ケビン・キーガン
(イングランド、右ウイング)



    名門リバプールが生んだ最も偉大な選手の一人。
    愛称
マイティ・マウス
 
   172センチと小柄だが、ファイティング・スピリット溢れる
   ファイターで自分より大柄なDF相手に怯むことなく果敢
   にヘディングを挑み、たびたび競り勝った。

   精力的に動きまわる
ムービングタイプのFWであり、
   気持ちを前面に押し出すことから考えても日本では
   ジュビロの中山雅史に最も近いタイプだろう。

   リーグ3部のチームにいたところを名将シャンクリーに
   見いだされリバプール入り、同クラブが国際的に飛躍
   するきっかけとなった。

   72-73シーズンにはUEFAカップの決勝でボルシアMG
   と対戦、ホームで2ゴールを上げ、初タイトルに貢献した。

   2年後に再び同タイトルを獲得した時も決勝のホームと
   アウェーで1点ずつをあげており、
無類の勝負強さ
   発揮している。

   76ー77年には欧州チャンピオンズカップも制覇。

   再びボルシアMGとあたったが、W杯でクライフを抑え
   込んだフォクツのマークに屈することなくその動きに
   たまりかねたフォクツのファウルを誘いPKを奪取、
   決勝点を演出した。

   その年を最後にハンブルガーSV(ドイツ)に渡り翌年に
   ブンデスリーガを制する。

   欧州チャンピオンズカップにも再び勝ちあがったが決勝
   で伏兵のノッティンガムに破れて優勝はならなかった。

   代表としての戦績は63試合で21得点だがW杯は82年
   スペイン大会で1試合出場したに留まる。

   最も重要な大会での成績は乏しいが
   バロンドールも2年連続で受賞した正真正銘の名選手。

   現在イングランド代表監督であるが「後輩」オーウェンの
   活躍ぶりをどのような気持ちでながめているのだろうか。

   キーガンはイーガンという名で登場する。

   中山と二人で、ファイターコンビを組ませるのも
   面白いかもしれない。

   きっとその名に恥じない程の成績を残してくれるだろう。

エリック・カントナ
(フランス、FW/MF)



    ジャン・ピエール・パパンとともにプラティニ擁する
   「シャンパン・サッカー」の時代から98年にW杯を制した
   新時代の旗手たちのはざまに位置する世代の選手。

   足に吸い付くようなボールタッチとスピード豊かなドリブル、
   非凡なゴールへの嗅覚を持ち、ストライカーとチャンスメーカー
   の二つの才能を一身に備え、プラティニに勝るとも劣らない
   名手として知られる。

   だがそれと同じレベルで
トラブルメーカーとしての「才能」も
   あわせもったカントナは17才でオゼールでデビューしてから
   「自分ほど偉大な選手はない」と公言してはばからず、
   ファウルをしかけたDFを蹴り飛ばし、気にくわないコーチに
   くってかかりと手のつけられない暴れようで、次々にクラブ
   を変え、国内では引き取り手がない状態にまでなってしまう。

   カントナは91年英国に渡り、リーズ・ユナイテッドに入団、
   この時はさほどの評価でもなかったが翌年にマンチェスター・
   ユナイテッドに移ると飛び抜けた存在感を示して優勝に貢献、
   一気に株を上げた。

   93-94シーズンには優勝のみならずFAカップも制して2冠に輝く。

   イングランドの
最優秀選手にも選ばれたが、生まれながらの
   性格はいかんともしがたく94ー95年には彼を罵倒したファン
   に向かって蹴りをあびせて大問題になり、
   この
「カントナ・キック」と呼ばれる騒動が原因で一時は
   永久追放の処分が下るほどの騒ぎとなった。

   結局、出場停止処分に留まり、94ー95シーズンに復帰、
   ブランクを感じさせない活躍ぶりで再び2冠を達成、プレス
   からも
年間最優秀選手として認められた。

   代表としては、フランス国内にいたころアンリ・ミシェル監督を
   侮辱したかどで外され、45試合20得点という成績ながら
   自国開催の代表候補にも選ばれなかったのでわずか31才
   でユニフォームを脱いだ。

   その圧倒的な才能にも関わらず一度もW杯に出場すること
   はなかったが、彼の残した最も大きな遺産は来るべき
   マンチェスターの黄金時代のいしずえとなったことだ。

   ベッカムやギッグスらはおしなべてカントナへの敬愛を口にする。

   それは、いかに「悪行」の限りを尽くせど、カントナが愛すべき
   キャラクターの持ち主だったことをこれ以上ないほど端的に
   表現しているのである。

   世紀の問題児カントナは、カンターという名で登場する。

   あなたははたして
   この異端の才能を飼い慣らす自信があるだろうか。

原 博実
(日本、FW)



    日本サッカー史が誇るヘディングの名手で
    「アジアの核弾頭」という異名で知られる。

   早稲田大学から三菱に入社、チームの黄金時代を築いた。

   大学2年のときに代表入り。
   
   子供のころ長身であった彼はヘディングの名手
   ゲルト・ミュラーのプレー写真を見て触発され、
   83年の日本代表の欧州に参加(25才)する頃には本場
   のプロを相手にしても競り負けることがない程上達し、
   本気で勝負された為ヒジうちを受け以来鼻が曲がって
   しまったという。

   「ヘッドの極意は見極めの早さ」
と語り、ボールの落下点
   をいかに早く見切るかが肝心と説く。

   相手がヘッドを恐れているのを悟った彼はヘッドに行く
   とみせかけて左足でシュートすることも覚え、実際には
   こちらの方が得点を多く稼いだ。

   日本代表としてAマッチ75試合に出場、37得点は釜本・
   カズに続く堂々の歴代3位。

   前浦和レッズ監督として記憶する人も多いだろう。

   原 博実は原田 博通という名で登場する。

   ポストプレーヤーとしておおいに働いてくれるだろう。

フローリアン・アルベルト
(ハンガリー、センターフォワード)



    50年代世界最強を誇った
「マジック・マジャール」
   
ハンガリー代表はその後衰退して今はみる影もないが
   アルベルトは間違いなく彼らに匹敵する人材である。

   地方の農家の出身だが、少年の頃ブダペストに移住し、
   その才能がフィレンツヴァロシュのスカウトの目に
   止まってプロデビュー、以後同クラブで18年の現役生活
   を全うした。

   優れたセンターフォワードで、得点感覚もさることながら
   チャンスメーカーとしての能力にも秀で、仲間に数々の
   得点をもたらす。

   代表にはわずか17才で名を連ねているが高校の学期末
   試験合格後、すぐに駆けつけたデビュー戦で難敵
   スウェーデンを3ー2でうち破った。

   フィレンツヴァロシュは彼の加入で国際的な強豪になり
   65年にはUEFAカップ(当時はフェアーズ・カップ)で
   見事
優勝をなしとげている。

   これは現在にいたるまでハンガリーのクラブとしては
   唯一のヨーロッパタイトル。

   W杯の活躍は、ペレをケガで欠いたブラジルを3ー1で
   破った66年の試合が最も記憶に残る。

   アルベルトは得点こそなかったが、献身的な動きで仲間
   の決定機を次々に演出して絶賛され翌年にはハンガリー
   人唯一の
バロンドールを受賞した。

   これは偉大なプスカシュですらなしえなかった快挙であり、
   プスカシュが後にスペイン代表としてプレーした事も
   踏まえアルベルトこそ
「ハンガリー史上最高のプレーヤー」
   
だと推す声も決して少なくないという。

   現代表の低迷ぶりを考えても、彼を越える選手は当分
   現れないであろう。

   代表出場数75試合31得点、ハンガリー・リーグ優勝4回、
   得点王3回。

   フローリアン・アルベルトはフンバルトという名で登場する。

   彼はきっと貴方の期待を裏切らないだろう。