
(スペイン、攻撃的MF)
フットボールの戦術の発展はバスケットボールのそれを 追いかけているという説がある。 これが意味するのは現代サッカーにはますますフィジカル 能力の高さとシステマティックな組織プレーが要求される という事実だ。 1対1が基本だった時代に見られたファンタジーは もはや前世紀の遺物なのか。 議論は繰り返されているが、人々がどれほど望もうとも デ・ラ・ペーニャのような「アーチスト」の出番は次々と 失われつつある。 誰もが認める超一流のパッサーで繊細なタッチの ボールキープからピンポイントで絶妙なセンタリングを 送り針の目を射抜く精度のスルーパスで攻撃陣を操る。 その芸当は誰にも真似できない種類のもので欧州でも 屈指のゲームメーカーと評判が高いが天才肌タイプの ため調子にむらがありディフェンスの確実性に課題を 残すためその素晴らしい才能にもかかわらず起用を 敬遠されがちなのが現状だ。 ラシン・サンタンデールのユースからキャリアをスタート、 小柄な身体ながらセンス溢れるプレーで評判となり レアル・マドリードとバルセロナが争奪戦を展開した結果 カタルーニャ地方へと単身で渡ることになる。 18才でトップに初昇格、95ー96シーズンからは常連 となり辛口で辛辣な批評で知られるクライフ監督から 賞賛を貰った。 恩師クライフはこのシーズンを最後にクラブを去ったが ロブソン監督のもとでもプレーを続けロナウドにパスを 送り続けて得点王を献上、「怪物」のもとにインテルから オファー話が来たさいに彼が「ペーニャと一緒なら」と 答えたのはあまりに有名だ。 バルセロナでは97ー98シーズンにリーグ優勝を経験 しているがファン・ハール指揮下で徐々に出番を無くした ためイタリアのラツィオに移籍。 ここではリーグ2位と健闘、最後となるカップ・ウィナーズ・ カップ獲得に貢献したが本領が遺憾なく発揮されたとは 言えずフランスのマルセイユへ活躍の場を移した。 ユース年代から代表の常連だったが98年フランス大会 では22名のメンバーに選ばれず未だ本格的な評価を 得るには至っていない。 歴史に名を残せるかどうかは新天地での活躍にかかっている。 169センチ69キロ。現在23才。 哲人めいた風貌から「リトル・ブッダ」の愛称を持つ。 天才パサー、デ・ラ・ペーニャは ペーニャという実名で登場する。 彼が本格的に飛翔するのに Jリーグほどふさわしい舞台が他にあるだろうか。 |
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(日本、攻撃的MF・左ウイング)
高校サッカー界屈指の名将・東福岡高校の志波芳則監督 は白夜書房のインタビューのなかで各ポジションごとの性格 の適正を語っている。 中盤より前の攻撃的なポジションの選手は日頃から周囲を 欺くようなタイプが向いているそうだが真面目な本山だけ は例外だったそうだ。 それはひとえに、彼の力が傑出していたからに他ならない。 三冠という偉業を達成した同校サッカー部にあって 堂々の10番をつけ視野の広いパスと卓越したドリブル で観客の目を奪った。 ブラジル遠征時代にプロのスカウトの目にとまり 「彼を置いていって欲しい」と頼まれたのは余りに有名だ。 線の細さや決定力にやや不安を残すが小野や高原らの 年代の中でも屈指のタレントの一人である。 北九州市出身で、兄の影響でサッカーを始め二島中学 から東福岡高校へ進学。 もともとセンターフォワードだったが1年目からボランチ でレギュラーをつかみとり初の高校選手権でいきなりの ベスト4に輝く。 3年間の間にチーム事情から右サイドを除く攻撃的な ポジションをすべてこなすなど器用なところを見せた。 97年は完全にチームの中心となり超高校級の逸材として 注目を集めインターハイ、全日本ユース選手権を制覇。 最大のタイトル高校選手権に臨み雪の中行われた 決勝戦で中田浩二率いる帝京高校相手に 2ー1の逆転勝利をおさめて見事に偉業を達成した。 1年生のときからスカウトの視線を集めていたが 最終的に鹿島アントラーズを選択している。 その存在が世間的に認知されたのは 99年Wユース準優勝の立て役者となったことから。 トルシエ監督下では左ウイングでの起用が多く切れ味 のいいターンと鋭いフェイントで列強のDF陣を切り刻み チャンスメーカーとして機能、オリンピック代表でも 遺憾なく実力が発揮されアジア予選突破の重要な 戦力となった。 プロ3年目を迎え、今後は鹿島でのレギュラー定着を目指す。 175センチ60キロ。現在20才。 左サイドの切り込み隊長、本山は 実名で鹿島に登場する。 本人はドリブラーよりパサーを自認しているそうだが その幅広い才能を自チームで試してみるのも悪くないだろう。 |
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(ブラジル、FW・攻撃的MF)
優れたドリブラーを生み出すことで知られる王国ブラジル の中でも一、二を争う逸材。 重心を低く保ち、大仰なフェイントを取り混ぜる従来の 南米スタイルではなく足の速さを活かしたスピーディな突破 が持ち味で最小限の鋭角的な動きで敵陣をすいすいと 駆け抜ける。 自ら切り開いた突破口からパスで展開する能力、 切り返しからの鋭いシュートにも非凡なものを見せ ドリブラーとしての新しい雛形とすらいえるかもしれない。 14才でサンパウロ市の少年サッカー大会に参加。 しなやかな動きがスカウトの目に止まり91年 名門サンパウロのジュニアチームに入団した。 3年間力を蓄えたのちトップに引き上げられ 名将テレ・サンターナの目に止まり ジュニーニョとともに攻撃の中核として働く。 98年、サンパウロ州選手権優勝を手土産に45億円 という当時の世界記録でスペインのベティスに入団し 現在に至る。 代表デビューは96年で翌年のコパ・アメリカに出場、 「ロ・ロ・コンビ」の大爆発のもと随所に光るプレーを 見せてレギュラーに定着した。 98年フランスW杯でも主軸になる筈だったが激しい ボディコンタクトに耐えられない線の細さが不安視され 直前にリバウドにポジションを明け渡し以後は代表から も外れた。 その素質は十分ながら、スペインリーグでも苦戦しており 目の前の壁を乗り越えたとき晴れて真の名手として評価 されるだろう。 本名デニウソン・ジ・オリベイラ。 172センチ65キロ。 天才ドリブラー、デニウソンは デニソンという名前で登場する。 光速のテクニシャン、Jリーグの舞台を走る!! |
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(ドイツ、攻撃的MF)
類稀なる素質に恵まれ期待の司令塔として注目を 集めながらも、はや32才。 代表チームでは欧州選手権・W杯優勝を経験し クラブレベルでも世界一に輝きながら それすらもその才能の片鱗を示すに過ぎないとされる 永遠の未完の大器、それがドイツのメラーだ。 攻撃的MFの位置に陣取り鋭いキラーパスを前線に 送ったかと思えば駿足を飛ばしてゴール前に駆け上がり 力強く破壊的なシュートでGKを脅かす。 プレイスキックも鋭く鮮やかで危険なアタッカーの アクセントを持つ国際的なチャンスメーカーとして 名を馳せる。 20才となる87ー88シーズンに憧れの アイントラハト・フランクフルトでプロデビュー、 その数ヶ月後に別の名門ボルシア・ドルトムント に引き抜かれた。 ドイツカップをクラブにもたらした後フランクフルトに戻り W杯での活躍をきっかけにイタリアへ。 ユベントスで2シーズンを過ごしたがここでは 92ー93シーズン決勝戦で古巣のドルトムントを破り UEFAカップを獲得しているものの チーム事情により引き気味のMFとして起用されたため 十分に真価を発揮することができなかった。 契約を破棄して帰国し、三たびフランクフルトに入団すると 今までの鬱憤を晴らすかのように大爆発。 94年からブンデスリーガを連覇しチャンピオンズリーグ でも優勝するとトヨタカップでブラジルのクルゼイロを 下して見事に大会MVPの座を勝ち取った。 フル代表のデビューは88年21才のとき。 90年W杯では控えに甘んじ、2試合のみの出場だったが 少なくともイタリアのスカウトを満足させるプレーを披露。 代表チームそのものの斜陽化にもより94、98年の大会 ではベスト8に留まっている。 長く「大舞台に弱い」と指摘されたようにW杯での活躍は 少ないが96年の欧州選手権では鋭いカウンターの起点 となりチームの優勝に大きく貢献した。 もっとも決勝には警告累積で出場できずサポーターを 完全に満足させられずに終わりこの件がメラーの全てを 物語るとさえ言えるかもしれない。 代表出場85試合31得点。180センチ75キロ。 愛称アンディ。 未完のエース、メラーは メイヤーという名前で登場する。 今度こそクラブ随一のエースに成長し 人々の期待に答えることができるか 彼にとってはまさに正念場と言えるだろう。 |
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