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殺人倶楽部(J.Bハロルドの事件簿#1)

Media :PC-98,PC-88,WINDOWS95以降,X68000,PC-Engine CD-ROM2,
FAMIY COMPUTER等
Maker :Riverhill Soft
種 別:コマンド式アドベンチャーゲーム
発売日:1986年8月(オリジナル版)


 アドベンチャーゲームは、家庭用ゲームよりもさらに古い歴史を持つパソコ
ンゲーム界で最初にブームとなったジャンルである。
アーケードゲーム界がゲームに特化されたハード性能と、回転率を維持しなけ
ればならないという理由か、シューティングやアクション一辺倒だったのに対
し、パソコンゲームはハード的にアクションが苦手な分、回転率を気にする必
要がない為に、派手なアクションがない分、じっくりと時間をかけて遊べる思
考型のゲームが主流に踊り出る。

 しかし、ハイドライド、ザナドゥ、そしてファミコンのドラゴンクエストの
大ヒットにより、ゲームの主流は、アドベンチャーからRPGへと移っていく。
J.Bハロルドシリーズの第一弾、「殺人倶楽部」が発売されたのは、隆盛を誇
ったアドベンチャー人気に陰りが見え始めた、そんな頃のことだ。


 内容は、アメリカの片田舎、リバティタウンに住む、リバティタウン警察の
刑事、J.Bハロルドが主人公。
プレイヤーはJ.Bとなり、リバティタウンで起こった、ロビンズ商会社長、ビ
ル・ロビンズ殺人事件の謎を解き、真犯人を逮捕する為に捜査を開始するが・
・・・、といったところだが、このゲームの、いや、後の1920シリーズまで含
めた、シナリオライター鈴木理香さんのアドベンチャーゲームの特色として、
推理や、トリックそのものよりも人間関係に重点が置かれたシナリオとなって
いる。

 それまでの推理アドベンチャーゲームと比べると分かるが、登場人物の数が
圧倒的に多いのが鈴木アドベンチャーの特徴であり、ゲーム序盤は、ごくあり
ふれた夫婦に見えた二人の男女に実は大きな秘密があったり、まるで無関係と
思われていた2人の人物が実は・・・という感じで、ゲームが進むにつれ、序
盤では予想もしなかったような、人々の秘密と過去が暴かれて行く。

 当然人物関係は込み入っており、その為多少プレイヤーを選ぶきらいがある
が例えていうなら、10年前にツインピークスのビデオで徹夜をしたようなタイ
プの人なら間違い無くハマるだろう。

 次に圧倒的なリアリティ。
グラフィックは実写取り込みを意識しており、派手さはないが、それが逆に独
特の雰囲気をかもし出している。
さらに主要人物に限らず、全ての登場人物が異常と思えるほど、細かく設定さ
れており、殺人倶楽部の場合、名前、年齢、出身地、血液型、職業、所属団体
までもが設定されており、主にプレイヤーは、個々の人物からそれらを聞き出
し、さらにはその時点までに登場している全ての人物の情報を聞かなければな
らない。

 分かり易く言えば、序盤、まだ登場人物が5人程度しか登場していない時点
では、その5人全員に残りの4人の情報や、印象を聞けば良いので、5×4で
20回だが、終盤登場人物総数が増えてくると、その人数分だけルーチンワー
クが増えるので、これもまたプレイヤーを選ぶが、その分、ゲーム中の世界観
は他に類を見ないほど緻密に確立されている。

 最後に、先ほども少し触れたが、この殺人倶楽部を始め、後に繋がるJ.B.19
20シリーズのシナリオライター、鈴木理香さんのライターとしての実力。
それは、シリーズを1作でもプレイした人なら分かると思うが、むしろ登場人
物の台詞よりも、三人称の語り口に特色がある。

 透明感があり、常にプレイヤー(J.B.)と一定の距離を保った文章が非常に
印象的である、例えばゲーム中でプレイヤーがその時点で実行不可能な行為を
した場合、一般的なアドベンチャーゲームでは、プレイヤーと常に動向するキ
ャラクターを使う、例えば、ポートピア連続殺人事件での、「ヤス」や、ウィ
ングマンのあおいさんなどが良い例だ。
 プレイヤーをサポートすべきキャラクターがいない場合には、「それはでき
ません」や「何もおこりませんでした」といったメッセージが表示される。

 J.B.ハロルドの場合は、例えば「J.B.には、これ以上、そこから何かが出て
くるとは思えなかった。」、「J.B.は、これ以上問い詰めても無駄だと思って
いた。」など、一見するとどこが違うのか分からないかもしれないが、J.B.の
場合、全て状況による明確な理由付けがあり、そしてそれは、システムメッセ
ージではなくJ.B.の意思として表示される。
些細なことだと思うかもしれないが、1ゲーム数十時間を要する、このゲーム
を一度でもプレイすれば、この違いがいかに大きいかが分かるはずだ。

 つまり、「それはできない」はシステムの事情だが、「それをしない」は、
シナリオの領域である。
鈴木アドベンチャーがかもし出すリアリティは、この「シナリオの領域」を絶
対崩さないという姿勢にからくるのではないだろうか?



AXL 2001

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