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スーパーファイヤープロレスリング〜スペシャル〜


Media :Super Famicom
Maker :HUMAN
種 別:2D プロレスゲーム
発売日:1994年

 現在のところ、プロレスゲーム史上最も長く続いた「ファイプロ」の中興の
祖。ファイプロは1989年にPC-Engine Hu-Cardで第一作が発売されて以来、Sup
er Famicom,Sega Saturn,Play Station,Dream Cast,Wonder Swan,Gameboy Adv
abceなど各プラットフォームを股にかけ、2003年発売のPlayStation2版で一応
の完結となった。

 これらのプラットフォームで発売された直系ファイプロだけで14本。
さらにこれに女子版やサンダープロレスリング烈伝、ブレージングトルネード、
アイアンスラムなどの外伝も加えると20本以上にもなる。
これだけの本数を出しながら、実はファイプロというゲームは第一作の時点で、
既にほぼ完成されたゲームであった為に、最終作のPS2版に至るまで基本的な部
分が変更されることはなく、2003年となってはかなり時代遅れな印象の拭えな
い2Dの小さなキャラクターが組み合って技をかけあうという基本システムも第
一作と全く変わっていない。
現在でもおいらを含めてファイプロファンは少なからず存在するが、そんな状
況の中でも、最終作を通告されてしまったファイプロはある意味では「時代に
殺された」ゲームなのかもしれない。

 しかし、完成されたシステム故に、一部の作品では単なる前作の焼き直し、
マイナーチェンジ的な印象の強い作品が多いのも確かで、第二作目となるPC-E
ngine版"2nd bout"では、単に登場レスラーを一新し、自由にタッグを組めるよ
うにした(第一作はプロレスゲームとしては非常に珍しいがタッグが固定され
ていた)程度のもので、Super Famicom版第一作となるスーパーファイヤープロ
レスリング(通算3本目)でも、グラフィックをPC-Engineからスーパーファミ
コンにバージョンアップさせた程度の変更。
またそれに続く同2(通算5本目)に至っては、単なる登場レスラーの刷新とい
うあまりにお粗末なものだった。

 第一作登場から僅か数年で事実上行き詰まってしまったファイプロを救った
のは、PC-Engine版としては3本目、シリーズ通算としては4本目にあたるファ
イヤープロレスリング・レジェンドバウトに搭載されたレスラーエディット機
能だった。
それまではあらかじめゲーム内に入っているレスラーを使ってプレイすること
しかできなかったが、エディットシステムの搭載により、架空のレスラーやゲ
ームに登場しないレスラーも自由に自分でエディットして戦わせることができ
るようになったのだ。

 このエディットシステムを大幅に強化して発売した3ファイナルバウト(通
算6本目)は50人以上という大幅レスラー増加や技の増加も手伝って、それま
で以上に多くのファンを獲得することに成功した。

 そして、3の発売から約1年を経て発売されたのが本作「スペシャル」であ
る。
前作3のタイトルに「ファイナルバウト」という言葉があり、ファイプロ最終
作と銘打たれていたことからか、今作は「4」ではなくあくまでも「スペシャ
ル」つまり、特別篇という意味合いのサブタイトルがつけられている点も興味
深いが、内容の方も、これまでのファイプロシリーズの集大成となっており、
前作をも上回るレスラー数、技数の増加だけではなく、ファイプロとして始め
てのストーリーモード(チャンピオンロード)の搭載、オクタゴンリングの採
用とそれに伴うKOルールの導入、それまではシステム上不可能だったランニ
ング・ギロチンドロップなどの寝ている相手に走りながら行う技が使用可能に
なるなど、非常に充実した内容の作品となっている。

 また登場レスラーの方も、あくまでも日本のプロレス中心だった前作までと
は異なり、ゲーム監修にプロレスライターで海外プロレスの事情に詳しいプロ
レスライターの斎藤文彦氏を迎えWWF(現:WWE)のレスラーをモデルとしたレスラ
ーが多く登場するのも魅力の一つで、彼らが常用する派手なパフォーマンス(
例えば、ミリオンダラーマン・テッド・デビアスをモデルとした選手は試合前
に札ビラをバラ撒くなど)も再現しており、それまで地味でストイックなイメ
ージのファイプロをおおいに華やかにしてくれた。


 そんなわけで、スーパーファミコンで発売されたファイプロの最高傑作、人
によってはファイプロシリーズを通して最高の出来だと賞賛されることも少な
くない本作だが、おいらはこのゲームで一つだけどうしても納得できない点が
あった。


 それは、モードの一つとなっているチャンピオンロード(ストーリーモード)
の内容なのだ。
このチャンピオンロードというモードは、純須杜夫(すみす もりお)という
少年を主人公とし、「心に茨を持つ少年」と形容される平たくいって非常に付
き合いづらそうな少年となって、プロレスの道に足を踏み入れ、最強を目指し
数々の闘いを繰り広げている・・・という、主人公はともかくとしても一見珍
しくはなさそうなストーリーなのだが、個人的な感想をいわせて貰えば、おい
らはこのチャンピオンモードが嫌で嫌で仕方がなかった。

 ファイプロには毎回、隠しレスラー、隠し技などの隠し要素があり、例えば
勝ち抜きモードをクリアしないとそれらは使用できないようになっていた。
だから、ファイプロを買ってまず最初にやることはそれら隠し要素出現の為に
クリアする必要のあるモードをクリアすることなのだが、本作ではそれがこの
チャンピオンモードに当たっていた。
つまり、このモードをクリアしない限り隠し要素を使うことは出来ないのだ。
この仕様はファイプロの恒例行事となっているし、何もそういう仕様が嫌だと
いう話ではない。
おいらが嫌だったのは、隠し要素を出す為にこのモードをクリアしなければな
らない、ということだ。

 つまり作業が嫌だったのではなく、このチャンピオンモードなるストーリー
モードで語られる、「オレ的美学」に付き合わされるのは真っ平御免蒙りたい、
と思っていたのだ。


 どういうことかというと、このチャンピオンロードのシナリオは一般に想像
にされる「プロレスゲームにストーリーモードつけるんならどういうのがいい
と思う?」という問いに対する回答とはかなり異なったものになっていたのだ。
過去にストーリー付きのプロレスゲームが発売されたこと自体あまりない為に
一概には言えないのだが、例えば、ハドソンがPC-Engineで発売した「マニアッ
クプロレス・明日への闘い」の場合で言えば、当時としてもかなり大時代な梶
原一騎的な世界観で描かれ、今聞くと冗談としか思えない地下プロレスの存在
や悪辣な権力者がプロレスを私物化しようとし、主人公がそれに闘いを挑むと
いう、濃い内容になっていた。
発売当時にしてもどこまで本気で作っているのか分からないほど古臭い内容で
あることは否めなかったが、梶原一騎、または過去に存在していたプロレス像
へのオマージュとしては(商品性はともかくとして)それなりに成立していた
のではないかと思う。

 元来、プロレスとは、他のスポーツとは違い、水や空気のように掴み所のな
いもので、そこに一貫したストーリーをつけることそのものに無理があるかも
しれないが、仮にそれをしなければならないとなった場合、例えばプロレスを
純粋な格闘技として扱い、スポーツものとして主人公の成長を描くだとか、も
っと政治色を濃くしていって、闘いそのものよりも群雄劇な物語にしていくだ
とか、色々な方法論があるのではないかと思うのだが、本作チャンピオンロー
ドに行われた方法論は、「ココロノモンダイ」であったのだ。


 先述したように主人公は純須杜夫。
当時は、格闘家モーリス・スミスをもじったのかと思っていたが(それにして
も不自然だとは思っていたが)後に知ったところによれば、これはシナリオを
担当した須田氏が敬愛するバンド、スミスとそのヴォーカルモリッシーから取
ったものらしく、スミスを知らないプロレスファン的には既にして置いてけぼ
りの感がある。
また、「心に茨を持つ少年」という彼のあまり受け止めたくないキャッチフレ
ーズも同バンドのアルバムからの引用らしい。
以下、チャンピオンロードに関するネタバレを含む内容となってしまうので、
それを許せる方のみお読み頂きたいのだが・・・。

 この純須という少年が・・・。
この純須なる少年が、はっきり申し上げてうざったいったらありゃしないのだ。
「強くなりたい」という思いからプロレス入りし、幾多の出会いや闘いを経て
成長する・・・というのならば、まだ感情移入もできようが、この少年の場合、
成長するどころか、どんどん暗く沈みこんでいってしまうのである。
どうしてそうなるのかといえば、闘いそのものが彼の体を蝕んでいくと共に、闘
い、或いは人生そのものにに意味を見出せない焦りや苛立ちが心を蝕んで・・・
という説明はあるのだが、一プロレスファンとして言いたい。

 蝕まれるな。
もうこの時点で作者が、チャンピオンロードに求めたものと、おいら個人がス
トーリーモードに求めたものがあまりに違いすぎるのだ。
シナリオライターである須田氏が求めたものは、彼が持つ70年代ロックスター
的な美学、それもドアーズのジム・モリソン、セックスピストルズのシドビシ
ャス、ニルヴァーナのカート・コバーンらのそれであって、おいらが求めたの
は「プロレスとしての物語」なのだ。
先述のマニアックプロレスの場合、まだしも納得できたのは、梶原一騎的な大
時代プロレスという、好き、嫌いはともかくとしても、その時代のプロレスフ
ァンであればまだ共有することのできたモチーフを扱っていたのが、本作では
全く関係のないところからモチーフを引っ張ってきた為に、一度置いてけぼり
にされたが最後、二度とこのストーリーに追いつくことができないのだ。

 闘うことに意味を見出せず苦悩する、というストーリーはそれそのものが完
結した一つの作品、または商品であるとするならば、それはそれで勿論結構な
ことだとおいらは思う。
単に、おいらの好みではない、それだけで肩の付く話だし、好きでないものに
は触れなければいいだけの話なのだ。

 しかし、問題は、このストーリーがファイプロの上で語られ、しかも、この
モードをクリアしない限り、隠し要素が出てこないという仕様にある。
その上で「戦うことに意味を見出せない」と言い出すのは裏切りにも等しい。
こちらのテンションとしては、「ファイプロの新作だ!やるぞー!」というテ
ンションで遊んでいるのだ、「闘うことの意味」は嫌というほど見出してしま
っているのだ。

 最後の闘いで勝利した後、明日のジョーの如く真っ白な灰となった主人公、
そして自殺を思わせる主人公の恋人たるヒロインの家から聞こえる銃声で幕を
閉じるチャンピオンモード。
勘弁して欲しい。

 ファイプロというゲームに出会い、一作ごとに時間を共有してきたおいらが
最後のシーンで感じたのは、このチャンピオンモードなる物語をクリアして全
ての隠し要素を出した瞬間に、おいらもこの物語を肯定することに加担してし
まったのではないか、というやるせなくも情けない思いだった。



AXL 2003

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