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かまいたちの夜2〜監獄島のわらべ唄〜

Media :Play Station2
Maker :CHUN SOFT
種 別:サウンドノベル
発売日:2002年


 一般にサウンドノベルとは、マルチシナリオのテキストゲームのことだ、と
思われており、おいらもそう思っている。
第一作の弟切草、続くかまいたちの夜はいずれもマルチシナリオのゲームだっ
たし、弟切草が登場した時、既存のアドベンチャーゲームとのシステム面での
決定的な違いはそこにあったからだ。

 しかし、よく考えてみれば「サウンドノベル」というジャンル名のどこにも
シナリオの多様な変化を連想させる言葉は含まれていない。
既存の小説に、コンピュータゲームならではの臨場感のあるサウンドを絡ませ
ればそれをサウンドノベルといっても差し支えはない。

 だから、仮にサウンドノベルシリーズの最新作である「かまいたちの夜2」
がマルチシナリオゲームでなかったとしても苦情の持って行き場はないのだ。
「かまいたちの夜」の続編だから、マルチシナリオに違いない!と思い込むの
はユーザーの勝手であり、例えばドラゴンクエストVIIIが対戦格闘ゲームにな
っていたとしても、ユーザーは泣いて泣き濡れるしかないわけである。


 結論からいうと「かまいたちの夜2」は確かに「マルチシナリオ」のゲーム
には違いないのだが、限定されたシナリオの中で選択により主人公の様々な運
命を追うことのできた前作「かまいたちの夜」とはかなり違っており、むしろ
初代の「弟切草」に近いシステムであるといえる。

 「かまいたちの夜2」でいう「マルチシナリオ」とは、独立した複数のシナ
リオが詰め込まれているというだけのことで、ヒトコトでいうと複数のアドベ
ンチャーゲームが1本のゲームにまとめられているようなものなのだ。

 プレイヤーの選択によって変化するのは、バッドエンドを迎えるか、正規の
エンディングにたどり着けるかの分岐がほとんどで一つ一つのシナリオに奥行
きというものがほとんどない。
これは第一作の弟切草にも同じことがいえたのだが、弟切草の場合は個々のシ
ナリオが短いことと、たとえあるシナリオが進行中であっても場合によっては
別のシナリオに入り込んでしまえるほど、良くも悪くもフットワークが軽い作
りだったのに比べて、かまいたち2に於いては、シナリオごとに「○○篇」と
サブタイトルが表示され、1本あたりのシナリオは弟切草のそれよりも遥かに
大きく、シナリオの数は「かまいたちの夜」のものより遥かに多い反面、猫の
目のように変化する弟切草のシナリオの多彩さや、特定の状況の中でプレイヤ
ーの選択によって様々に展開を変える個々のシナリオの奥深さは望めない。

 実はかまいたちの夜2に於いておいらが最初に失望したのが、この「○○篇」
というサブタイトル表示で、これがあることによって、プレイヤーはどうして
も閉塞感を感じてしまうのだ。
選択肢によってどんなことが起こるか分からないというワクワク感を「○○篇」
というサブタイトルによって規制され、「○○篇なんだから○○なことしか起
こらないんだろうなあ・・・」と寂しく肩を落としてしまいかねないのだ。

 かまいたちの夜2の場合、「監獄島のわらべ唄」というシナリオがメインシ
ナリオになっているが、実は、推理ものはこの1本だけで、他にある複数のシ
ナリオのほとんどはホラー系の話になっている。
別にホラーが悪いとはいわないが、前作のかまいたちの夜が本格的な推理もの
だっただけに、それを期待して購入したユーザーは多いはずだし、勿論、おい
らもその一人だった。

 ところが、複数存在するシナリオの内、推理物は1本しか含まれていない上、
その1本もシナリオの中での分岐が乏しいばかりではなく、場当たり的な選択でも
ゲームは簡単に正規のエンディングにたどり着いてしまい、最悪の場合、プレ
イヤーが犯人や犯行手段を知らなくてもなんとかなってしまうのだ。
前作「かまいたちの夜」の魅力はシナリオは一本でもその中で無数の物語へと
派生していける楽しさがあった筈なのだが、今作ではその楽しさが大幅に減っ
てしまっている。
単独のシナリオ内で楽しむことを目的とした前作と比して、複数存在するシナ
リオを発見し、体験することに楽しさの核を変えてしまったのだろうが、個々
のシナリオ内に変化が乏しいとどうしてもプレイヤーはやらされている感じを
覚えてしまい、本来自由な選択による自由な行動が保証されていたそれまでの
サウンドノベルの魅力を体験することはできない。


 では、このゲームはつまらないのか?と問われるとそうとも言えないのだ。
プレイヤーが最初にプレイすることになるのは、先述したように最も前作「か
まいたちの夜」のテイストに近い「わらべ唄篇」なのだが、これが途中までは
非常に面白いのだ。
勿論、その時に感じた面白さの何割かは「今でもこんなに楽しいんだから、こ
の先は予想もつかないほど楽しいに違いない!」という希望的観測に支配され
ているのは確かだが、前作を思い起こさせる設定やキャラクターの登場などに
プレイヤーは嫌でも前作の楽しさに思いを馳せ、期待は嫌が上にも盛り上がる。
また、シナリオの量や数も全体としては前作に比べて遥かに膨大なものになっ
ており、全体としては充分に面白いソフトだとは思うのだが、その楽しさの質
は明らかに前作それとは異質なものになっており、これがこのゲームの最大の
泣き所ではないかと思っている。

 「わらべ唄篇」以外は、全くといっていいほど前作とはテイストの違った作
品に仕上がってしまっている以上、正直にいってこれを「かまいたちの夜2」
にする必然性があったのかどうか、ということに疑問を感じてしまうし逆にい
えば、このゲームの最大の敵は前作「かまいたちの夜」だったとおいらには感
じられるのだ。
「かまいたちの夜」のレビューで書いた通り、あのゲームにはプレイヤーの予
想を遥かに超える「驚き」が含まれていた。
しかし、今作からは「かまいたちの夜」をプレイした時ほどの驚きを感じるこ
とは出来なかったのだ。
勿論、ひとつのシナリオをクリアすることで新たに登場するシナリオの多さに
は目を見張るものがったのだが、ゲーム界に於いて1994年に体験した驚きと20
02年に体験する驚きが同じレベルである為には、単に前作を超えるだけではな
く、内容的にも仕掛け的にも相当なものを持ってくる必要があり、それは「か
まいたち」に限らず続編ものの宿命なのだ。
そしてそれは、前作で受けた感動が大きければ大きいほど巨大な壁となって続
編の前に立ちはだかる。
結局、おいらはこのゲームをプレイしている間中、前作で体験した「驚き」を
追い続け、それが必要以上にこのゲームに対する「期待」を煽り立てた為に、
結果としてこのゲームに対する満足度を下げてしまうこととなった。


 もう一つ、個人的に不満に感じた点に、フローチャートシステムがある。
これはこのシリーズでは、「かまいたちの夜」をPlayStationでリメイクした
際の「かまいたちの夜・特別篇」から採用されたシステムだが、ゲームを進め
ていくとダンジョンRPGのオートマッピングのように、プレイヤーがそれ迄
に進んだシナリオがフローチャートして記録されていく、というものであり、
プレイ中はフローチャートから指定することでいつでも特定の選択ポイントに
移動することが可能になっている。

 このシステムによって一度読んだところを何度も読まされることがなくなっ
たのは有難いのだが、逆に「ただ選択肢を潰す」だけのプレイに偏り勝ちにな
ってしまったことも確かだ。
勿論、フローチャートを使わなくともゲームは出来るし、プレイヤーが判断し
て使わない、ということも出来るのだが、実際にはシナリオ、テキスト共に膨
大で、一からやり直しながら攻略をするのは現実的とは言えない。

 これに関しては、フローチャートシステムがなければ良いといった単純なこ
とではなくて、プレイヤーの要望としてのゲームそのものの巨大化が最初にあ
り、巨大化による繰り返しプレイの煩わしさを解消する手段として採用された
フローチャートシステムが思わぬところで、ゲーム性を全く別なものへと変え
てしまった、という皮肉な流れがあることに気付いておく必要があると思う。

 平たくいってしまえば、サウンドノベルそのものがいくところまで行ってし
まった、ことによる弊害であり、フローチャートに変わるものを考えるのか、
それとも「街」のようなフローチャートありきのシステムを考えるのか、今後
のチュンソフトのサウンドノベルの動向に注目したいと思う。



AXL 2002,2003

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