レトロゲームレビュー/名作、クソゲー等ファミコン時代から網羅

次世代ハードに思うこと



 先日、NINTENDO GAMECUBEを妹から1万円で譲って貰った。
箱も取説もついていないが、コントローラーが2つ、メモリーカードが一枚つ
いてこの値段なら文句はない。
ただ、その時一緒に「ゼルダの伝説・風のタクト」をろくろく市場調査もせず
中古売価と買取価格の中間をイメージして千二百円で譲って貰ったのは失敗だ
った。
後日ショップに行ったら980円で棚に並んでいたのだ。


 それでも、本体+ゼルダの伝説風のタクトで合計1万1200円だ。
普通に買うことを思えば損をしたとは思わないが、おいらが驚いたのは買った
ゲームの内容ではなく早くも「次世代機情報」が流れているという事実だった。
2003年現在の主力マシンであるPlay Station2、GAME CUBE,X-BOXのすべての機
種で既に次世代機のプランに関する話が出ており、一説によれば2005年発売と
も言われている。

 これはおいら自身、PS2を2002年に、GAMECUBEを2003年に、それぞれ発売より
二年ほど遅れて購入してしまったこともあるのだろうが、それにしても次世代
機の登場が早すぎるような気がするのは気のせいだろうか。

 仮に三機種が全て2005年に発売された場合、最も現役期間が長かったのがPS2
の六年で、最も短かったのがGAMECUBEの四年となる。
あのファミコンですらスーパーファミコン登場までの現役期間は七年しかなく、
ファミコン同期生となるセガのSGシリーズに至っては僅か二年でSEGA MARKIIIに
バトンタッチをしていることを思えば、従来機種に比べて決して短かったとは言
えないのだが、それでもおいらの中には「もう次かよ?」と納得できない気持ち
が依然として横たわっていることだけは確かだ。


 だとすれば、おいらがPS3世代の登場に感じる違和感の正体とは、単に期間的
な問題ではなくむしろその必然性の問題なのかもしれない。
少なくともPS1世代以前のゲーム機は、常に慢性的な性能不足という十字架を背
負ってきた、という背景があった。

 勿論、性能とは相対的な数値であり、ファミコンであっても面白いゲームは
いくらでも作れるのだが、あの頃のゲーム機には、アーケードゲームという遥
か先を疾走する大きな目標があったのだ。
セガのスペースハリアーやアフターバーナーを例に取れば、これらはSEGA MAR
KIII、メガドライブ、セガ・サターン(またはSUPER 32X)という三世代のゲー
ム機に全て移植され、最後の移植でやっとアーケードと同等のクォリティを見
ることが出来た。

 勿論、対象はアーケードだけではなく、複雑な計算を要するパソコンのゲー
ムもあったし、よりリアルなまたは壮大な物語を望むユーザーの声もあった筈
だ。

 いずれにせよ、新しいハードが登場するということはそれによって現状のハ
ードに対する不満が解消され、ゲームが未知の領域に大きな一歩を踏み出すこ
と同義だったのだ。
だから、当時のおいらはスーパーファミコンやメガドライブ、プレイステーシ
ョンやセガ・サターンの登場に夢を描くことが出来た。


 結局のところ、今現在のおいらがPS3世代のハードの登場に必然性を感じら
れないのは、裏を返して言えば現行のハードにさしたる不満がないからなのだ。
二次元CGは言うに及ばず、実写映像や三次元CGを映画かと見まごうばかり
に表現し、DVD-ROMの莫大な容量にデータを詰め込み、音楽も音声も自由自在
に操ることができる現行ハードの次の世代がスペックの数値はいざ知らず傍目
に分かるほど劇的に変貌するのか、いや、まだ変貌する余地があるのか?とい
うことそのものに疑問を感じているのだ。

 勿論、そうだからといって次世代ゲーム機の登場を歓迎しないというわけで
はない。
いくら優れているといっても、ずっと現行のハードのままではいずれ物足りな
く感じる日は来るだろうし、ハード性能が上がるのはユーザーにとってやはり
歓迎すべきこと違いはない。
だが、残念なことにプレイステーションやセガ・サターンの本体を買う為に発
売日に店頭に並んだような情熱をもってそれらを迎えることが出来るか?と言
われれば躊躇せざるを得ない、というのが正直なところだ。


 極論すればハードのバージョンアップというのは、メーカーの経営戦略にと
って重要なものかもしれないが、必ずしもユーザーの要望に沿うものではない
のかもしれない。
考えてみればそれは当たり前のことなのだが、少なくともPS1登場の頃までは
おいらを含む多くのユーザーは現行機種への不満からそのギャップ気付くこと
なく、新ハードを諸手を挙げて歓迎してきたのだ。
それだけに余計このギャップが大きく感じられるのは、皮肉なことだが贅沢な
悩みであり、今にして思えば少年時代夢に描いた理想の次世代機こそ現行のハ
ード達なのかもしれない。

 ゲームセンターと同じクォリティのゲームを家で遊びたい。
もっと綺麗な絵の、リアルなゲームで遊んでみたい。
もっと長い時間遊べる壮大なRPGをやってみたい。
本物のアニメや実写映像を使ったゲームがやってみたい。
・・・・・・。

 これら、ファミコン世代の夢はついに叶ったことになる。
では、次にゲームに何を求めるのか、その目標を見つけるのは、長い年月をか
けて夢が叶うのをただ待つだけだった今まで以上に難しいことかもしれない。



AXL 2003

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