
(ブラジル、攻撃的MF)
ブラジル選手には珍しいずば抜けた長身の選手だが その圧倒的な高さよりは確実な足元のプレーでならした。 「黄金の中盤」と呼ばれた82年スペインW杯、史上最強の ブラジル代表のキャプテンを務めその哲人の名前が示す通り の理知的な配球でゲームをコントロール。 相棒のジーコがたびたび前線に飛び出していく一方で 創造性豊かなパスとダイナミックなドリブルを披露し 相手DF陣をおおいに苦しめた。 絶対的なストライカーに欠けたブラジル代表においてリオ派の ジーコとサンパウロ派のソクラテスが周囲の派閥の対立意識 にも関わらずがっちりとコンビを形成したことはブラジル国民 のみならず全てのサッカーファンにとって幸福だったと言える だろう。 サンパウロの一流医科大学で医者の免許を取得するかたわら ボタフォゴで20才の時にプロデビュー。 77年からコリンチャンスの一員として82、83年のサンパウロ州 選手権を連覇、30才までプレーしてピークを迎える。 翌年からイタリアに渡りフィオレンティーナに所属したが 1シーズンで帰国しフラメンゴとサントスを渡り歩いた。 82年のW杯では攻撃の中核として活躍、2次リーグのイタリア戦 で先制ゴールを決めたがロッシの大爆発の前に破れ予想外の 敗退を味わう。 栄光ある4人のうちファルカンとトニーニョ・セレーゾが脱落する かたわら4年後の大会でも代表チームのユニフォームに袖を通し 絶頂期は過ぎたものの味のある一流のプレーで準々決勝まで 勝ち進みプラティニ擁するフランス相手にPK戦で破れ去った。 この時1番目のキッカーとして登場したのがソクラテスだが 試合中のジーコのまさかのPK失敗同様GKバツに弾き 飛ばされて万事休したのは皮肉だ。 35才で引退した後もたびたび来日し「ソクラテス・サッカースクール」 を開講、実弟のライーがMVPとなる活躍で92年のトヨタカップを 制するなど「黄金の中盤」他の3人同様日本ともつながりが深い。 現在はサンパウロから300キロ離れたリベイラオン・プレートで 診療所を開きスポーツ選手の治療に従事している。 「ドトール(医師)」と呼ばれ愛されたその経歴や一歩踏み込んで タメを作る独自のペナルティキックなど随所に個性を残した 忘れられない名選手である。 本名ソクラテス・ブラジレイロ・サンパイオ・ジ・ソウザ・ビエイラ。 代表出場60試合22得点。192センチ79キロ。 セレソンの超頭脳、ソクラテスは ソクラウスという名前で登場する。 彼の価値は・・・世界ランキングを見れば一目瞭然だ。 |
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(モロッコ、攻撃的MF)
2000年アフリカ選手権であっさりと敗退するなど現在は 足踏み状態にあるが近年になって躍進を遂げたモロッコ代表 の押しも押されもせぬエースがハッジである。 文字通り足に吸い付くような柔らかいドリブルとディフェンス の虚を突く一瞬のスルーパスを武器に卓越した戦術眼で 攻撃陣をリードする。 常に視野を広く保っているので売りものの豊富なテクニック を最も効果的な時間に発揮することができるのみならず ここぞという時の勝負強さ、ゴールに対する嗅覚も非凡な ものを持ちアタッカーとしての才能は実に申し分ない。 「ロレーヌの真珠」という通り名も素直に頷ける。 標高1800メートルの高地イフランの生まれだが幼いうちに 両親とともにフランスへ移住したのでアラビア語を話すこと ができないばかりかフランスのU-21代表にまで選ばれる 始末で本人がフル代表として着るユニフォームにモロッコの 赤を選択した時多くの知人や関係者は軒並み失望して ハッジを非難した。 これは彼の能力が並でないことを示すほんの一例に過ぎない。 世界的な名手にもかかわらずサッカーを始めたのは15才 のときと遅く7年後にフランスのナンシーでプロデビュー。 97年から1シーズンだけスポルティング・リスボン(ポルトガル) の一員になりデポルティボ・ラコルーニャ(スペイン)を経て 現在はイングランドのコベントリーに落ち着く。 プロとして出帆してからすぐさま代表入りしたちまちレギュラー を獲得、98年フランスW杯にも主力として出場した。 クラブ、代表ともにタイトルとは縁遠い彼がこの年に アフリカ最優秀選手賞を受賞したのはアフリカ選手権の エジプト戦で見せた素晴らしいオーバーヘッドの決勝点と W杯開幕戦でノルウェーから奪ったゴールが あまりに印象的すぎたからだ。 観客の目を引き付けるという点では申し分なく今後はタイトル を獲得して評価を磐石にしたいところ。 実際にそれだけの価値がある選手である。 179センチ75キロ。現在29才。 モロッコの太陽、ハッジは ハシムという名前で登場する。 獲得には苦労するかもしれないが 彼こそアフリカン・サッカーの真骨頂だ。 |
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(日本、センターバック)
トレードマークの口髭が哲人の印象を強くさせる。 174センチ74キロ、ストッパーとして十分な体格とは言い難い が群を抜く経験の質と量によって培われた冷静窮まりない 状況判断とケガを負うことを怯まないファイティング・スピリット でアジア屈指のDFとして長く活躍した。 技術的なレベルも高く、とりわけテクニシャン揃いの読売に あっても並ぶ者のないほどヘディングを得意として セットプレーでその威力を見せつけることもしばしば。 早稲田大学助教授と二足のわらじをはいたことは有名であり 世界サッカー史においても殆ど例を見ない人材である。 仙台二高で宮城県選抜チームに選出され国体とインターハイ で活躍するまでは無名の存在で、強豪・早稲田大学に入学 した後は1年生からレギュラーとしてチームの最後尾を守った。 4年時にはキャプテンとして総理大臣杯に優勝している。 助手として大学に残り筑波大大学院へ進学、日本リーグに 所属する企業に就職しようとしたが早稲田の助手規定により 企業色の濃いチームには入部できず当時唯一のクラブチーム だった読売に加入、80年代の同クラブ黄金時代の礎を築いた。 日本リーグ優勝5回、ベストイレブン選出9度という堂々の 成績でJリーグ開幕を迎えたが起用法を巡って松木安太郎 監督と対立、93年7月に清水エスパルスへ籍を移し 記念すべきJリーグ移籍第1号者として名前を残す。 ジェフ戦では額から出血しながらもプレーしてハートの面でも 頭脳なみに一流であることを示した。 井原正巳が登場するまでは日本代表の重鎮であり 大学3年時に代表に招集されてから2年後の84年からは キャプテンマークを腕に巻き「木村和司伝説のフリーキック」 であまりにも有名な85年のメキシコW杯最終予選でも 主将を務める。 国際舞台で長く活躍する一方でサッカーで授業を一回も 犠牲にしたことがない姿勢には素直に脱帽するしかない。 現役を退いた後、日本サッカー協会強化部に籍を置いたが ヴェルディで短期間ながら監督業も務めた。 現在はJ2で湘南ベルマーレを率いる。愛称キュウさん。 「プロフェッサー」加藤久は 武藤均という名前で登場する。 そのプロフェッショナルな姿勢も含めて 発足したばかりの若いチームで貴重な働きをするだろう。 |
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(ポルトガル、FW)
現代のポルトガルには確かにエウゼビオがいない。 フィーゴは往年の「黒豹」ほどの点取り屋ではなく右サイド を果敢に突破するドリブラーとして有名だ。 正確なクロスを前線に放り込んでチャンスを作る傍ら必要 に応じて内側に切れ込み貴重な得点をものにする。 つまるところこのバランス感覚こそがフィーゴの真骨頂で あり20代に優秀なタレントを揃えるポルトガル代表の中 でも最も成功を収めている選手の一人である。 地元のOSパスティアスでプレーを始めたが財政難でクラブ が潰れてしまったためスポルティング・リスボンのテストを 受けて合格、23才までトップチームでプレーした。 94ー95シーズンにポルトガル・カップを制覇すると ヨハン・クライフ率いるバルセロナに加入。 もともとMFとFWを兼任していたが右サイドを任されて以来 そこを定位置とする。 97年からのリーグ連覇、スペインカップ2年連続優勝など クラブレベルでの実績は申し分なく今年もチャンピオンズ リーグで好成績を狙う。 早くから代表入りしワールドユースではルイ・コスタや パウロ・ソウザらとともに91年と93年で優勝を飾っている がトップチームでのタイトル獲得はまだ果たしていない。 W杯にも未出場であるがまずは今年の欧州選手権が 勝負となるだろう。 バルセロナでキャプテンを務める優秀な人材であり チームメイトのポテンシャルも高いだけにぜひ入賞を 果たして貰いたいところだ。 本名ルイス・フェリペ・マデイラ・カエイロ・フィーゴ。 180センチ75キロ。現在27才。 天才ドリブラー、フィーゴは フォーゴという名前で登場する(MF登録)。 言うまでもないことだが 彼ほどボールを預けられる人材もまた少ないのである。 |
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