カレッカ
(ブラジル、FW)



    ご存じ元柏レイソルのエースストライカーでブラジルを
   代表するビッグネームの一人。

   80年代を代表する点取り屋で、頭でも足でも得点できる
   幅広いプレーが売りものである。

   チャンスメーカーとしての能力もたいへん高く、真面目で
   誠実な性格で人々に好かれた。

   無名のグアラニーからキャリアをスタートさせ77-78シーズン
   に全国チャンピオンになると83年からは名門サンパウロ
   に活躍の場を移し、サンパウロ州選手権、全国選手権で
   優勝してそのどちらもで
得点王に輝いている。

   サンパウロでの4シーズンを過ごしたあとイタリアに渡り、
   マラドーナのいるナポリへ移籍。

   欧州でのキャリアは唯一ここだけであるがこの世界一の
   舞台で活躍し、マラドーナとともに欠かせぬ戦力として
   世界的に認知された。

   W杯での活躍は、サンパウロ在籍時代の86年メキシコ大会
   でスペイン、アルジェリア戦を始めとして数々の決勝ゴール
   にからみ、5試合に出場して5得点。

   史上最高の名勝負といわれるフランス戦では先制ゴール
   をたたき込んだが、惜しくもPKで散った。

   90年イタリア大会でも4試合に出場し2得点をあげている。

   カレッカのキャリア中、数少ない心残りは直前のケガにより
   「黄金の中盤」を誇った82年大会の一員になれなかったこと。

   圧倒的な攻撃力を持ちながら決定的なアタッカーを欠き、
   準々決勝で姿を消したために余計に悔やまれた。

   来日したのは33才の時で、もうピークは過ぎていたが
   日立を母体とする柏レイソルのJ1昇格に貢献したあと
   Jリーグでも1シーズンプレー、翌年にサントスで選手
   生活を終えている。
   
   37才だった。

   代表試合62試合29得点。

   本名アントニオ・ジ・オリベイラ・フィーリョ。

   髪の毛はしっかりとあるが
   何故か「カレッカ」は
禿げ頭の意。

   カナリア色の才人、カレッカは
   カレーラという名前で登場する。

   柏ファンならずとも、全盛期の彼のプレーは
   見逃せないところであろう。

カルシャ・ブワルヤ
(ザンビア、FW・MF)



    未だ36才で現役だが、ザンビア史上最高の名選手で
   あることに疑いの余地はない。

   左利きのプレイヤーがしばしばそうであるように典型的
   な天才肌の選手で、柔らかいボールテクニックと精度
   の高いパスを駆使しチャンスメーカーとして無類の才能
   を発揮してみせた。

   リベリアのウェアなどと同様、代表チームでなかなか戦力
   が揃わない国の出身でありW杯での出場こそなかったが、
   88年のソウル・オリンピックチームの中心となり6得点を
   上げて得点ランクの2位につけている。

   圧巻だったのが予選リーグのイタリア戦で、ずらりと
   揃ったセリエAのレギュラーを相手に記録したスコア
   は何と4-0。

   ブワルヤはイタリア代表GKタッコーニの牙城を3度に
   渡って破り、ハットトリックを達成している。

   この活躍が認められアフリカ最優秀選手賞を受賞。

   圧倒的なパフォーマンスを見せた彼は注目を集め、
   ベルギーのサークルブルージュからオランダの名門
   PSVアイントホーフェンに移籍。

   ソウルで得点王をとったロマーリオとコンビを組み2度の
   リーグチャンピオンと1度のオランダカップ優勝に貢献した。

   94年からはメキシコに渡ってアメリカFCの一員になり、
   現在でもそこでプレーしている。

   ザンビア代表としての正確な試合数は不明だが94年には
   アフリカ選手権で準優勝を飾り、2年後の大会では得点王
   を獲得している。

   アフリカサッカー史に残る真に偉大なプレイヤーの一人。

   ザンビアの英雄ブワルヤは
   ルブワヤという名で登場する。

   アフリカン・サッカーの真髄は
   彼のプレーによって証明されるだろう。

エンツォ・フランチェスコリ
(ウルグアイ、MF・FW)



    30年代までに栄光を築いたウルグアイ代表が50年の
   沈黙を経て生み出した天才。

   攻撃に関する幅広いアイデアを持ち、それを実戦する
   テクニックにも優れていた。

   そのプレーぶりは何とも華やかで、ついた名前が
   
「エル・プリンシペ(殿下)」

   得点能力にも秀でていて、FWとしても決定的な仕事をした。

   ウルグアイの小さなクラブ、ワンダラーズでキャリアを
   スタートさせ、国内の2大クラブ(インテルナシオナル、
   ペニャロール)には移籍せず、それより高い値をつけた
   アルゼンチンのリバープレートで頭角をあらわした。

   指折りのストライカーとして名を馳せ、85-86シーズン
   に優勝を飾るとフランスのレーシング・パリに移籍。

   3年間で32ゴールをあげたが、チーム経営難のため
   マルセイユに移った。

   イタリアのカリアリやトリノを点々としたあと33才で再び
   リバープレートに戻り96年にリベルタドールス杯優勝を
   経験している。

   南米最優秀選手賞
も2度受賞しており、渡仏前と帰国後
   に分かれていることからいかにこのチームが彼の水に
   合っていたかがわかる。

   W杯の成績こそぱっとしないがウルグアイ代表として
   南米選手権(コパ・アメリカ)に3度優勝しており、
   代表デビューした83年大会には決勝でブラジル相手
   に値千金のゴールをあげている。

   FWのフォンセカとともに、古豪復活ののろしをあげた
   偉大な「殿下」は97年、36才でキャリアを終えた。

   代表68試合、16得点。

   結局かなわなかったが横浜マリノスに移籍が濃厚だった
   こともつけ加えておこう。

   ウルグアイが誇る天才、フランチェスコリは
   フランシスコという名前で登場する。

   オフェンスは、彼に任せておいて間違いはない。


パット・ジェニングス
(北アイルランド、GK)



    優れたGKは(論理的に考えて)目立たぬ方がよく、
   ピンチと紙一重にあるスーパーセーブなどないに越した
   ことはないのだが、その定義ではジェニングスは全く
   無能ということになる。

   英国の生んだ
最高の守護神の一人といわれるこの男は
   しばしば何でもないボールを片手ではじき飛ばし堅実に
   両手でキャッチすることをさほど重要視してないように
   見えたからだ。

   しかし抜群の反射神経と人並外れた大きな手は他の誰
   よりも長い一流のキャリアを彼に与えた。

   実に1000を越すシニアチームでの試合に出場し41才
   まで現役を続行、代表キャップは世界でも有数の
   119試合(北アイルランド記録)にのぼる。

   62年、17才の時にイングランドに移り、主にトッテナム・
   ホットスパーズとアーセナルのライバルチーム双方で
   活躍、主要タイトルのカップ戦決勝で7回に渡ってゴール
   を守り、5回優勝を遂げている。

   中でも73ー74シーズンにトッテナムで勝ち取った
   UEFAカップは彼にとって最も大きいタイトルとなった。

   代表には20才から選ばれ続けたがチームが力をつける
   のにことのほか時間がかかり、82年スペイン大会に
   ようやく初出場。
   
   この時37才。

   86年メキシコ大会にも参加して大会中に41才の誕生日
   (W杯最年長記録3位)を迎えたものの同日ブラジルに
   破れたためそのまま引退した。

   スーパーセーブの連発
はサポーターに何度となく冷や汗
   をかかせたが、味方からの信頼は常に絶大だったと
   言われそれだけ信頼するに足る歴史的な名手であった。

   身長183センチ、体重80キロ。

   北アイルランドの守護神、ジェニングスは
   ジャニングという名前で登場する。

   彼なら敵のシュートも難なく防ぐだろう・・・むろん片手で。