
(イタリア、攻撃的MF)
天才とはリベラのような選手をいう。 そのボールタッチは繊細で優雅だった。 これだけでも誰かに真似できる芸当ではない。 並外れたゴールへの嗅覚と研ぎ済まされたパス感覚を 持ちFWの後ろから存分に攻撃陣を指揮した。 ファンタジスタという言葉が最も似合う選手だった。 若くして台頭したため「ゴールデンボーイ」、あまりに 理知的なプレーから「超頭脳」と様々なニックネームで 親しまれるがそれは彼の豊かな創造性を何とか表現 しようと絞り出した言葉に他ならない。 わずか15才のときにACミランに才能を見いだされ 当時としては破格の6万5000ポンドでアレッサンドリア から引き抜かれたが寂しくなった金庫の中身はすぐに 彼のプレーにより札束で満たされた。 60年、17才でプロデビューし翌年にリーグ優勝、19才 の若さでチームにチャンピオンズカップをもたらし63年 のバロンドール投票ではソ連のレフ・ヤシンに続いて 2位に食い込んだほど。 インターコンチネンタルカップ(トヨタカップの前身)では ペレ率いるサントスに破れているが完全にチームの中心 としてチャンピオンズカップを制した 68ー69シーズンの大会ではエスツディアンテスを倒して 見事世界一に輝きバロンドール賞を受賞した。 79年、36才で引退するまでミラン一筋にプレーし併せて リーグ優勝3回、コパ・イタリア優勝4回カップ・ウィナーズ・ カップ優勝2回、準優勝1回と堂々の成績を残す。 しかし代表ではレギュラーには定着せず強固な守備から の伝統的なカウンター・サッカー、俗に言う「カテナチオ」 に適しているとはみなされなかった。 アズーリでの冷遇という意味あいではのちのバッジオや デルピエロに通じる「先駆者」といえる。 文字通りのライバル、インテルのマッツォーラの存在と 華奢な体格が災いしたこともありほとんどスーパーサブ 的な使われ方しかしなかったがそれでも62年チリW杯 から4大会連続で出場、70年メキシコ大会では準優勝 を遂げている。 代表では不遇だったとはいえ押しも押されもしない 世界的なスターだったことに変わりはない。 引退後は政治家となり国会議員も務めた。 代表出場60試合14得点。175センチ68キロ。 黄金の才能、リベラは ジャンベーラという名前で登場する。 彼の足からパスが、シュートが放たれるとき 貴方はその優雅さに思わずため息をもらすだろう。 |
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(フランス、MF)
84年欧州選手権に登場して世界を沸かせた フランスの中盤「魔法陣」の一人。 公称162センチ(62キロ)という超小型選手だが 実際にはスパイクをはいてその高さとの噂もある。 街頭サッカーで鍛えたボールスキルをベースに理性に 裏打ちされた判断力を経験によって養い大選手への 道を駆けあがった。 体格的ハンディをまったく自覚しなかったばかりか 「大男を相手にする方が好き」と公言しその言葉が 偽りでないことを数々の名勝負で証明した。 マラドーナより5センチも低いことでより説得力を持つ とさえ言えるかもしれない。 16才で名門ボルドーに入団し86年、34才になるまで ボルドーひとすじにプレー、最後の年は オリンピック・マルセイユで締めくくった。 クラブタイトルはボルドーでの83年からの2年連続 リーグ優勝にとどまる。 天性のゲームメーカーとして評判を呼んだが代表 レギュラーに定着したのは30前で3才年下のプラティニ を立てて全力で補佐した。 とはいえ本来は主役級の選手であり82年スペインW杯 の北アイルランド戦二人の大男の「壁」をすり抜けて 2ゴールを奪取、この年のバロンドール投票数では 2位につけて「将軍」に勝るとも劣らない国際的評価 を受けた。 84年欧州選手権が唯一の代表タイトル。 2年後のメキシコW杯ではブラジルと「史上最高の名勝負」 といわれる死闘を制したが準決勝でゲルマンの壁の前 に破れる。 華麗で美しいサッカーを追求するも最後まで ひとりよがりのプレーには溺れなかったという。 ちなみに魔法陣の一員、ティガナはボルドーでの 優勝時には同僚であった。 代表出場47試合6得点。 シャンパン・サッカーの要。 小さな巨人、ジレスは ジュリアスという名前で登場する。 主役としても脇役としても その名に恥じないほど彼は常に一流である。 |
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(ブラジル、FW)
彼が「悪童」と呼ばれるのは自分の決めたルールにしか 従わないからである。 夜遊びの習慣と身勝手な言動はたびたびチーム関係者の 手を焼かせたが本人はそれこそが自分の魔法の源だと 公言する。 彼は無責任ではない。 ファンタスティックな、しかも無数のゴールはたびたびチーム に勝利とタイトルをもたらした。 奔放な私生活にもかかわらずプレーの質が劣化しないこと を考えればロマーリオは他に類を見ない希代の才能である。 168センチ70キロという小柄なストライカーだが 頭でも両足でも得点できる器用さと抜群の運動能力を持つ。 短くない欧州生活にもかかわらずヨーロッパのスタイルに 染まらなかった希有な存在であり現在では珍しい「南米型」 の世界的な名手である。 未熟児でもともと背が低くそのせいでバスコ・ダ・ガマの テストに落とされたがオラーリアでこの名門相手に4ゴール を叩き込むと直々にスカウトを受けて入団した。 16才でプロ契約してお馴染みジーコの兄エドゥー (元鹿島監督)によりトップチームに収集され 87、88年の全国選手権で優勝。 86年から2年連続で得点王にも輝く。 PSVアイントホーフェンでも輝きは失われず3回のリーグ優勝 に2つのオランダカップ、そして自身は88年の移籍直後から 3年連続得点王という偉業を達成した。 88年トヨタカップでゴールも挙げたがPK戦の末に勝負には 敗れている。 バルセロナに入団したのは脂が乗りきった27才のとき。 30ゴールを宣言して周囲を驚かせ93ー94シーズンを その通りの成績で終えた。 クライフの度々の諌言も聞き入れずに公約を果たしたのは 見事としか言いようがない。 2年でフラメンゴに戻って96年リオ州選手権で優勝を遂げた がさすがに夜遊びが過ぎて99年解雇になり古巣の バスコ・ダ・ガマに復帰、優勝こそ逃したが先日の 世界クラブ選手権にてエジムンドと組んで活躍したのは 記憶に新しい。 ワールドユースもわがままの為に追放されたが 破格の実力を見せつけて88年のソウル五輪に出場、 銀メダルと大会得点王の座を勝ちとった。 89年のコパ・アメリカでも大活躍し40年ぶりにブラジルを 南米の頂点に導く。 レギュラー扱いされなかったのでイタリアW杯以降は代表を 辞退していたが93年W杯予選で再選出。 ミューレルとのコンビに難色を示して追放されるもアメリカ 行きに黄信号がともって呼び戻されウルグアイ相手に 2ゴールを決めてレギュラー復帰。 アメリカ大会はまさにロマーリオの大会であり5ゴールで チームを世界一に導く。 世界は改めてこの才能の偉大さを知りFIFAによって 世界最優秀選手賞が与えられた。 97年のコパ・アメリカでも優勝、フランス大会にも参加して ロナウドとの夢のコンビを結成する筈であったが直前で ケガに泣き出場はならなかった。 天才的でひらめきに満ちた意外性とそれをこともなげに 実現する能力により「アニメの世界の住人」とすら評価 されており実際にコマ送りで見なければ彼のテクニック はとても解明できないらしい。 ロマーリオという名前は 「生き字引」という物知りのキャラクターからとられたが 彼は優勝とゴールの方法を熟知している。 以後は悲願の金メダルに照準を合わせる予定。 本名ロマーリオ・ジ・ソウザ・ファリア。 代表出場62試合44得点。 「ゴールの魔術師」ロマーリオは ローマンという名前で登場する。 彼がチームを去るのは誰にも止められないが その前に最高の置き土産を残していくことだろう。 |
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(イタリア、FW・攻撃的MF)
イタリアが次々と生み出すファンタジスタの一人で デルピエロが負傷で公式戦を離れているあいだ彼に 勝るとも劣らない評価を確立した。 ソフトなタッチのドリブルとゴール前に送り出す的確な スルーパスを武器に指令塔としての役割を果たすが 鋭い攻めあがりでゴールゲッターとしても機能する。 ローマ生まれのローマ育ち、生粋のローマっ子なことも あり幼い頃からロマニスタ(ASローマのサポーター)と して知られ憧れの球団でエースナンバーをつけて活躍中。 端正で貴族的な顔立ちも人気の要因の一つである。 ローマのエース、ジャンニーニをアイドルとして育ち 16才でトップチームにデビュー、引退間際のヒーロー と同じフィールドに立った。 もともとFW登録だったが2年後にレギュラーに抜擢され ウルグアイのフォンセカらとともに活躍、中盤で完全に 才能を開花させ98年フランスW杯には間に合わなかった がうなぎ上りの評価を続けて2000年欧州選手権予選 の常連にまで成長した。 自ら熱狂的なロマニスタのため引く手あまたのスカウト にも耳をかさなかったが中田英寿の加入により事情は 一変、ポジションが脅かされることを危惧して移籍話が 日々現実味を帯びている。 フロントの対応次第でどう転ぶかはわからず ヒデの調子とともに今後の動向が注目される。 180センチ80キロ。現在23才。 ローマのキング、トッティは トットという名前で登場する。 エースナンバーを与えるには最適の人材の一人だろう。 (ちなみに真波と本当に仲がよいかは定かではない ・・・「名選手伝説。虹よ海を渡れ」参照) |
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