レトロゲームレビュー/名作、クソゲー等ファミコン時代から網羅

さらば、コントローラ


 今を去ること数年前。
PS1世代の次世代ゲーム戦争の少しあと、おいらはこんなことを考えていた。

「こんなにCD-ROMドライブばっかりいらん」

PlayStation,SegaSaturnなどの登場によって、それまでのROMカートリッジ型
に変わって一躍ゲーム機の主要メディアとなったCD-ROM。
当然のことながら、ほとんどの次世代ゲーム機達は一様に「音楽CDも再生でき
ます」という、実のところ当時のユーザーにとってはかなりどうでもよかった
ことを晴れがましく主張しつつCD-ROMドライブを搭載していた。

 その当時、おいらの部屋で稼動してゲーム機の内、CD-ROMドライブを搭載し
ていたのは、PS,SS,3DOの三台であり、ついでいうとパソコンにもCD-ROMドライ
ブが搭載されていたため全て合わせると合計4台のCD-ROMドライブが稼動して
いたことになる。

 「CD-ROMドライブ長者」
といえば、なんとなくかっこよくないこともない(?)が、問題はこの先なの
だ。
はっきり言わせて貰って、CD-ROM型のゲーム機はそれ迄のROMカートリッジ型の
ゲーム機に比べてかなり壊れやすい。
しかし、CD-ROMドライブそのものが壊れやすい。

 例えばROMカートリッジ型のゲーム機でも老朽化してくるとカートリッジ挿入
部分の接触が甘くなって、新品に比べてゲームの起動にはそれなりの技術と経
験を要したことは否定しないが、いくらその症状が進行しても絶対にゲームが
起動しなくなることは(おいらの経験では)なかっし、カートリッジ挿入時の
微調整も長く使っていればなんとなく勘が働くようになるので、人々はなんと
なく笑顔でその苦難にも立ち向かえっていくことができたが、CD-ROM搭載機の
場合そうはいかない。

 CD-ROM搭載機もカートリッジ機同様、いきなり起動不可能になることは稀で
最初のうちはなんとなく起動が遅くなったり、同じところを何度も読み直した
りし始める。
この頃はそれほどの実害はないが、やがて特定のソフトに限って起動しなくな
る時期が訪れるのだ。
ユーザーは主にこの時期にCD-ROMとの私的な闘争に時間を取られるようになり
結果、本来横置きの筈のPSが突如として大地に立つことになったり、挙句の果
ては天地逆置きでもはや威厳のカケラもなく酷使されている様が日本全国で見
受けられた。

 そして多くの場合、この後少しして一切のCD-ROMを読み込まなくなり、ユー
ザーは馬鹿にならない修理料金をメーカーに支払うか、値下げ合戦の間隙を縫
って同じハードを買いなおすはめになるのだ。


 おいらが気にいらないのは、CD-ROMドライブ搭載機の故障というのは何もそ
のゲーム機独自のいうにいわれぬ部分が故障するわけではなく、殆どの場合は
CD-ROMドライブのピックアップ(信号読取部)の故障、または汚れによる不具
合に限られている、という点なのだ。

 そして、CD-ROMドライブ搭載ゲームを複数所持する、ということは、必然的
にいつか起こるであろうリスクを台数分余計に抱えなければならない、という
ことでもある。
運よく、PSと3DOのCD-ROMドライブが無事でもSSのCD-ROMドライブが故障すれ
ば結局は修理に出さなければならない。
例えばこれがビデオデッキなら、1台が壊れても2台残っていれば当面困るこ
とはないが、残念なことに3DOではSSのソフトは絶対に動かない。
本来複数台所持することで細分化されるはずのリスクが逆に増えてしまうとこ
ろがCD-ROMドライブ搭載の機の憎いあンちくしょうたる所以であるといえるの
だ。


 その上、結局のところ機種は違ってもモノは同じCD-ROMドライブではないか。
読み込み速度が違いがあることを覗けば同じ機能なのだから、いっそのことCD-
ROMドライブを別売にして異種間のゲーム機で共用できるようにしてくれたら、
ヘビーユーザーはどらくらい助かるか分からないのだ。


 そんなことをそれなりに真剣に考えていたのだが、時は流れメディアの主役
もCD-ROMからGD-ROM,DVD-ROMやGameCube専用光ディスクへと進化を遂げた。
問題の根本はあの頃と全く変わってはいないのだが、連中は一応「個性、ある
方なんで・・・」というようなことを控えめに主張しているので、もはやメデ
ィアやドライブを統一しろ、などと言うつもりはない。


 しかし、その代わりに統一して欲しいのがコントローラの奴である。
「コントローラの奴」
いやしくもはじめてゲーム機に触れた時から苦楽を共にしてきたコントローラ
に対してこんなことを言ってしまうくらい、おいらは困っている。

 我が家には現在4台のゲーム機がテレビに接続されており、その内3台には
それぞれ2本のコントローラが接続されている。
言い換えれば、おいらの部屋のテレビ周辺には合計7個の何らかのコントロー
ラとそれにまつわる忌わしき存在であるところのコードがうねうねととぐろを
巻いているのだ。

 ゲーム業界やパソコン業界では80年代の終わりくらいにやたらとコードレス
というのが流行ったことがあって、パソコンテレビのX-1はコードレス・キーボ
ードを採用したり、PC-Engineにもコードレスコントローラが発売されていたり
していたのだが、あれから10年以上も経つのにコードレスは一向に普及せず、
地獄のように黒いコードがとぐろを巻く様は80年代前半の頃となんら変わって
いないのだ。

 せいぜいゲーム機一台、コントローラ二本、という健康で文化的な生活を営
んでいる人々にとって、それはさしたる問題ではないかもしれないが、これが
7本ともなると大問題である。

 いくら言って聞かせても・・・。
あれほど何度もほつれを正し、もつれを解きほぐして彼らを更正させてやって
も三日もすれば、盗んだバイクで走り出すていたらくなのだ。


 だが、これだけなら、身から出たサビだと諦めもしようが、問題はこれだけ
では終わらない。
人がタダでさえ7本ものコードの海で溺れかかっているというのに、メーカー
は無情にも「専用コントローラ」などというものを平気で発売してくるのだ。

 古くはファミコンの光線銃からはじまり、ファミリートレーナー、コナミの
エキサイトボクシングに至っては何らかの起き上がりこぼしのような物体すら
専用コントローラの役割を果たしていた。

 現在でも、ガンコンや、電車Go!のマスコン、ドンキーコンガのコンガ、果て
は鉄騎におけるコントロールパネルに至るまで、なんだかんだであの頃を上回
るバリエーションの専用コントローラが発売され続けている。

 発売することが悪いとは言わない。
それによってゲームの幅が広がるのならば、むしろそれは歓迎すべきことであ
る・・・が、おいらが言いたいのは「その後」のことなのだ。


 あれだけ景気よく発売される専用コントローラのほとんどが、1本、もしく
は数本の対応ゲームのリリースが終わると、大抵の場合ゲームもろとも見捨て
られてしまう、ということなのだ。

 あんなに楽しんだのに・・・。
あんなに場所を取ったのに・・・。
あんなにこんがらがったのに・・・。

 時期が過ぎれば、それっきりというのは、あまりといえばあまりではないの
か。
さらに、同種のコントローラであってもソフトが変われば別の専用コントロー
ラが必要だったり、PS2になったらガンコンも2になったりと、まともに付き合
っていた日には、金がいくらあっても部屋がいくら広くても、コードがいくら短
くてもどうにもならないのだ。


 そして、我が家の押しいれの中で(多分)今もひっそりと眠る、ナムコミュ
ージアム専用パネルコントローラとSegaSaturn専用バーチャガンを捨てるタイ
ミングを完全に見失ったおいらは彼らにこの先どう接していけばいいのだろう
か。



AXL 2004

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