ライアン・ギッグス
(ウェールズ、左ウイング)



    W杯出場経験はないが印象的な名選手を続々送り出す
   ウェールズ発の
天才児

   マンチェスター・ユナイテッドの一員として先日のトヨタカップ
   で来日、左サイドの突破からキーンの決勝点をアシストして
   MVPに輝いたことは記憶に新しい。

   ギッグスの代名詞は一にも二にも卓越した
ドリブル技術で、
   両肩をいからせて走る独特のスタイルはその鋭さとともに、
   マンチェスター往年の英雄ジョージ・ベストと比較される
   ほどである。

   ファーガソン子飼いの選手の中では最も早熟で、15才での
   入団テストで名将を身震いさせたあとわずか17才と3ヶ月
   でトップにデビューしレギュラーとして定着した。

   以来イングランドリーグに6回優勝、93-94、95-96シーズン
   にはFAカップも制して2冠を達成している。

   その中でもとりわけ輝かしいキャリアは98-99シーズンに
   記録した3冠で、後半ロスタイムから2点を挙げて獲得した
   欧州チャンピオンズカップの決勝戦では、シェリンガムに
   同点ゴールを決める値千金のラストパスを送った。

   トヨタカップのタイトルを入れれば4冠になるがそのいずれ
   の優勝にも欠かせなかったプレーヤー。

   ウェールズ代表にも21才で選ばれ20試合以上に出場
   している。

   現在26才だが、ウェールズ人としてのタイトルが是非とも
   欲しいところである。

   余談だが父親はプロのラグビー選手で、
   ブライアン・ウィルソンという名前だが
   ビーチ・ボーイズのボーカルとは何の関係もない。
   (ギッグスは母姓。ギグスとも言う)

   180センチ68キロ。

   円卓の騎士、ライアン・ギッグスは
   ヒックスという名前で登場する。

   特別にイングランド国籍を与えられての登場となるが
   チャンスメーカーとしての才能は変わらない筈である。

ローター・マテウス
(ドイツ、DF・MF)



    マテウスはしばしば「マラドーナのライバル」と表現されるが、
   その根拠は86年メキシコ大会決勝において「神の子」の
   マークをつとめたというのみならず、4年後のイタリアで同じ
   顔合わせで闘いキャプテンとして見事リベンジを果たした
   という興味深い因縁の深さに由来している。

   ライバルと称される二人にはさまざまなケースがありうるが
   マラドーナとマテウスに関する限り両者は全く似ていない。

   せいぜい共通するのは身長の低さとエースを意味する10番
   をともに背負ったことくらいであるがマラドーナが持って
   いなかった資質を全て兼ね備えたマテウスも、いずれ劣らぬ
   大選手である。

   30代後半に突入しても殆ど衰えない
丈夫なフィジカルを誇り、
   これぞゲルマン人というべき
鋼鉄の意志を秘め、派手さは
   ないが正確な技術と戦術眼でチームの核となり強烈な
   
リーダーシップで試合を牽引する。

   マテウスの形容詞は判で押したように
「闘将」「鉄人」という
   言葉が使われるがその理由は、彼がその言葉そのもので
   あるからに他ならない。

   18才となる79年に契約した「超攻撃的」なボルシアMG時代
   からファイティングスピリットあふれる選手で、84年に当時
   ブンデスリーガ最高金額であった230万マルク(3億5000万円)
   の移籍金で強豪バイエルン・ミュンヘンに移った。

   このシーズンから3期連続のリーグ優勝を達成し、
   86ー87シーズンにはチャンピオンズカップでの
   決勝進出を果たしている。

   88年からセリエAのインテルに移籍したがファウルの多い
   暴れん坊というイメージが払拭されたのはここでの冷静沈着
   なプレーが定着したせいでクリンスマンとブレーメの二人の
   ドイツ人とともにチームの核として機能、ゲームメーカーと
   しての才能を存分に発揮してUEFAカップとリーグ優勝を
   クラブにもたらしている。

   92年からは古巣のバイエルンに戻りブンデスリーガを3度
   制するなど活躍した。

   代表としての戦績も華々しく80年の欧州選手権にデビュー、
   優勝してから現在までに138試合に出場するなどその記録
   は群を抜く。

   W杯は優勝1回、準優勝2回。

   若手の台頭がなく老朽化したドイツ代表でも古株だが
   メキシコGKカルハパルと並ぶ5大会へ出場し
   最多出場記録となる25試合を更新。

   とりわけ98年フランス大会で3年半ぶりに代表に招集された
   時の言葉「俺はみんなを助ける。みんなも俺を助けてくれ」
   という台詞はW杯史上に残る名言であろう。

   年齢を重ねるごとにポジションがじょじょに後退したが誰より
   も豊富な経験と読みを活かしたリベロのポジションで39才
   となる現在も一流のプレーを続けており本人には引退する
   気はさらさらない様子である。

   98ー99シーズンには欧州チャンピオンズリーグ決勝を
   マンチェスター・ユナイテッドと争い、圧倒的に試合を支配
   していたにもかかわらず後半ロスタイムの2ゴールを浴びて
   念願の欧州チャンピオンの称号獲得はならなかった。

   この活躍を受けてバロンドールにノミネートされたことからも
   マテウスの偉大さをうかがい知ることができる。

   この名誉ある勲章は90年に受賞しており
   FIFAとワールド・サッカー誌からも
   それぞれ
世界最優秀選手(91、90年)に選定された。

   単純に記録だけを眺めてもベッケンバウアーに次ぐ歴史的
   評価を得ることは確実である。

   今後はアメリカMLSリーグに活躍の場を移す予定。

   173センチ70キロ、代表138試合22得点。

   ドイツの誇る鉄人、ローター・マテウスは
   マリウスという名前で登場する。

   2000年が来る。
   闘将の炎は、いまだ消えない。

ローラン・ブラン
(フランス、DF・MF)



    絶対的なストライカーのいないフランスが98年W杯で
   優勝したのは日替わりのヒーローたちがその穴を見事
   に埋めたからである。

   そのフランスを最も苦しめたパラグアイとの一戦で
   ゴールデンゴールを蹴り込んで決着をつけたのは
   代表出場70試合以上を誇るベテランのリベロだった。

   ただし本人はゴールデンゴール方式であったことは
   この時まったく知らなかったとのちに述べている。

   DFとして理想的な190センチ82キロの体格で熱く
   燃える
と氷のような冷静さをかね備え高い技術で
   鉄壁のディフェンス陣を支えたブランはプレーでの
   貢献度と、その誠実で崇高な人柄によってメンバー
   の誰からも信頼された存在だった。

   18才でキャリアをスタートしたモンペリエにてフランス
   カップ優勝1回、オセールにて95-96シーズンリーグ
   とカップの2冠を達成した以外では主だったクラブ
   タイトルには恵まれずフランス国内のクラブを点々と
   渡り歩き97年からマルセイユに籍を置く。

   海外では26才でイタリアのナポリ、31才でスペインの
   バルセロナを1年ずつ経験している。

   大会では32才になっていたが
   堂々のレギュラーで不可欠の存在だった。

   この試合は終始ゲームを支配していながらも点の
   取れない降着した展開で、PK戦に持ち込まれると
   チラベルトにしてやられると判断したブランは
   相棒ドゥサイイーの制止する声も聞かず
   敵陣に上がっていって最高のゴールをものにした。

   惜しむらくはその活躍が決勝で見られなかったことで
   準決勝のクロアチア戦でビリッチの挑発に乗りレッド
   カードを貰って
退場になってしまい「最も大切な一試合」
   を棒に振ってしまった。

   もっともそのショックを必要以上に他人に見せることなく
   ロッカールームで献身的にイレブンを鼓舞したり代役の
   ルブフを励ましたりしてチームに貢献したのは
   いかにも紳士として知られる彼らしい。

   結果「ロロ(ブランの愛称)にW杯を!」と奮起したメンバー
   は見事ブラジルを破って世界王者の座を手に入れた。

   これらは一種の美談であるがブランがスキンヘッドのGK、
   バルテズの頭に毎試合
キスをする行為がフランス代表
   の
「勝利の儀式」だったこともつけ加えておこう。

   寡黙の騎士、ブランは
   ブランドーという名前で登場する。

   チームの活躍を支えているのは
   彼のような本来目立たないバイプレーヤーであることを
   我々は決して忘れるべきではないだろう。

アレン・ボクシッチ
(クロアチア、FW)



    フランスW杯に参加できなかった名選手は少なくないが
   ロマーリオとボクシッチのリタイアによって
   「世界最高の2トップ」が二組も見られなかったのを
   残念に思ったファンは少なくなかったろう。

   クロアチアの大砲として知られるボクシッチは卓越した
   パワーとスピード、鋭い得点感覚で勝負する

   正統派のストライカー
で右ヒザの古傷に問題が
   起こらなければユーゴスラビアから独立してまもない
   祖国の旗のもと抜け目のないスーケルの相棒として
   活躍したはずである。

   17才で地元クロアチアのハイデュク・スプリトと契約し
   91-92シーズンにフランスの名門オリンピック・マルセイユ
   に移籍。翌年23ゴールを挙げ
得点王リーグチャンピオン
   
の二つのタイトルを手にしている。

   チャンピオンズカップ決勝では見事ACミランを撃破して優勝。

   最も所属クラブの八百長疑惑が発覚したためにトヨタカップ
   には参戦できずイタリアのラツィオへと活躍の場を移したが
   ここではシニョーリの陰に隠れて実力を発揮できなかった。

   世界に名を轟かせたのはユベントスに移籍してからで96年
   のトヨタカップでは南米の雄リバープレート相手に鋭いシュート
   を次々と放って傑出したパフォーマンスを披露、ゴールこそ
   なかったが
優勝に貢献する働きを見せた。

   もっともリーグ戦では負傷続きで翌シーズンには再びラツィオ
   へと戻り2000年もその一員としてチャンピオンズリーグに
   挑むがレギュラーの座を獲得するには至っていない。

   代表でも96年、初戦で負った頭部の切り傷から欧州選手権
   を棒に振り98年にはヒザの手術でフランスへ行けずと
   不運が続く。

   実力は申し分ないがそれに見合う栄光には乏しく、
   今年早くも30才を迎えるが年齢的に最後と思われる2002年
   に向けてより一層の奮起が期待される。
   
   187センチ81キロ。

   クロアチアのエース、ボクシッチは
   ボバシッチという名前で登場する。

   ケガに泣くことさえなければ
   彼は獅子奮迅の活躍でチームを先導するだろう。