マティアス・シンデラー
(オーストリア、センターフォワード)



    50年代最強のハンガリー代表「マジック・マジャール」
   に先駆けること20年、30年代に無敵の強さを誇った
   オーストリア代表「ブンダー(驚異の)チーム」の攻撃の
   中心にして、同国史上最高のプレーヤー。

   「デア・パペリエナー(紙の男)」
というあだ名のとおりの
   痩身だがプレースタイルはエレガントで、卓越した戦術眼
   と強力なシュート力を持ち、時にはGKをかわして得点する
   ほどテクニックにも優れていた。

   正確にパスをつないでいくオーストリアの攻撃の要で代表
   43試合で27ゴールを挙げている。

   仇敵ハンガリー相手に2回のハットトリック、32年には
   イタリアを破る2ゴール、イングランド戦でも2得点と勝負
   強さが目立つ。

   W杯では、34年イタリア大会に優勝候補として出場したが
   ムッソリーニの影響が色濃いイタリアに破れ4位。

   雪辱を果たす筈の38年大会にはせっかく予選を勝ち抜いて
   いながら国自体がナイスドイツに統合されて消滅。

   ナチを崇拝する「ブンダーチーム」のチームメートの裏切り
   行為に絶望して、翌年1月、ガールフレンドとともに自殺した。

   享年35才。

   以後同国は低迷を続け、現在ではポルスターやヘルツォーク
   がわずかに名を知られるに留まっている。

   シンデラーが出るという情報は聞いていないが出てくる
   としたらこのゲームもいよいよ本物であろう。
   (最近こんなんばっかし・・・)

   最後に一つ。オーストラリアではないことに注意!


ビンツェンツォ・シーフォ
(ベルギー、攻撃的MF)



    近年のベルギーを代表する名選手。通称エンツォ。

   「20世紀最後のゲームメーカー」
と呼ばれるように典型的
   な10番タイプの選手。

   広い視野と確かな技術を持ち、正確なパスで得点機を
   演出するその姿はまさにエレガント、ルーマニアのハジと
   並んでも遜色がない。

   あまり知られていないが生来のベルギー人ではなく、両親
   が出稼ぎで来ていた時に生んだ、れっきとしたイタリア人。

   若い時から才能は抜群で、わずか18才にて同地の名門・
   アンデルレヒトのレギュラーとして活躍。

   周囲のすすめもあって84年に国籍を取得し、ワインレッド
   の代表ユニフォームに袖を通した。

   20才の時に出場した86年メキシコW杯で大活躍、同国を
   過去最高の4位に押し上げる原動力となり、自身も3得点
   でチームに貢献した。

   その活躍を受けて入団したユベントスでは実力を発揮でき
   なかったが、フランスのクラブを点々としたあと、トリノに
   入団し、両親の祖国イタリアに凱旋。

   ここでチームの中心として活躍し、92年のUEFAカップで
   優勝するも財政難でモナコ(フランス)に移り5シーズンを
   消化、現在では古巣のアンデルレヒトに戻っている。

   W杯には4回連続で出場しているが、86年ほどの好成績
   を治めるにはいたっていない。

   ベルギー代表として現在64試合4得点。
   (つまりあれから1点しかとっていない)

   今年33才になるが、円熟したプレーを披露し続けている。

   シーフォはシフォンという名で登場する。

   私事でまことに恐縮であるが、僕の最も好きなサッカー
   選手の一人。

   いつかハジ(タジ)と組ませてダブル指令塔として使って
   みたいものだ。
   (ポジションかぶるかしら)

ゲリー・リネカー
(イングランド、センターフォワード)



    ご存じもと名古屋グランパス所属のリネカーだが最も高く
   ついた大物外国人の一人であるにもかかわらずヘボ外人
   扱いされていないのは、本人の人柄と、非の打ちどころの
   ない経歴に依存している。

   その最大のものが86年のW杯。マラドーナの一人舞台と
   なったこの大会で獲得した得点王で、一気に世界的名声
   を得た。

   予選リーグ、ポーランドとの試合でハットトリック、グループ
   リーグ敗退の危機にあったイングランドを救い、パラグアイ
   戦で2ゴール、問題のマラドーナの「神の手」と「5人抜き」
   に破れ去ったがヘディングでの1ゴールで一矢を報いた。

   リネカーが優れているのは得点への執着と集中力

   ゴールの匂いを嗅ぎ分けると、猫族を思わせるしなやかで
   力強い動きでDFの裏をとり、確実にネットを揺らした。

   ベスト4に終わった90年イタリアW杯では驚異的な躍進を
   見せるカメルーンを相手にGKがヤマ感を張るタイプだと
   いち早く察知し、2本のPKを成功させるなど、冷静な判断力
   も持っていた。

   生まれ故郷のレスターで育ち、クラブを2部から昇格させた
   次のシーズンに24ゴールでいきなり得点王を獲得、エバートン
   に引き抜かれここでも30ゴールで得点王になった。

   バルセロナ(スペイン)では本領を発揮できなかったが
   トッテナム・ホットスパーで3度めの得点王に。

   同クラブ在籍時にはキリンカップで来日、横山監督率いる
   日本代表と対戦もしている(4ー2で日本の勝利)。

   鳴り物入りで入団したグランパスではジョルジーニョ
   (鹿島の選手とは別人)と息があわなかったり、世界の
   第一線で戦ってきたつけとして足の指を疲労骨折するなど
   不運に見舞われ、育ての親・ミルン監督を招へいするも
   94年にユニフォームを脱ぐことになる。

   2億5千万の年俸で3年間、わずか8ゴールだったがヴェルディ
   戦で見せた、2-0で負けていた後半開始早々、中盤から一人
   で持ち込んでの力強いシュートなど印象的なゴールも少なくない。

   現役最後の年にストイコビッチが入団したが二人の競演は
   見られなかったし、チャールトンのイングランド代表記録得点
   49点にあと1点のところまでせまったにも関わらず、ついに
   それはかなわなかった。

   ただ、33年間ファウルすらなかったマシューズほどではない
   が現役生活20年の間、一度もカードを貰わなかったのは
   真のジェントルマンとしての彼の勲章であろう。

   現役引退後は本国でリポーターとして活躍、幼いころ彼を
   アイドルとしていたオーウェンとポテトチップスのCMにも出演、
   「ソルト・アンド・リネカー」というソウト・アンド・ビネガー味の
   菓子を売っているという。(ちなみにもう一つの商品が
   「チーズ・アンド・オーウェン(オニオン)」)

   どうでもいいことだが趣味のクリケットはプロ級の腕前
   だそうである。

   リネカーはレッカーという名で登場する。

   無念に終わった日本でのキャリアの雪辱を晴らしてやりたい
   名古屋ファンも少なくないのでは。
   (ただし、カードは結構貰うらしい・・・)



(ユーゴスラビア、攻撃的MF)



    ご存じ名古屋のピクシー

   近年のユーゴが生んだ選手の中でも1、2を争う名選手。
   その技巧の冴えについては今さら説明する必要もない
   であろう。

   81年、16才でプロデビューし、地元のラドニキ・ニシュで
   活躍、4年後の欧州選手権で代表選手となった。

   その名が世界に知れ渡るのは90年イタリアW杯。

   決勝トーナメントでスペインと当たったとき、先制弾と
   鮮やかなフリーキックでの決勝ゴールを決め、ベスト8
   進出の立役者となった。

   その優雅なプレースタイルから
「ピクシー」と呼ばれ愛され
   たが、この可愛らしい名前は相手チームにはさぞかし
   不釣り合いにうつったことだろう。

   W杯後はマルセイユに移り、イタリアのベローナでもプレー
   したが本領を十分に発揮できなかった。

   マルセイユに戻ったあと名古屋入り、リネカーと入れ替わる
   ようにして頭角をあらわし、95年に天皇杯で見事優勝。

   低迷していた名古屋を完全に立ち直らせ、同年圧倒的な
   票数で
MVPを獲得し、自らの天才性を証明した。

   反面、代表では辛酸をなめ続けている。

   故国の国際的な制裁から、91年以降の世界大会で
   シャットアウト。

   92年の欧州選手権では、十分な実力を有していたにも
   かかわらず参加を許されずかわりに出場したデンマーク
   が優勝するという悲運。

   のちにナショナルチームは分散してクロアチアと戦力を
   分けあってしまう。

   加えて、故郷では戦火が絶えず・・・などストイコビッチの
   苦悩の種は尽きないがいまだ彼は
10番をつけ、愛する
   母国と名古屋のために全力でその才能を働かせている。

   ストイコビッチは同名で登場する。

   すぐに熱くなる感情的な性格がチームに負担をかけるが
   スター軍団名古屋にもなくてはならない選手。

   彼が移籍するとしたら、我々のクラブだけであろう(^-^)。

   もう1年、日本で彼のプレーが見られることを感謝しよう。

   そしてピクシー、ガンバにはおてやわらかに!!