
(フランス、FW)
「ナポレオン」と呼ばれないからといってその評価が 落ちるわけでは決してない。 おそらくフランス歴代最高のストライカーだと思われる。 177センチ77キロと体格には恵まれないが並外れた ジャンプ力をもち大柄なDFに囲まれながら貴重な ゴールを幾度も奪った。 敵陣深くに駆け上がる瞬発力にも秀でトップスピード の中で発揮される正確な技術と冷静さは他の追随を 許さない。 16才で2部リーグのバランシアンヌにデビュー、 一時期ビシーに移ってから戻ってきたが 国内では大した注目を受けなかった。 その存在がクローズアップされるのはベルギーの クラブ・ブルージュに移ってからで ここでは85-86シーズン限りのプレーだったものの ベルギー・カップを制覇し 出場したカップ・ウィナーズ・カップで活躍したため マルセイユにすぐさま買い戻される。 この名門での6シーズンは最も充実しており フランスリーグで4期連続優勝、 自身も5年連続の得点王でクラブに大きく貢献した。 91年には押しも押されもしない攻撃の柱として チャンピオンズ・カップを勝ち進み レッドスター・ベオグラードと決勝で戦い惜しくもPK戦 で敗れたがこの時の活躍で同年のバロンドールを受賞、 世界最優秀選手賞でもマテウスに次ぐ2位という 好結果を残した。 29才という円熟の時期にACミランに移籍し直後の シーズンでは皮肉なことにチャンピオンズ・カップ決勝 にてマルセイユとあたり1ー0で破れて悲願の優勝 をまたも逃す。 翌年ようやく頂点に立ったが決勝戦には出場していない。 この事実が示すように、獲得したタイトルは豊富で あっても満足に活躍の場が与えられたとは 言い難かった。 94年に移ったバイエルン・ミュンヘンでは度重なる負傷 で失意の2シーズンを過ごしたに留まる。 結局フランス語圏以外では活躍できなかったが33才に して戻ったボルドーで復調し2年後にギャンガンに移籍 してプレーを続けた。 代表には86年、23才から名を連ねている。 「魔法陣」として知られる86年W杯のチームの一員 としてレギュラーではなかったが2得点を決めた。 もっともプラティニ世代からは10年近く離れており 代表チームがかつてない不振を極めたため 以後の大舞台には恵まれなかったのは残念だ。 90・94年大会は予選敗退、自国開催の98年には 35才でありピークを過ぎていて選出はならなかった。 欧州選手権においても、活躍が期待された92年に まさかのグループリーグ敗退を経験したうえ 96年には負傷で見送られた。 そのキャリアを見る限り「悲運の英雄」という肩書きが つきまとうが世界でも傑出したタレントであったことに 疑いの余地はない。 代表出場54試合30得点。 ワインの国のゴールハンター、パパンは ピエールという名前で登場する。 彼の活躍する場所として Jリーグが役不足だと誰が言えるだろうか? |
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(ブラジル、守備的MF)
強いチームに欠くべからざるものは圧倒的な存在感を放つ 主役たちより潤滑油の役割を果たす「縁の下の力持ち」である。 特筆するような体格、スピード、パワーには恵まれないが 長年そのポジションを務めた経験が危険地帯をたちどころに 察知する嗅覚と守備と攻撃の切り替えの速さをもたらした。 つまるところ、サンパイオはそういう選手である。 正確な技術で献身的にチームを支える相手にとっては一番 やりにくいタイプのプレーヤーだろう。 18才でサントスFCとプロ契約した時からボランチ一筋で 91年パルメイラスに移籍、93年にはサンパウロ州選手権 を制して全国選手権でも優勝した。 来日は95年、27才の時で同じパルメイラスのジーニョ、 エバイールらとともに横浜フリューゲルスに入団して やはりボランチとしてプレー、地味なポジションのため 衆人の注目は集めなかったがチームへの貢献度の高さ は計り知れないものがあった。 優勝候補にも上げられていたチームにありながら 96年に3位、97年前期に2位が精一杯で チームが消滅する98年暮れから団結、 新年の天皇杯で見事優勝を遂げたことは記憶に新しい。 フリューゲルス解散後はパルメイラスに戻り リベルタ・ドーレス杯を制してトヨタ・カップでスタメンとして 出場したがマンチェスター・ユナイテッドに破れて 世界一の栄光は掴めなかった。 セレソンとしても幾度も招集されており98年フランスW杯 にJリーガーとして出場、スコットランドとの開幕戦で コーナーキックからのボールをヘディングで叩き込んで 記念すべき大会初ゴールを挙げた。 ヘッドの高さと思いきりのいい攻撃参加も持ち味であり 日本代表との試合で得点したこともある。 本名カルロス・セザール・サンパイオ・カンポス。 177センチ74キロ。現在32才。 中盤の職人、サンパイオは サンパーニョという名前で登場する。 フランスW杯代表監督ザガロはこう言った。 「彼は日本で規律を学んできた」 こんど彼にそれを教えるのは・・・さて・・・? |
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(ノルウェー、FW)
ソルスチェアー、スールシャールとも表記する。 今年27才になるとは思えない幼い顔立ちだが敵のDF陣を ずたずたに切り裂くプレーで「童顔の殺し屋」の異名を持つ。 小柄な体格の中に五分の魂を秘めダイナミックなフォーム から繰り出すシュートは80年代の英雄パパンをすら連想 させる。 運動神経抜群だった少年時代には数多くの球技を楽しんだ がゴール前で非凡な才能を発揮できることに気づき本格的 にサッカーへと足を踏み入れた。 スタートこそ3部リーグのクラウゼネゲンだったが地元の クラブ、モルデが1部復帰を決めたさいに引き抜かれ95年、 いきなり20ゴールを挙げてスカウトの目が正しかったこと を証明。 翌年にも12試合で11ゴールを記録し150万ポンドで英国 の名門、マンチェスター・ユナイテッドに加入する。 この時点で23才。まったく無名の若者だったがシーズン前 に話題となった新戦力、チェコのポポルスキーやオランダ のジョルディ・クライフ(ヨハンの息子)を押し退けサブとして 起用された場面で次々に結果を残しレギュラーの一角 として定着、ホームで数々の印象的なゴールを挙げた為 オールド・トラフォードのファンに新しいアイドルとして 歓迎された。 以後現在まで、三冠を達成した98ー99シーズンを含め 2度のリーグ優勝と1度のFAカップを獲得している。 後半ロスタイムからの逆転劇で有名になった 欧州チャンピオンズカップの決勝ではシェリンガムの 落としたボールに右足であわせて決勝ゴールを演出。 チームに直接の栄光を持ち込んだ功労者となった。 トヨタカップでは先発でワントップをまかされたが目だった 活躍のできないまま交代となったのは残念だ。 モルデ時代にチームをUEFAカップに導いた実力が買われ 95年ジャマイカ戦で初キャップ、この試合でいきなりゴール を叩き出す離れ技を演じる。 それ以外でも自身にとって「初」と冠される試合には 無類の勝負強さを発揮して得点するケースが ほとんどだった。 フランスW杯予選の初戦、アゼルバイジャン戦でも 華麗なハーフボレーを含む2得点を挙げている。 これから円熟を迎える年齢であるが 変わらずのベビーフェイスで 変わらずの殺し屋ぶりを発揮し続けてもらいたい。 174センチ74キロ。 北からの赤い悪魔、ソルスキアは シェルキーアという名前で登場する。 我が国のDFたちは果たして 彼をおとなしく閉じ込めておくことが出来るだろうか? |
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(アルゼンチン、MF)
底知れぬ体力で中盤を走り回り自ら泥くさい汗かき役 となる以上に繊細で華麗なテクニックにも長けた万能型 のダイナモ。 アスリートとしての才能とアーティストとしての素質という 相反する二つの要素を高いレベルで兼ね備え所属する ラツィオ、アルゼンチン代表ともに欠かせぬ大黒柱として 君臨する。 アルゼンチンの古豪、エストゥディアンテスで世界一を 味わったこともあるストライカー、ファン・ラモン・ベーロン を父に持ち94年、19才にて同じクラブにデビューした。 ゴール数は少ないながら攻撃の起点となる創造力の 非凡さが関係者の評判を呼び96年にボカ・ジュニオルス に移籍。 「黄金の矢」カニーヒアやあこがれのマラドーナにパス を配給し指令塔としての才能に磨きをかけていった。 一般の認知度が高まったのは96ー97シーズンに サンプドリアに渡ってから。 クラブがセリエBに落ちても技巧的かつパワフルな プレーが衰えなかったため1部の強豪、パルマに 引き抜かれUEFAカップ、コパ・イタリアの二つの カップを手にした。 今シーズンからラツィオに在籍しているが クラニョッティ会長は彼について 「世界最高の選手」と手放しで絶賛し 「これでスクデット獲得の準備が整った」 と公言してはばからない。 最終的にベスト8でついえたものフランスW杯で 名声を決定的としており2002年に向けて 最も活躍が期待できる若手の一人。 現在首位グループで初のリーグ優勝にむけて 邁進中である。 本名ファン・セバスチャン・ベーロン。 186センチ80キロ。24才。 力と技の殿堂、ベーロンは ベーレンという名前で登場する。 彼を味方につければ、栄光を手に入れたも同然だ。 |
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