カール・ハインツ・ルムメニゲ
(ドイツ、FW)



    ゲルト・ミュラー以降、コンスタントに優れたストライカー
   を輩出してきた西ドイツ(当時)の最高傑作の一人。

   俊敏さを兼ね備えた力強い突破力と抜群のシュート力
   は他の追随を許さなかった。

   ドイツサッカー界で最も値の上がった選手としても知られ
   バイエルン・ミュンヘンからインテルに移った時には加入
   時の5000倍の値がついたといわれる。

   ボルシア・リップシュタットからバイエルンに移籍してきた
   のは74年、19才のとき。当時は右ウイングでチャンス
   メークを担当していたが次第に得点能力を買われて
   センターフォワードとしてプレーするようになった。

   ベッケンバウアーがアメリカに去った後のバイエルンを
   支え79ー80、80ー81シーズンにリーグ連覇を達成、
   前者の年にはドイツカップにも優勝している。

   75ー76シーズンのチャンピオンズカップ優勝時は新人
   だったが81ー82年は自らの力でチームを決勝に導いた。

   このシーズンを皮切りに合計3度の
リーグ得点王を獲得
   したが最後の得点王を手みやげに84年、インテルに移籍。

   3年間プレーしたがめぼしい成果はなく87年からスイス
   のセルベッテに籍を置いている。

   初代表は21才のときでW杯では78年アルゼンチン大会
   から86年メキシコ大会までプレーしたが二つの大会で
   2度決勝に進んでおきながら優勝を果たせず

   悲運のヒーロー
としての色彩を色濃く持つ。

   とりわけ82年には負傷をおしてキャプテンとして出場、
   彼を起用したデルバル監督の采配が問われる事となった。

   とはいえ、その真価を発揮してメキシコ戦では
   
ハットトリックを達成している。

   代表でのタイトルは80年の
欧州選手権優勝が唯一だが
   この年の
バロンドールを文句なしに受賞し2年連続の
   栄誉を勝ちとることになった。

   弟のミハエルが浦和でプレーしたことで日本人にも
   馴染み深い選手である。

   182センチ74キロ。代表95試合45得点。
   愛称カッレ。現在44才。

   不屈の核弾頭、ルムメニゲは
   ルンゲ Kという名前で登場する。

   今度こそ、彼はそのゴールで
   世界一の座をつかみとるだろう。

ロベルト・バッジオ
(イタリア、FW・MF)



    「ファンタジスタ」
という言葉を日本に広めたのは間違いなく
   この男であろう。

   抜群のボールテクニックと豊富なアイデアもさることながら
   彼が凡百の選手と一線を画しているのは高い次元でそれら
   を使いこなし「魅せる」プレーができるという点。

   この意味で、歴史を紐解いても彼に肩を並べる者は
   そう多くはない。

   「アズーリの至宝」
と最大限の賛辞を受けるかたわら代表
   で辛酸をなめ続ける悲運のヒーローでもある。

   12才の時にラネロシ・ビアツェンツァとユベントスを掛け持ち
   したがこのとき右膝に覚えた慢性的な痛みはその後も彼を
   悩ませることになる。

   早熟な才能が高く評価されてフィオレンティーナに3億5000万
   で売られたとき右足のじん帯を損傷する大ケガを経験。

   トップに合流するには87年まで待たなければならなかったが
   以後並ぶもののない活躍ぶりで完全にフィオレンティーナの
   顔として定着、フィレンツェでもヒーローとしてあがめられたが
   財政難からユベントスに売られた時には暴動が起きた。

   92-93シーズンにUEFAカップで優勝した翌々年には初めて
   のリーグ優勝を経験している。

   同ポジションの後輩デルピエロの成長でチームを追われ
   ライバルのミランで失意の2シーズンを過ごしたあと
   弱小のボローニャで完全復帰、
   98年より名門インテルで再び飛躍を狙う。

   代表への選出は88年、21才のとき。

   世界にその名をとどろかせたのは90年イタリア大会で、
   チェコスロバキア戦での40メートル独走ゴールは
   語り草となった。

   94年アメリカ大会ではボロボロになりながらも数々の重要
   なゴールで7試合5得点の大活躍、チームを決勝まで導き、
   最後に
PKを失敗するという劇的な幕切れを迎えた。

   このため優勝をブラジルに譲り姉の経営する店が焼き打ち
   にあったという。

   97ー98シーズン、ポローニャでプレーしたのは調子を
   取り戻してフランスへ行くメンバーに加わるためだったが
   デルピエロのケガでレギュラーの座を獲得し見事に
   国際舞台での復活に成功している。

   無類の勝負強さ
は健在であり、代表では2試合に1点以上
   獲っていることも特筆されよう。

   何より最前線にあってチャンスメークとゴールゲッターの両方
   を兼任しあまつさえ全体を見渡してゲームメーカーの役割も
   果たすという並外れた芸当は他の誰にも出来ることではない。

   深刻な中盤の人材不足に悩むイタリア代表にあって貴重な
   パッサーとしても機能できる。

   まだ32才であり、より一層の活躍に期待したい。

   93年
バロンドール世界最優秀選手賞を同時受賞。

   174センチ73キロ。敬けんな
仏教徒としても知られる。

   地中海の英雄ロベルト・バッジオは
   ピアジオ Rという名前で登場する。

   困った時には彼にボールを渡すがいい。
   そうすれば彼はゴールへの道を見つけるだろう。

ビリー・ブレムナー
(スコットランド、MF・FW)



    スコットランドが生んだ最も偉大な選手の一人であり、
   リーズ・ユナイテッドでも歴史的名手として名を残す。

   疲れを知らないファイターで、ドリブルとパスに対する
   非凡なセンスを持ち、常に
献身的なサポートを怠らず
   全力でチームを支えた。

   リーズに加入したのは59年、17才の時で大ベテランの
   ドン・レヴィーと2トップを組み、後に監督に就任した彼の
   もとで中心選手となって活躍、2部の弱小チームを強豪
   へと押し上げた。

   1部復帰を達成した64ー65シーズンに大ブレイクし
   リーグ戦2位、FAカップ準優勝という好成績を残す。

   リーグ優勝は通算2回に留まるがUEFAカップの前身、
   フェアーズカップを2度制しカップ・ウィナーズカップと
   チャンピオンズカップはともに決勝まで進出、
   国際的に見ても恥ずかしくない戦績を誇る。

   ファイティング・スピリットを前面に押し出して鼓舞役に
   徹することが少なくなかったため得点は多いほうでは
   ないがFAカップ準決勝で3回の決勝点と
勝負強さ
   発揮している。

   W杯には唯一、74年西ドイツ大会にキャプテンとして
   出場したが1次リーグで敗退の憂き目にあったため
   リーズの顔としてのイメージの方が強い。

   選手生活の晩年にはハル・シティやドンカスターでも
   プレーしたがタイトルを獲得するにはいたらなかった。

   代表54試合3得点。166センチ68キロ。
   81年、39才で引退。通称
「赤毛のビリー」

   五分の魂を持つ男、ブレムナーは
   ブロミナーという名前で登場する。

   彼の無私の精神はチームに大きく貢献するであろう。

エリアス・フィゲロア
(チリ、DF)



    南米が生んだ最強のDFの一人で存在感の大きさから
   
「ドン」と呼ばれたほどの選手。

   南米選手には珍しい183センチ81キロの堂々の体格で
   ストッパーに必要なパワーに恵まれただけでなく技術面
   にも優れた才能を発揮し、リベロとしても機能した。

   欧州でのプレー経験はまったくないが世界に出しても有数
   の実力の持ち主なのは疑いない。

   14才で地元のワンダラーズにてキャリアをスタート、6年後
   にウルグアイのペニャロールの一員となり67年からの
   2シーズン連続優勝に貢献している。

   25才にして移ったブラジルのインテルナシオナルでは
   5シーズンを過ごしたがそのいずれもでリオ州選手権優勝、
   75、76年には全国選手権も制した。

   母国のパレパスティノでリーグ優勝を遂げたあと海外では
   唯一となる北米リーグ(アメリカ)に参戦、1年間だけだった
   がフォートローダーデール・ストライカーズでプレー、晩年
   には国内の名門コロコロに所属し優勝して38才での引退
   に自ら花を添えている。

   代表としても長く活躍し、66年イングランド大会から1大会
   おきに3度出場というメキシコのサンチェスと並ぶ珍しい
   記録を作った。

   南米最優秀選手を74年から3回連続で受賞した傑物である。

   本名エリアス・リカルド・フィゲロア・ブランデル。
   代表70試合3得点。

   南米の誇る守りの要、フィゲロアは
   フェゲーロという名前で登場する。

   ライバルチームがどれほど強かろうと
   彼の壁を突破するのは難しいだろう。