
(デンマーク、GK)
パラグアイのチラベルトと並ぶ、現在活躍する 世界最高のGK。 マンチェスター・ユナイテッドの躍進を支えた最高の 功労者の一人ともいえるかもしれない。 190センチを越す理想的な体格だが動きは俊敏で、 反射神経もさることながら鋭い読みと豊富な経験を 生かし、ハイボールにもシュートにも抜群の強さを 見せる。 ディフェンス陣の統率も申し分なく、まさにGKのカガミ ともいえる選手である。 デンマーク代表として106試合に出場。 (これは同国の最多出場記録) 92年の欧州選手権ではユーゴスラビアの代替出場 ながら優勝。 ブライアン・ラウドルップやオルセンなどの後ろを抜群 の安定感で守り抜いた。 フランスW杯では、86年「ダニッシュ・ダイナマイト」の 成績を上回るベスト8進出におおいに貢献する。 クラブレベルでは、デンマークでいくつかのチームを転々 としたあと、初めて海を渡りマンチェスターに入団、主要 なキャリアのほとんどを同クラブで築いた。 8シーズンのうち5度の優勝、3度のFAカップ優勝、 そして自国の大作家をひきあいに出し 「アンデルセンでもこんな物語は書けない」と言った 欧州チャンピオンズリーグでの大逆転優勝を見られた 方も多いだろう。 プレミアリーグでの激務に疲れを感じ、引退する予定 だったが翻意、今はポルトガルのスポルティング・リスボン のゴールを守っている。 現在36才だが、彼の活躍はまだ続きそうだ。 シュマイケルはシュマイゼンという名で登場する。 失点の多さに悩む球団には最適の人材であろう。 |
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(フランス、センターフォワード)
フォンテーヌはW杯一大会で13得点という不滅の大記録 をうちたてたことによって半永久的にその名前を残すこと になるだろう。 計算すると一試合につき2ゴールをコンスタントにあげない と追いつかないという計算になり、現在のように守備重視 のシステムの中でこれをなしとげるのは不可能に近い。 当時はさほど騒がれなかったと本人は語るがフォンテーヌ のこの記録は多くの運に助けられている。 大記録達成は58年、23才のとき。代表入りはその2年前 だったが何と大会までに代表に出たことはたったの2回 しかなかった。 当然本大会でも控えの予定だったのだが大会前夜になって ルネ・ブレアがケガをして急きょ出場となったものだ。 本大会では、「ナポレオン」と呼ばれる英雄レイモン・コパ の独創的で絶妙なアシストから初戦のパラグアイ戦で いきなりのハットトリック、決勝進出はならなかったが、 3位決定戦では西ドイツ相手に4点を荒稼ぎした。 この13点のうち、PKによる得点が一つもないのは驚嘆に 値するが、そのアシストのほとんどはコパによるものだった。 フォンテーヌと彼とは深い因縁があり、56年にコパがレアル・ マドリードへ移籍した際あとがまとしてスタード・ラーンスに 獲得されたのがフォンテーヌだった(ブレアはチームメート)。 ここで彼は2度得点王になったが、欧州チャンピオンズカップ 決勝まで進んだ58ー59シーズン、皮肉にもコパのいる レアル・マドリードに破れた。 (ちなみに、レアルにはプスカシュ、ディステファノらがいた) 翌年、ラーンスに戻ったコパと再びコンビを結成、4度の リーグ優勝と2度のカップ優勝を経験した。 モロッコ生まれの俊敏な選手で、スピードをいかしてゴール に真っ向から向かっていくプレースタイルが災いしてか、 ケガが多く、2度の足の骨折に泣かされて29才で引退した。 フォンテーヌの記録が取り沙汰されるたびに、そんな名誉 に値するほどの選手ではなかったという者もいるが彼が それを成し遂げたのは紛れもない事実であり、そのことは 彼の評価を高めこそすれ貶めることは決してないであろう。 生涯成績、フランス代表20試合27点。 フォンテーヌは(なぜか)同名で登場する。 史上最強のシンデレラボーイに クラブの明日を託してみてはいかが。 |
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チャ・ブンクン(韓国、FW)
日本サッカー史に釜本邦茂がいるなら韓国サッカー史 にはチャ・ブンクンがいる。 昨年、世界歴史記録学会が選出した20世紀最優秀選手 の中でアジアの歴代ナンバーワンプレイヤーとして選出 された。 日本サッカー振興のためとはいえ国内に留まった釜本に 対し、ドイツ・ブンデスリーガで13年にわたり活躍した実績 が評価されたとしても順当の結果であろう。 釜本の方が9才も年長だが179センチ79キロという体格 は釜本と全く同じ。 がっしりした身体つきのうえ、スピードがあり、強力な シュートは何度も敵のGKを震え上がらせた。 大柄な身体にもかかわらず足もとの技術も巧みな 万能型のストライカーで、当時、世界最高レベルに あったブンデスリーガで合計98ゴールをマーク、これは 昨年にいたるまで同国の外国人得点記録だった。 ダルムシュタットからアイントラハト・フランクフルトに移り 4年プレーしたあと、レバークーゼンで6シーズンを過ごす。 二つの名門所属中、UEFAカップを1回ずつ制していて、 現在アジア人では唯一の欧州3大カップ優勝経験者である。 その活躍ぶりから「アジアの虎」の異名をもらったが現在 この名前は韓国ナショナルチームへと受け継がれている。 W杯では86年メキシコ大会に唯一出場、3試合を戦ったが (ご存じのように)一つも勝ち星に恵まれる事はなかった。 その現役時代のリベンジか、98年フランス大会では歴代 最強といわれる韓国代表の監督として臨んだがオランダ に5ー0と一蹴され、元代表のクライフに 「どうしてこのチームが予選を勝ち抜けたのか」と 散々にこきおろされ、予選が2試合終わった時点で異例の 更迭となり韓国国民が「マルセイユの恥辱」として記憶する この大敗で国民的英雄としての評判も地に落ちてしまう。 従来の身体能力に頼るサッカーから戦術重視のそれへ 切り替えようとして果たせなかったが監督時代はどうあれ、 彼が選手時代に残した成績は同じアジア人から見ても 素晴らしいものには違いない。 チャ・ブンクンはジュ・ボクンという名で登場する。 今や優秀な韓国人がJリーグでプレーするのは当たり前 の時代である。 「アジアの虎」の鋭い牙を味方につけるのも 悪くない選択ではないだろうか。 |
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(スペイン、FW)
現在のスペイン代表のキーマンは間違いなく不沈艦 イェロ、舵撮り役グアルディオラ、切り込み隊長ラウル の3人であろう。 その中でもラウルはもっとも若く(まだ22才であるが) もっとも老成している選手である。 左利きのテクニシャンで、攻撃に対するありとあらゆる アイディアを持ち、決定的なパスを送ることもできれば、 自分でフィニッシュにも持っていける万能タイプ。 飛び抜けて優れたセールスポイントはないが、すべて が高いレベルで安定している。 レアルがその両足に17億円の保険をかけたことから もその価値がわかるというものである。 幼少の頃はアトレチコ・マドリードの育成コースにいた がこのチームが財政的な理由で解散になると レアル・マドリードに入団、17才4ヶ月という同クラブ 最年少記録で1軍デビューした。 初スタメンが決まったあとの遠征バスの中で眠りこけ、 プレッシャーとは無縁の大物ぶりをみせつけたラウル はたちまちトップチームに定着。 96ー97年に20ゴールをあげ、98ー99年には スペインリーグ得点王に輝いた。 まだ若いため、獲得したタイトルは少ないが彼にとって 特別なのは98年、欧州チャンピオンとしてのぞんだ トヨタカップで、ブラジルのバスコ・ダ・ガマ相手の 決勝ゴール。 DFを振りほどき、柔らかいタッチでGKまでかわした ゴールは辛口のブラジル人にも絶賛され、 「スペイン人じゃなくてブラジル人のゴール」 とまで言わしめ、自身はMVPを獲得した。 W杯では1ゴールを記録したがまさかの予選敗退。 とはいえ代表数24試合で14得点と勝負強さは際立って おり、選手生活のピークを迎える2002年、日本で必ず 大暴れしてくれることだろう。 ラウルはラウフという名で登場する。 2002年より一足先にそのプレイを見ることができる (しかも自分のクラブで!)我々は本当に恵まれている。 その大器がJで何をなしとげるのか、 決して見逃さないようにしよう。 それは賞賛に値するに決まっているのだから。 |
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