
(フィンランド、攻撃的MF)
サッカーよりもスキーの大国として有名なフィンランド 史上初のワールドクラスの天才プレーヤー。 攻撃に関するありとあらゆる才能に恵まれ チャンスメーカーとゴールゲッターの能力を一身に備え 卓越したテクニックとサッカーセンスを武器に活躍、 あのクライフになぞらえられて「フライングフィン」の 異名を得るに至る。 もともと非凡な運動神経を持ち幼少時はお国柄から アイスホッケーに夢中だったが15才からサッカーに 専念して地元のライパス・ラハチでプロデビュー、 19才で国内最優秀選手に選ばれその翌年MyPa にてフィンランド・カップを制覇しているが 本当の活躍は92年オランダの名門アヤックスに 引き抜かれてから始まった。 最初のシーズンこそ不調だったがベルカンプのインテル 移籍とともに頭角をあらわし93ー94シーズン優勝の 原動力となり自身も26ゴールを挙げて得点王に 輝いている。 この勢いはチャンピオンズリーグに入ってからも続き 決勝のACミラン戦では途中交代の憂き目に遭った もののグループリーグでの対戦ではホーム・アウェー 2試合ともにゴールを挙げ最終的にチーム最多の 6得点を奪う活躍を見せた。 トヨタカップにも出場してPK戦ながら世界一の称号を 手にしている。 ここから3年連続のリーグ優勝を果たし97-98シーズン にはカップ戦も制して2冠を達成した。 代表試合は18才から60試合以上に出場。 残念ながら弱小国出身のためW杯、欧州選手権とも 出場経験はないが世界最高水準の選手であることに 疑いの余地はなく95年の活躍を受けてバロンドール の投票でも3位に食い込んだ。 長くアヤックスサポーターのアイドルであったが今期 ファン・ハールが指揮をとるバルセロナに移籍した。 彼の攻撃に関する類稀なるセンスがスペインでも十分 に発揮されることを望む。 181センチ81キロ。現在29才。 空飛ぶフィンランド人、リトマネンは リトマンという名前で登場する(FW登録)。 「出身国から実力を推し量るべきではない」という事実を 彼ほど証明できる人材も他にいないだろう。 |
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(ポルトガル、FW)
175センチ72キロの小兵選手だがスピードとテクニック に秀で相手を翻弄するドリブルと得点能力で注目を集めた。 若くから将来を嘱望された存在でスポルティング・リスボン で16才の時にトップに名をつらねその翌年には代表入り も果たした逸材。 18才でFCポルトに移籍し2年連続のリーグ制覇を達成 すると翌年のチャンピオンズカップ決勝に進出、 見事なドリブルでバイエルン・ミュンヘンをひっかき回し クラブに初優勝をもたらしている。 もっともこの試合のあとアトレティコ・マドリードと契約を かわしたことが分かり大騒ぎとなった。 スペインカップを2シーズン連続で奪取したあと93年は クラブを転々としてベンフィカやマルセイユを経て最終的 にはイタリアのレッジアーナに落ち着く。 名門ACミランにも所属したことがあるがヒザの大ケガが たたって活躍できずイングランドのウェスト・ハム、 再びアトレティコと1シーズンごとに移籍をくり返した。 98年に来日して横浜フリューゲルスの一員となるも 出場機会に乏しくそのままユニフォームを脱いでいる。 W杯は20才の時に86年メキシコ大会に参加、 グループリーグで敗退したものの3試合に出場。 若くしてピークを迎えた「太く短く」の典型的な選手だが ケガに泣かなければ更なる活躍も期待できたことだろう。 本名パウロ・ジョルジ・ドス・サントス・フットレ。 代表出場41試合6得点。 ポルトガル往年のエース、フットレは ヒュットレという名前で登場する。 彼は移籍リストの向こうで 雪辱を果たすのを静かに待ちかねているに違いない。 |
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(スウェーデン、FW・攻撃的MF)
相棒のマルティン・ダーリンとともに94年にアメリカW杯 を席巻した偉大なるヴァイキングの末裔。 176センチ73キロと、アタッカーとしては小柄だが ボディ・バランスの安定感は抜群で 素早くシュート体勢に持っていく技巧は超一流、 スウェーデンと対戦する各国列強を震えあがらせた。 90年春、ユースから代表入りを果たし4-2でウェールズ を破った試合で名をあげ更にフィンランド戦でも2ゴール を荒稼ぎしたためW杯代表チームに急きょ加えられた。 イタリアの本大会ではグループリーグで敗退したが ブラジル戦で唯一の見事なゴールを決めている。 国内のクラブではタイトルに恵まれなかったがこの年に パルマに引き抜かれ5シーズンを過ごす。 スクデット獲得には至らなかったもののカップ戦では めっぽう強く91ー92シーズン、コパ・イタリアで優勝、 カップ・ウィナーズ・カップも制したうえ2年連続で決勝 にまで進出、欧州スーパーカップも手中に収めた。 以後リーズ・ユナイテッドやスイスのチューリヒに移籍した がクラブ・レベルの活躍はパルマでの成績が群を抜く。 トーナメント制の相性の良さは代表でも発揮され92年 には欧州選手権準優勝。 デンマーク、イングランド戦で決勝ゴールを決める活躍 でベルカンプらと並び3得点で得点王になった。 2年後のW杯でも中心選手として母国を引っ張り ストイチコフ率いるブルガリアを4ー0で粉砕して 3位という好成績をあげるに至る。 97年パルマに戻ったあとリーズ・ユナイテッドでキャリア を終えているが負傷のためわずか29才で涙を飲まざる を得なかった。 一種の「職業病」とはいえスウェーデンを一躍強豪に した貢献ははかりしれなく後世に名を残す偉大な選手 と言えるだろう。 代表47試合26得点。 北欧サッカーの切り札、ブロリンはブロマンという名前で 登場する(MF登録)。 右拳を突き上げたままジャンプして前転する独特の 得点パフォーマンスがJリーグでも見られるだろうか。 |

(ブラジル、攻撃的MF)
1900年代最後のバロンドールの受賞者であるとともに ブラジルを代表する最高の10番。 このエースナンバーはジーコやジュニーニョなどどちらかと いうと小柄なテクニシャンがつけるのが通例になっていたが、 このタイプの選手を多く輩出する北部の出身にも関わらず 186センチ75キロの頑健な肉体を誇り左利きで技巧にも 長けている。 非凡なボディバランスは大きな切り返しと細やかなフェイント の同居を可能にし鋭いドリブルでゴール前に切り込む。 意外性のあるスルーパスも必見だが得点能力が高いのも 特徴で長所を細かく挙げていけばとにかくきりがない。 しかし、リバウドが何より優れているのは、世界最高レベル のスペインリーグにあって高い創造性を失わず魅せるプレー に徹している点でこれに関してはバルセロナサポーターが 一番よく知っている。 遅咲きの選手で、21才までにはさしたる実績を持たず TVニュースを見てコリンチャンスからの追放を知った 過去を持つ。 93年からパルメイラスに所属して恩師ルシェンブルゴの元 で才能を開花、94年には中盤のエースとしてサンパウロ州 を勝ち抜き全国選手権も制している。 96年に再び州王者に返り咲いてから一時パルマ入りが内定 していたが最終的にスペインのデポルディボ・ラコルーニャ に入団、わずか1シーズンでロナウドを失ったバルセロナ に買われた。 開幕から2ゴールを挙げたが全体的には精細を欠き 98ー99シーズンに復調して連覇達成の原動力となる。 得点王こそラウルに譲ったもののわずか1点少ないだけの 24ゴールで存在をアピール、オランダ化の著しい同クラブに あって完全に欠かせないキープレーヤーとして定着している。 代表では長く不遇を囲いアトランタ五輪での戦犯と見なされた こともあったがジュニーニョの長期離脱とバルセロナでの 好調ぶりが買われてフランスW杯に参加、決勝まで進出した ものの開催国の3発に沈んだ。 この時まだ完全にチームには馴染んでいなかったが ルシェンブルゴが指揮をとったコパ・アメリカでは一転、 ウルグアイとの決勝戦では2ゴール1アシストと大暴れし 友人のロナウドとともに3ゴールで得点王に輝く。 この活躍により国内での評価を払拭して押しも押されも しないエースへと成長を遂げた。 昨年のバロンドールの投票ではベッカムに60ポイント以上 の差をつける圧勝。 27才で円熟期にあるが比類なきアタッカーなのにも関わらず これまで特筆するべき大ケガを一つも経験していない。 バルセロナでは11番としてお馴染みの存在である。 本名リバウド・ビットール・ポルポーザ・フェレイラ。 カナリア最高のエース、リバウドは リバルドという名前で登場する。 賢明な経営者なら、彼を敵に回すより 頼もしい味方にする方を選択するべきであろう。 |
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