レトロゲームレビュー/名作、クソゲー等ファミコン時代から網羅

積みゲーに思う



 もし家に手付かずのゲームが10本もあったら・・・。
少年時代、それは夢でしかなかった。
毎月の小遣いは限られているし、何よりもゲームソフトそのものの絶対数が今
よりずっと少なかった。
本当に興味のあるゲームは決して多くはなかったのだ。


 しかし、今、おいらの部屋にはかなりの数のゲームが眠っている。
ほんの1時間ばかり遊んでそのままになっているものもあれば、オープニング
だけを見て実際にはゲームをはじめていないもの、中には購入してから一度も
起動していないものすらある。
まがりなりにも一応は興味を持って、金を払って購入したゲームなのにも関わ
らず、だ。
少年時代の自分が知ったら、どんなに勿体ないと思うかと想像するとなんだか
心苦しい気もするが、正直にいって、部屋に眠っている一本一本のゲームソフ
トに対して、あの頃燃やしていたような情熱を再び抱くことは難しくなってし
まったことだけは確かだ。


 勿論、理由はいくつでも考えられる、時間は限られているのにソフトは次か
ら次へと発売される為に、一本のソフトに昔のように時間をかけられなくなっ
てしまった。
どんなにゲームが進化しても、根幹を成すゲームシステムの方は、十年一日の
如く変化に乏しく、数々のゲームで遊んできたおいらにとっては、いつかやっ
たゲームの繰り返しのように感じられてしまうこと。

 そして最後に思いつくのが重厚長大化した現在のゲームの「オープニングの
煩わしさ」だ。
特にRPGやSLG+RPGなどの分野でこの傾向は顕著で、ゲームを起動し、
スタートボタンを押してから延々とムービーと音声でプレ・ストーリーが語ら
れる。
これだけでも長いものになると5分や10分はざらにかかる上に、さらにゲー
ム画面に移っても最初の内はキャラクターを自分の思い通りに動かずことがで
きず、キャラクターの人形劇を延々と見せられるのだ。

 そして、大抵の場合、おいらはこの辺で飽きてしまう。
おいらにとってのRPGの醍醐味は、レベル1からレベル5くらいまでの序盤
の戦闘のスリルとレベルアップの達成感にある。
どんなにバランスの良いゲームでも後半になると、プレイヤーの育て方次第で、
難易度に幅が出てきてしまうが、この辺りまではゲームバランスさえ良ければ
ひとつひとつの戦闘にスリルがあり、また一つレベルが上がるだけでもそれな
りのカタルシスを得ることが出来る。
また、この間のプレイは同時に世界観やストーリーを理解し、レベル6以降の
戦略にも思いをはせる時間にも使える。

 しかし、最近の多くのRPGはそれをゲームがはじまる前にムービーや人形
劇という形で済ませてしまおうとする為、それがよほど自分の嗜好に合ったも
のではない限りは、もうその瞬間からダレてしまうのだ。


 最近のRPGは演出過多で自由度がない。
これはおいらを含めて多くのレトロゲーマーの現在のゲームに対する偽らざる
思いではないかと思うのだが、こんなおいらだって、最初からこの手のゲーム
が嫌いだったわけではないのだ。

 例えばパソコンRPGの"BURAI-上巻-"や「ラストハルマゲドン」が登場し
た頃は、その30分という今にして思えば非常識なオープニングデモの長さを
有難く受け入れてきたのだ。
勿論、あの頃はそういったゲームそのものが珍しかったせいで、まさか多くの
ゲームがこういう形を取るとは思っていなかったが、それでも「演出」は「良
いこと」であるという意識を持っていたことだけは確かだ。


 どんなに面白いゲームだったとしても、演出やイベントの全く存在しないゲ
ームをやってみたいか、といわれるとおいらは少々腰が引けてしまう。
中にはシステムさえしっかりしていれば、イベントなどひとつも必要ではない
と考える人はいるかもしれないが、残念ながらおいらはそこまで硬派なゲーマ
ーではないのだ。

 ゲームに於ける演出というのは、ある意味で友人宅でプレイした時の友人の
アドバイスにたとえることができるかもしれない。
友人の家に遊びに行ってはじめて触れるゲームで遊ばせて貰う。
システムもルールもあやふやなので、友人が何のアドバイスもくれなければ、
なかなかその全てを楽しむことはできない。
友人の適確なアドバイスは、短時間でそのゲームの楽しさを理解する為に必要
なものだとおいらは思うが、反面、この友人がうるさすぎるのは困り者である。

 操作法、攻略法はもとより、「あれをこうすると、こうなるよ」と答えまで
口にしてしまい、場合によってコントローラーを取り上げて延々「お手本」を
見せられるのは正直にいってあまり楽しいものではない。


 今のゲームの多くには、この「口うるさい友人」がもれなくついてくる。
ゲームの遊び方から、ストーリーまで事細かに説明してくれるのはいいのだが
その間、彼はコントローラーを握ったままで決してこちらには遊ばせてくれよ
うとしない。
たまにコントローラーを与えられることがあったとしても、序盤の内はほんの
短い間だけで友人の命じるままに小さなイベントをクリアした後はまた、友人
のお手本プレイがはじまってしまうのだ。


「うーん・・・ゲームがやりたいんだけどな・・・」

 そんな愚痴と共にゲーム序盤のまま本棚の奥に仕舞い込まれた幾多のゲーム
に再会するのは一体いつのことになるのだろうか。



AXL 2003

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