得点王という勲章を手にしたが
   その活躍にも関わらずスクデット獲得はならなかった。

   イタリア代表入りは92年。

   94年アメリカ大会ではロベルト・バッジオの影に
   隠れる格好となったが確実に決定的チャンスを
   生み出す
スーパーサブとしての能力も高いことを
   証明した。

   もっとも以降は目立った活躍はなく、サンプドリアを
   経て今期からボローニャでプレーしている。

   現在31才だが、枯れるにはまだまだ早い年齢であり
   鋭い突破が再び甦るのを期待する声も多いという。

   遅れてきたストライカー、シニョーリは
   バニョーリという名前で登場する。

   Jリーグに参戦しても彼は
   「第2のゼーマン」に出会うことができるだろうか?

洪 明甫
ホン・ミョンボ(韓国、リベロ・MF)



    「アジア最高のリベロ」
と世界的評価の高いDFで
   韓国代表の精神的支柱。

   そのプレーの質の高さはJリーグでもおなじみで、元来
   ストッパータイプの井原に比べ非常に
攻撃意欲が高い
   
ことで知られる。

   正確な技術と展開に対する鋭い読みで再三に渡って
   ボランチの位置にまで飛び出し相手の間隙をぬって
   決定的な場面を演出する。

   そのプレースタイルが活きたのが94年アメリカW杯で、
   予選リーグ初戦でのスペイン戦では後半35分まで
   2点リードされていたにもかかわらずFKから1点目を
   記録すると終了直前にソ・ジョンウォンの同点ゴールを
   アシストする見事なスルーパスを通し難敵と引き分け
   に持ち込む最大の殊勲者となった。

   ドイツ戦では敗北したが王者に対し1点差に迫るミドル
   シュートを決め、この2試合での活躍が認められて94年、
   アジアサッカー連盟の選ぶ
ベストディフェンダー賞
   受賞している。

   その才能は国内でも早くから注目され、高麗大学に
   籍を置く身ながら90年イタリア大会で3試合にフル出場。

   浦項アトムスの一員としてデビューした年にはいきなり

   KリーグMVP
に輝き、以後ベストイレブンが4回と
   コンスタントな活躍を続けた。

   97年途中からベルマーレ平塚に加入、現在所属する
   柏レイソルでは幅の広いプレーぶりを現すかのように
   守備的MFとして登録されている。

   あまりの眼光の鋭さのために空港でヒットマンに
   間違えられかけたという嘘のような経歴の持ち主で、
   30才になる今年も能力の衰えは見られない。

   身長181センチ、体重73キロ。既婚、子供なし。

   韓国の誇る逸材、ホン・ミョンボは同名で登場する。

   スペインとドイツに対してそうだったように、
   彼の牙は強敵であればあるほど鋭さを増すことだろう。

パオロ・ロッシ
(イタリア、FW)



    「黄金の子」
の異名を持つイタリア史に残るストライカー。

   174センチ66キロと比較的小柄できゃしゃだったが
   優れたポジショニングとスピード、ワンタッチでゴールに
   押し込む卓越したセンスで一世を風靡した。

   ロッシの人生こそは転落と復活の繰り返しの見本である。

   10代でヒザを壊しユベントスを放出されると中小クラブに
   活躍の場を移し77-78シーズン、セリエAにあがったばかり
   のビアツェンツァで21ゴールを挙げて得点王になった。

   78年W杯アルゼンチン大会では3ゴールを挙げて
   ベスト4進出の立役者となり、その才能はペレからも
   
「今大会最高の発見」と賞賛される。

   翌年ユベントスが買い戻そうとしたが当時史上最高額
   の350万ドルでペルージャに競り負けた。

   ところが、国内の大規模な八百長事件に荷担した疑いで
   裁判所の判決こそ「証拠不十分」だったがサッカー協会
   より2年間の
出場停止処分を受けてしまう。

   26才で復帰した直後に迎えた82年スペイン大会では
   彼より優れたストライカーが存在しなかったためエース
   として臨んだが、この大いなる賭けは大正解であった。

   予選リーグこそ沈黙したものの最強の敵「黄金の中盤」
   率いるブラジルと準準決勝で対戦。

   この試合で「黄金の子」は深い眠りをさまし
ハットトリック
   
の大活躍で4人以上の輝きを見せた。

   その勢いをかって残り2試合で3得点、44年ぶりの母国の
   優勝と得点王のタイトルを手にしW杯に
「ロッシの大会」
   を刻みつけることに成功。

   この年の
バロンドールも受賞している。

   ロッシのキャリアのピークは間違いなくこの大会からで
   以後所属したユベントスでリーグ優勝が2回、
   チャンピオンズカップ、スーパーカップ、
   カップ・ウィナーズカップ、コッパ・イタリアが1回ずつと
   重要なタイトルのほとんどを手にいれている。

   もっともその後は古傷に泣き、実力にも関わらず
   それ以上の得点王とは無縁のまま
   わずか29才で伝説の彼方に姿を消した。

   短くも激しく燃えた選手生活だった。

   「バンビーノ・ジ・オーロ」パオロ・ロッシは
   ロゼイという名で登場する。

   地中海にきらめく黄金色の輝きは
   その名が変わっても健在である。