ジョヴァンニ
(ブラジル、攻撃的MF)



    南米の選手でありながら190センチ78キロという
   異例の体格を誇るが細かいボールさばきはブラジル
   そのもので繊細な
パス感覚でゲームを組み立てる。

   フィジカル能力
に優れているため当たり負けはしない
   上に空中戦にも競り負けることが少ない。

   瞬間的な
スピードにも秀でアタッカーとして無限の
   可能性を秘めるジョヴァンニは94ー95シーズン、
   22才のとき名門サントスに入団した頃から注目を
   集めた。

   95年の全国選手権でMFながら得点王を争って2位
   になりバルセロナに見初められて移籍、ロナウドと
   ともに攻撃の中核を担い97年からの
リーグ連覇
   貢献したがリバウドにポジションを奪われて低迷を続け
   99年ギリシアのオリンピアコスに活躍の場を移した。

   代表でも95年から名を連ねキリンカップで来日、
   フランスW杯にも出場しているが本領を発揮した
   とは言い難い。

   今年28才で正念場を迎え
   天才は静かに復活の時を待つ。

   本名ジョヴァンニ・シルバ・デ・オリビエラ。

   新時代のエース、ジョヴァンニは
   ジオバーニという名前で登場する。

   素質に疑いの余地はない。
   後は貴方の手で、それが開花するかどうかだろう。

ホルヘ・カンポス
(メキシコ、GK)



    「神様」ペレは、練習でGKを務めたときもスーパー
   セーブを連発したらしいが抜群の運動神経があれば
   フィールダーとしてもGKとしても一流のプレーが可能
   なことが証明される。

   おそらくカンポスにもその理屈が当てはまるだろう。

   世界一線のGKとしては異例なほど小柄で175センチ
   70キロが公式発表であるが168センチ68キロとの
   説もある。

   ジャンプ力
果敢な飛び出し、冷静な判断力に正確
   なキャッチとGKに必要な技術をすべて兼ね備えたうえ
   足元でのボール扱いにも秀で
FWとして代表で起用
   されたこともある。

   バックパスルール改正以降GKはスイーパーとしての
   能力も要求されるが彼がいち早くこれを満たしていた
   のは言うまでもない。

   地元のデルフィネス・デ・アカプルコで正GKの座を
   射止めたあと1部リーグの強豪ウナム・プーマスと対戦、
   たびたび前線に顔を出して
プレイスキックを蹴り
   プレースタイルが気に入られて88年に引き抜かれた。

   プーマスではたびたびGKとFWを兼任し90ー91年には
   ストライカーとして14ゴールを挙げリーグ優勝の立役者
   となる。

   94年アメリカW杯後はJリーグ行きを希望していたが
   翌年発足したMLSリーグに29才で参戦し
   ロサンゼルス・ギャラクシーとシカゴ・ファイヤーの
   一員としてプレーしたあと98年から古巣のプーマス
   へと戻った。

   国内リーグで活躍した92年に代表入り、以来出場数
   は100試合を越え2度のワールドカップでも全試合に
   出場、メキシコのみならずアメリカ大陸を代表する
   
守護神にまで成長している。

   代表としてのタイトルは北中米・カリブ海のチャンピオン
   を決めるCONCACAFゴールドカップで3連覇、
   93年のコパ・アメリカで準優勝を飾る。

   自分でデザインした派手な原色のユニフォームは
   故郷のアカプルコをイメージしたものだがルール規制
   によって禁止されてしまいファンをがっかりさせた。

   とはいえその存在感は十分でウーゴ・サンチェスと
   並んでメキシコサッカー史に名を残すのは間違いない。

   現在33才。

   カリブの小兵、カンポスは
   カンポという名前で登場する。

   彼ならば攻撃的GKとして
   チームの勝利に大きく貢献することだろう。

宮澤 ミッシェル
(日本・フランス、DF・MF)



    群を抜くボールセンス、高い運動能力を持って生まれ
   駆け引きの技術を活かしてスイーパーやリベロをそつなく
   こなし守備の
ユーティリティ・プレイヤーとして活躍した。

   日本にシャンソンを広めたアコーディオン奏者
   デデ・モンマルトル(芸名)と日本人の母との間に
   生まれたハーフで当初はレジョン・ジュンジ・ミッシェル
   としてフランス国籍を有す。

   もともと攻撃の選手で、市原緑高校では外国籍のため
   大きな大会には参加できなかったがTV中継での
   ひたむきなプレーが評判となり81年国民体育大会(国体)
   へ在日外国人として初出場、教育スポーツの国際化に
   大きく貢献した。

   国士館大学では82年3才年長の柱谷幸一らとともに
   大学選手権を制覇、翌年ポジションをDFに移し
   柱谷哲二(幸一の弟)と最終ラインをがっちりと守り
   同大学の黄金時代を築き上げる。

   フジタ(ベルマーレ湘南の前身)を91年日本リーグ2部
   で優勝させたあとジェフユナイテッド市原に加入。

   93年Jリーグ開幕直前に帰化申請が認められケガの為
   ドーハには間に合わなかったものの翌年ファルカン監督
   によって念願の
代表入りを果たす。

   申請が4度、12年かかってようやく受理されたのは
   フランスがその才能を手放すのを惜しんだという話も
   あるが結局、アマチュア時代の古傷に悩まされて活躍
   できず33才でユニフォームを脱いだ。

   宮澤は母姓で、
   ケンジという名前の兄(日本国籍)が一人いる。

   現在は
解説者として活躍中。176センチ68キロ。

   宮澤ミッシェルは本名で登場する。
   
   チーム発足に力を借りるのみならず放送席からの
   経験豊富なアドバイスにぜひ耳を傾けて頂きたい。

ジュゼップ・グアルディオラ
(スペイン、守備的MF)



    名将クライフによって見いだされた選手の中でも
   最高の逸材の一人。

   中盤の底で守備を担当するが最大の売りものはボール
   を奪ったあとの素早い、しかも
正確無比なパスで守備と
   攻撃の切り替えの迅速さは世界中を見渡しても右に出る
   者はいない。

   絶対的なスピードと体格に恵まれているわけではないが
   判断の早さと正確さ、生粋の
リーダーシップにより世界で
   最も重要な選手の一人として注目を集める。

   13才でバルセロナの誘いをうけテストに合格、
   ユース所属中もトップ選手のボールボーイをして
   試合に対する目を養った。

   90ー91シーズンにトップの指揮をとっていたクライフの
   目にとまりデビュー、DFの前線で自在に動き回りFWに
   パスを供給してゲームメイクする「メディオ・セントロ」を
   任され、クーマンも手こずったこのポジションを見事に
   こなして翌シーズン19才でレギュラーに抜擢、個性派
   ぞろいのチームにあっても存在感を失わず不動の4番
   としてチームの中核を担う。

   以後、リーグ優勝は4回をかぞえ20才にして
   チャンピオンズカップ優勝も成し遂げている。

   代表で注目されたのはバルセロナ五輪で金メダルを
   獲得した時だがフル代表としては恵まれずアメリカW杯
   は体調を崩し2試合のみの出場、32連勝という驚異的
   な記録をもって臨む筈だったフランスW杯直前には
   相次ぐケガでリタイヤしチームも予選リーグ敗退の
   憂き目にあった。

   97年から99年前半にかけてはサッカー人生の中でも
   苦しい時期を味わっている。

   もの静かで控えめな性格で知られ基本的に地味で
   職人的なプレーヤーの為「技なしのベップ」と呼ばれて
   揶揄されることもあるが素早い球離れの要求される
   ポジションにおいて局面で不必要なテクニックを
   用いない
堅実さは頼もしくバルセロナ、代表チーム
   ともに全幅の信頼が置かれる。

   オランダ化の激しい所属クラブにあっても堂々とレギュラー
   を獲得し
カタルーニャの英雄として遇されている事からも
   これが分かろうものだ。

   2000年は欧州選手権があるがそこで彼がどのような
   リベンジを果たすのか期待される。

   180センチ76キロ。現在29才。

   カタルーニャの魂、グアルディオラは
   クアドラという名前で登場する。

   自らは滅多に得点しないが
   仲間に点を獲らせることこそ彼の真骨頂である。