レトロゲームレビュー/名作、クソゲー等ファミコン時代から網羅

ゲームセンター、いま、むかし



 先日のyahooトピックスニュースに「進む、ゲームセンター離れ」という記事
が掲載されていた。
消費者のゲームセンター離れにより、最近立て続けにゲームセンターが倒産、閉
店に追い込まれているらしい。
はっきりいってしまうと今のゲームセンターには何の未練もない。
おいら自身もここ10年ほどは全くといっていいほどゲームセンターに足を踏み
入れなくなっていたし、この記事を読んだからといって、郷愁からゲームセンタ
ーに入ってみようと思うことも、恐らくないだろう。


 記事ではゲームセンターの衰退の理由として、家庭用ゲーム機の性能向上によ
りクオリティの差別化が計れなかったこと、プリクラなどの人気機種に近年恵ま
れないことを挙げている。
というか、おいらの考えでは、家庭用ゲーム機の性能向上により、クオリティの
差別化が計れなくなった為に、プリクラや大型筐体ゲームのようなアミューズメ
ント志向のライトユーザー向けになったゲームセンターがついに、それらライト
ユーザーにまでそっぽを向かれてしまった、ということではないのだろうか?

 おいらが最も足しげくゲームセンターに通っていたのは小学生の時だ。
その頃はそれこそ毎日のように入り浸っていたが、中学進むと週に1、2度程度
になり、高校の頃は月に1、2度、そして高校を卒業してからは全く足を向けな
くなってしまった。


 あくまでも個人的な意見になるが、小学校の頃にはゲームセンターに毎日通わ
なければいけない理由があったのだ。
おいらの場合、ファミコンを購入したのが小学校5年生の頃で、それ以前にも非
カートリッジ式のテレビゲーム機や、家庭用マイコンの類は持っていたが、クオ
リティの面でゲームセンターにおいてあるゲーム機とは決定的に違っていた。

 インベーダーゲームが流行した頃、小学1年生の身空で「不良の溜まり場」と
悪名の高いゲームセンターに毎日のように100円玉を握り締めて通いつけるお
いらを憂いた故・うちのじーちゃんが、「テレビベーダー」という非カートリッ
ジ式のテレビゲームを買い与えてくれ、「これでもう家でゲームができるんだか
ら、ゲームセンターには行くな」と諭したが、これはスプライトの制限で本来縦
横に整列しているはずのインベーダーが横一列しか表示されず、一番下の列のイ
ンベーダーを撃つと、それだけが1段上に上がるという、能率優先省エネ型とい
う味も素っ気もないものですぐに飽きてしまった。

 確かに一番下の段を飛び越して上の段のインベーダーに弾を当てることは至難
の技なので、能率の面からだけでいえばこれでもいいのかもしれないが、それは
インベーダーをやったことのない人間の理屈である。
インベーダーというのは、画面に所狭しと並んでいるからいいのであって、そこ
から危機感や緊迫感というようのものが生まれるし、想像力も刺激されるのだ。



 大体ゲームセンターの方では、その頃には既にnamcoからギャラクシャンがリ
リースされていたし、「ムーンクレスタ」というドッキングまで出来るシューテ
ィングゲームも存在していた。
「ゲームの中で宇宙船が合体する!」という噂を友人から聞いたおいらは「それ
は何としてでも合体させなければいけない!」などと言いつつ、故うちのじーち
ゃんの制止を振り切って、またゲームセンターに舞い戻っていったのである。


 小学校5年生の時、初めて買ってもらったファミコンは本当に驚異的だった。
ドンキーコングや、マリオブラザーズといった当時現役で動いていたゲームセ
ンターのゲームがほぼ同じクオリティで家庭で遊べたのだ。
今では初代ファミコンなどというものはチャチの代名詞のようになってしまっ
ているが、発売当時、あの性能は本当に凄かったのだ。
当時のゲームセンター並のグラフィック能力に加え、当時50万円もしたビジネ
スクラスのパソコンですら到底不可能だったスムーズスクロールをいとも実現
してしまっていたのだ。
例えば、ファミコン最大のヒット作となったスーパーマリオブラザーズは当時
シェア、ナンバーワンのパソコン、NEC、PC88SRシリーズに移植されているが、
ファミコンのようなスムーススクロールが出来ず、画面の端まで進むと右に1
画面分ずれて次の画面を表示する、というお粗末さだった。
というよりも、定価1万4800円の本体と、定価4500円のカセットがあれば遊べる
ものをわざわざ定価17万以上のパソコンと10万円クラスの専用モニター、さら
に、定価6800円のソフトを買ってまでやる価値があるのか?というところが非
常に気になるのだ。
ちなみにこれを移植したのはハドソンで、パッケージの帯には「国民的快挙で
大登場!」としてあったが、こんなものでもやはり「買わなきゃハドソン!」
なのだろうか?


 このファミコンブームが加熱した小学校高学年から中学生時代はそれまでよ
りは確かにゲームセンターに足を運ぶ機会は減ったが、それでもおいらにとっ
てゲームセンターの価値がなくなったわけではなかった。
例えば、同じスターフォースでも、アーケード版の方はやっぱり画面は綺麗だ
ったし、なんともいえない高級感が漂っていた。
それにファミコンにはまだ移植されていないゲームや、移植されないかもしれ
ないゲームも沢山あったのだ。


 高校時代、家庭用テレビゲームは、PCエンジン、メガドライブ、そしてスー
パーファミコンあたりになり、グラフィックなどのクオリティは格段に進歩し
たが、アーケードゲームのクオリティはそれをさらに上回っており、ゲームセ
ンターに行く価値はまだあったのだが、この頃には家庭用ゲーム機、パソコン
ゲームを合わせるとかなりの数のタイトルが出回っており、ゲームセンターで
は楽しめないジャンルのゲーム、アドベンチャー、RPG、シミュレーションなど
の楽しさも知っていた。
ゲームセンターにいくのは「ゲームセンターのゲーム」がやりたくなった時だ
けになったのだ。


 そしておいらが高校卒業する頃、ストリートファイター2がゲームセンター
でリリースされた。
はっきりいってしまうと、このゲームがリリースされなければ、もう少し長い
間、おいらはゲームセンターに通っていたと思うのだが、これが大ヒットした
為、おいらは完全にゲームセンターから遠のいてしまった。

 別にこのゲームが悪いというつもりはない。
しかし、これがヒットした為に、似たようなゲームばかりが溢れ、一時ゲーム
センターはそれこそ麻雀とクイズ以外は「格闘ゲームしかない」というような
状況になってしまったのだ。

 子供の頃ゲームセンターに惹かれたのは、それこそおもちゃ箱をひっくり返
したように色々なゲームがあったから、だった。
ギャラクシャンがあり、クレイジークライマーがあり、パックマンがあってド
ンキーコングがあった。
ワーゲンがぴょんぴょんはねるジャンプ・バグもあれば、ひたすらお客にビー
ルを出し続ける、という今にして思えばゲーム性がやけにゲームウォッチじみ
ていた、タッパーというゲームもあった。
新入社員とおるくんは、新入社員の分際でいきなりの就業拒否というアナーキ
ーな生き様を見せ付けてくれたし、ディグダグもMr.Do!もニコニコ笑ってお隣
同士、なぜか壁際の10円ゲームコーナーに追いやれた"Zig Zag"の存在には、
そこはかとない「オトナのジジョウ」を感じ取ることもできた。


 それがスト2の登場と格闘ゲームブームにより、金太郎飴のようにどこを切
っても同じゲームばかりがゲームセンターにずらずらと並んでしまうことにな
る。
そんなゲームセンターを見た時、おいらは完全に覚めてしまった。
それ以来、殆どゲームセンターに足を踏み入れたことはない。

 そしてこの後、プレイステーションやセガ・サターンが登場したことにより
クオリティの面での差別化が難しくなり、後は冒頭に書いたような展開でこう
なってしまったのではないだろうか?



AXL 2001

HOME