レトロゲームレビュー/名作、クソゲー等ファミコン時代から網羅

グラディウス

Media :アーケード、FAMILY COMPUTER、PC-Engine、MSX等
Maker :KONAMI
種 別:強制横スクロールシューティングゲーム
発売日:1985年


 実は意外と好きなゲームである。
おいらは決してシューティングゲームは得意ではないし、スト2登場以前の「
激ムズシューティングゲーム全盛期」はほとんどソッポを向いてやり過ごして
しまった人だが、このグラディウスの、特にファミコン版は大好きだった。

 中学2年の頃は、学校から帰るとまずグラディウスの1週目をクリアする、
というのが日課のようになっていた時期さえあった。
とはいえ、基本的に「苦労嫌い」な人間なので2週目は全くプレイせず、1週
目が終わると同時に電源を切ってしまっていたが・・・。


 さて、簡単に内容を説明しておくと、プレイヤーは自機であるビッグバイパ
ーを操り、敵を倒していくステージクリア型の横スクロールシューティングゲ
ームである。

 こう書くと何の特徴もないゲームだが、プレイヤーが自分の好きなように自
機をパワーアップさせられるシステム、というのが非常に目新しかった。
特定の敵を破壊することで入手出来るカプセルを貯めていき、自分が希望する
武器等を装着することができる。

 次になんともいっても、このゲームを初めて見た時に印象的だったのが、バ
イオな感じの敵キャラクターのデザインである。
代表的なものは、ステージ2の細胞のようなものがうにょうにょと現れる場面
だが、それまでのシューティングゲームで、バイオな物体をゲーム中にフュー
チャリングしたものは殆どなかった。

 本当にひとつもなかったのか?と聞かれると、実は、TAITOの「ミクロの決死
圏」をゲーム化したような、その名も「バイオアタック」というゲームがある
にはあったのだが、この場合はシチュエーション等は完全にバイオだが、グラ
フィックが全然バイオではない、という理由で除外させて頂くのだ。


 90年代以降のシューティングゲームはそれこそ何でもアリの世界になってし
まい、何が出てきても目新しさがなくなってしまったが、おいら的には「シュ
ーティングゲームの常識を覆したゲーム」として真っ先に浮かぶのがこのグラ
ディウスであり、次に思い浮かぶのはRタイプである。


 Rタイプはグラディウスより後のゲームになるので、グラディウスほどのイ
ンパクトこそ無かったものの、ステージ2の生物的に「うにょうにょぶり」や
ステージ3の1ステージをまるごと使った巨大戦艦を破壊する、といった演出
は素晴らしかった。


 さて、話をグラディウスに戻そう。
シューティングゲームの常識を覆したグラディウスの最後にして最大の特徴は
何といっても「全く攻撃してこないボス」である。
多少ネタバレになってしまうが、このグラディウスのラストステージに出てく
るボスは、「脳」だが、この脳は一切攻撃をしてこない。
脳の周辺にあるワイヤーのようなものを切断してしまえばクリアだが、それを
邪魔するものは何ひとつないのだ。

 よく考えてみると、例えば「未来世界でマザーコンピュータが暴走し、人間
を遅くロボットと戦い、マザーコンピュータを破壊することが目的のRPG」
のような場合、最後の敵が「コンピュータ」であっても必ず攻撃してくるのが
常識のようになっているが、そちらの方が不自然なのだ。

 大抵のゲームというのは、ストーリーよりもシステムを優先させる、という
悪い癖があるので、例えボスキャラがコンピュータだろうが、フグ田タラオだ
ろうが、ボスキャラだ、というだけで、無理矢理最強の攻撃力と耐久力を持つ
凶悪なキャラにしてしまうが、それは欺瞞である。


 RPGに於ける欺瞞で最も代表的なものは、仲間の一人が突然倒れ、遠くの町に
いる著名な医者の薬がなければ助からないというので、睡眠不足にもめげずに
その街にたどり着き、医者の家に入ったとたん、医者の助手に「ああ、実は先
生はついさっき、薬草を取るためにこの先のデスマウンテンに向かわれました」
と宣言されたような場合である。

 助手は「ついさっき」だとか「惜しかったなあ」などという白々しいことを
抜かすが、そんなことはおいらがそのゲームを購入した瞬間からすでに決定し
ていたことではないか。

 大体、何故薬草如きを取りに行くのに、「デスマウンテン」などという縁起
でもない山に向かうのか、しかも、その山に救うモンスターの強さといったら
ここまで世界を旅してきた「英雄様ご一行」ですら苦戦するほどなのに、一介
の医者が単身潜入できるのか? もしかしたら、いざという時には自分で自分
に外科手術を施すことができるブラック・ジャックなのか?
そんな数々の疑問に答えが提示されるはずもなく、「ま、ここらへんでプレイ
ヤーにちょっと苦労させちゃいましょうよ、レベル上げもさせられるし、プレ
イ時間の延長にもなりますからね、ところで今晩一杯どうッスか? あの店に
いい子入ったんスよ、キョーコちゃんって言うんスけど、3月に高校卒業した
ばっかみたいですよ、ええ、これ、マジですって。」などというゲーム会社の
安易にして貧困な発想により決定させてしまうところが、どうにも腹立たしい
ではないか。


 さらに日常生活に於ける代表的な欺瞞例ということになると、例えば小学校
時代、学期末などに授業時間を潰して大掃除をしましょう、というような状況
下で、掃除さえ早く終わらせれば後はもうやる事もないし、早く帰れるに違い
ないと思い込んで、死に物狂いで30分くらいで掃除を終わらせてみたら、「
残りの時間は、漢字書き取りです。」などと命じられて、かなり無理のある漢
字書き取りをさせられたりする場合である。
教師を仕事でやっている以上、下校時間を他のクラスをあわせなければならな
いのは分からないでもないが、それはあんまりである。
思わず、尾崎豊ばりに「先生、あなたはか弱き大人の代弁者なのか?」と言い
たくもなるではないか。

 欺瞞といえば先ほどの"R-Type"=エイリアンのパクり説を唱えるおいらの友
人の台詞も欺瞞だが、もはやおいらは今回のレビューは完全に「グラディウス」
と関係ないのではないか?ということに気づきはじめてしまっているので、と
にかくにもグラディウスはそういう安易な欺瞞を否定したという意味で、最も
清く正しく美しいゲームの1本である、などと妙に綺麗にまとめて終わってし
まうのである。



AXL 2001

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