アンドリー・シェフチェンコ
(ウクライナ、FW)



    旧ソ連の国々が連邦崩壊後に引き当てた最高のカード
   と言っても差しつかえないだろう。

   「ウクライナの矢」
の異名をとりたった一人で敵陣を突破して
   ゴールを決めてみせるパワーあふれる大型ストライカーで、
   新時代の旗手と信じられている

   ブラジルのロナウドの牙城に迫る勢いである。

   ゴール前での得点能力
が傑出しているばかりか与えられれば
   MFとしての仕事もキッチリこなし、フリーキックの能力も大変高い。

   まさにいたれりつくせりの23才の若者はウクライナの名門、
   ディナモ・キエフ育ち。

   トップリーグに昇格したのが18才の時で欧州チャンピオンズ
   リーグにおいてクラブが賄賂の疑いで締め出しをくった時
   (95ー96)でもチームから離れることはなかった。

   抜群のスピード
で敵を置き去りにしてしまうスタイルはディナモ・
   キエフの水にたいへんうまく溶け込み瞬く間に大黒柱へと成長、
   97年には国内リーグのMVPを受賞している。

   その真価を世界に知らしめたのが問題のチャンピオンズリーグ
   (98ー99)準準決勝で、強豪レアル・マドリード相手に2ゴール
   をあげて撃破。

   準決勝での敗退となったが、10試合で7ゴールという堂々の
   成績で、欧州での評価をさらに高めた。

   99年からはかねてから噂のあったACミランに移籍、最も成功
   するのが難しいイタリアのリーグで開幕からの6試合に出場し
   7ゴールをあげるなど1年目から大樹ぶりを発揮している。

   真面目な性格で、常にチームを優先させる優等生だが個人と
   しての目標は大きく、「フットボール史に名を刻むこと」。

   シェフチェンコならそれも不可能ではないだろう。

   代表デビューは95年クロアチア戦、19試合8得点。

   「白いロナウド」シェフチェンコは
   シャフチャンコという名で登場する。

   日本でも彼は、栄光の歴史を刻み続けるに違いない。

ヨハン・ニースケンス
(オランダ、MF)



    クライフとともにアヤックスとオランダ代表の中心となり、
   トータル・フットボールの完成に貢献した
「もう一人のヨハン」

   運動神経、持久力はともに抜群で激しく中盤を動き回って
   チームを牽引した。

   タイミングを読んだ鋭いタックルを見せるなど守備の能力
   も高いオールラウンダーで、
   地元のヘームステーデ・ハーレムでキャリアをスタートした
   が20になってアヤックスに加入、同クラブ黄金時代の
   幕を開ける。

   当初サイドバックだったが、攻撃に関する才能と
   ファイティング・スピリットが評価されMFで活躍する
   ようになった。

   3年連続欧州チャンピオンをたぐりよせ、オランダリーグ、
   オランダカップも制覇するなど
「優勝のハットトリック」
   
を飾っている。

   アヤックス加入の年にすでに代表入りし、オレンジ旋風
   を巻き起こした74年西ドイツ大会ではスピードある突進
   と右足の力強いシュートを駆使してチーム最多の5得点
   をあげた。

   MFながら、PKのスペシャリストでもあり、W杯史上初の
   PKを決めて歴史に名を残している。

   74年にはバルセロナに移籍。

   78年スペインカップ優勝と、それを受けた翌年の
   欧州カップウィナーズカップも制覇している。

   2つのタイトルを置き土産にアメリカへ渡りニューヨーク・
   コスモスの一員としてプレー、2度のリーグ優勝に貢献
   したが、84年スイスに移籍しようとして失敗しそのまま
   ユニフォームを脱いだ。
   33才だった。

   代表での記録は48試合17得点。

   優勝請負人、ニースケンスは
   キースケンスという名前で登場する。
  
   グラーフとともにプレーさせなくとも
   彼は最高の仕事をするであろう。

オスバルド・アルディレス
(アルゼンチン、MF)



    フォークランド諸島を巡っての歴史的な犬猿の仲なのにも
   かかわらず、イングランドで最も愛されたアルゼンチン人。

   78年、優勝したアルゼンチン大会のレギュラーで、比類なき
   ゲームメーカーとしてメノッティ監督の目指すクリーンな
   イメージにパサレラとともに大きく貢献した。

   167センチと小柄だが、確かなテクニックを持ち
読みの鋭さ
   
で常に相手の裏をかく頭脳派で、アルファベット順に背番号
   をつける習慣のせいでフィールダーながら背番号
を付けた
   ことでも印象に残る。

   母国を優勝させたあとイングランドに渡り、相棒のビージャ
   とともにトッテナム・ホットスパーズと契約、英語を積極的
   に勉強するなど柔軟な順応性を見せて同クラブのアイドル
   となった。
   (とはいえ自分のクラブのことは 常に「トッティンナム」と
   なまって発音した)

   80ー81、81ー82シーズン2期連続でFAカップを制覇
   したのが主なタイトル。

   アルゼンチンとの戦争が始まった82年からは
   パリ・サンジェルマンにレンタル移籍され、
   翌年には戻って
UEFAカップ優勝を経験している。

   だがこの時期ヒザの故障に苦しみ、歓喜の瞬間はベンチ
   で味あわざるを得なかった。
   
   それから4シーズンを消化、最後には無償でトレードされた
   が87年、35才でユニフォームを脱ぐ。

   引退後は天職ともいえるような監督の仕事につき数々の
   中小クラブを更正させた。

   日本人には、今年のセカンドシーズン優勝を飾った
   エスパルス復活の土台を築いたことやカズがいた当時の
   ディナモ・ザグレブを率いたことで記憶に新しい。

   来期からは横浜Fマリノスの監督就任が決まっており、
   かねてから語っていた「引退後にはアルゼンチンへ帰る」
   という言葉は未だ果たされていないままだ。

   代表52試合8得点。弁護士の資格も持つ。

   趣味はチェスと読書、田園の散歩。

   南米のジェントルマン、アルディレスは
   アラビレーズという名で登場する。

   監督になっても彼は、チームに貢献し続けるに違いない。

ジャンフランコ・ゾラ
(イタリア、FW)



    「トト」スキラッチ以来のサルディーニャ島出身の
   大スター。

   小柄ながら、卓越したテクニックを誇りFWながら
   ゲームメーカーとしての才能も秀逸。

   世界屈指のFKのスペシャリストでもある。

   典型的な叩きあげの選手であり、18の時にキャリア
   をスタートしたが所属のヌオレーザはセリエC2だった。

   彼の才能が花開くのは23才の時でいくつかのクラブ
   を点々とした後、マラドーナ率いるナポリに加入、
   奇しくも背丈が同じだったこの偉大なプレーヤーに
   触発されてテクニックと創造性に磨きをかけ
   「マラゾーラ」の異名をとる名手へと変貌を遂げた。

   ナポリでは89ー90シーズンに優勝しているが、
   コンスタントに得点能力を発揮しはじめたのは翌年
   からで93年に移籍したパルマでも調子は衰えず
   欧州スーパーカップとUEFAカップをもたらす。

   97年からはイングランドのチェルシーに渡ったが、
   「母国」の攻撃サッカーはことのほか彼にあったらしく、
   頭一つ以上高いマーカーを度々背負うにも関わらず
   イングランドのサポーターを驚嘆させ続け、外国人
   ではアルディレス以来の高い評価を得た。

   98年には、欧州カップウィナーズカップ決勝戦で
   チェルシーを27年ぶりの優勝に導く決勝ゴールを
   マークしている。

   今年33才だが、彼の勢いは当分とまりそうにない。

   94年W杯に出場、現イタリア代表。

   「リトル・ファルコン」ゾラは
   ソラリという名で登場する。

   彼のような素晴らしい才能を育む土壌が
   日本にあってくれることを望む。